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あの日少年だった僕が故郷を離れ歩んだ11年と自己満足


また今年もこの日が来た。

新聞の一面やテレビのトップニュースには
「震災から11年」という文字が踊る。
突然思い出したかのように。

被災者にとっては、11年目の節目を迎えたからといって昨日までと何かが変化するわけではない。
そもそも、そういう線引きはない。

それはわかってるけど。

僕は今年も、午後2時46分に東北の方角に黙祷を捧げる。

毎年命日を祈るのは、ある意味で宗教的な行為だ。
暦(こよみ)に縛られるのは、仏教でもキリスト教でも、その他の宗教でも変わらないだろう。
僕は無宗教だが、言うなれば「震災教」だろうか。

この11年で歩んだ道は、やはり2011年3月11日を起点として通じているのだ。
これだけは誰に否定されようと揺るがない。

東北の方角に黙祷を捧げるのは、何度目だろうか。
つまり、僕は東北を離れている。
離れて久しい。
今年で9年目だ。

離れたのにはワケがある。
あの日、少年だった僕は、これから10年、20年という復興のスパンの中で「被災地の代弁者になり日本を立て直す」と誓った。

当時は政治家か官僚にでもなりたいと、本気で思っていたものだ。

政治家なんてならなくて良かった

数年前中継に出演する僕

お察しの通り、結局その目標は達成できていない。
だが正直なところ、心底良かったと思っている。
ジャーナリストになって、政治家と関わり、政治家になるための仕組みを知った。
政治家だって、個人では大したことはできやしない。

大抵の議員は、まずは市町村の議会議員からスタートする。もっといえば、スタート地点に立つ前に、秘書や副首長をやったり、どこぞの組合やどこぞの商工会の関係者である必要がある。
選挙に関心のない若者には、ピンとこないだろう。
例えば秘書や副首長やってから立候補するということは、その議員や首長に気に入られて、彼の支持者を引き継ぐ資格を与えられたということになる。
つまり、前任の議員が前回選挙で得た票数を概ねそのまま引き継ぐことができるということである。
あるいは組合や商工会からお墨付きをもらえば、多くの企業や団体の構成員たちから支持を得られる。もちろん、企業や団体の為になる政策提案をすることと引き換えにだが。
これは、投票率が低い自治体ほど効果が大きくなる。なぜなら、選挙に関心が無い層は組織の息がかかっておらず、組織の息がかかっていて、明確に支援の立場を表明している人間ほど投票所に向かうからである。

何が言いたいか。

要するに政治家は社会奉仕をしたかったり、優れた経歴を持っていて賢かったりするからといってなれるものではなく、コネや利権を引き継ぎ合法的に賄賂を渡せると確約できる人間がなれるものなのだ。
(もちろん例外はある)
官僚的なのかもしれない。
成果を残さずとも上司に気に入られればそれなりに出世できる。
つまり地方議員から国会議員や首長へと格上げされる。
そんな地味で旧態依然とした世界の中で生きるのが政治家なのだ。

震災を経験して誓ったこと。それは
「もう二度と、災害で死ぬ人、苦しむ人を作らない」
震災を忘れかけていた人たちからすれば、戯言だと思うだろう。理想論で綺麗事だ。

こんな綺麗事を人生の公約に掲げる僕は、"投票してくれる"人たちにとって何の得にもならない。

とはいえこの理想論は、NHKだからといって受け入れられたわけでは無いのだが。

NHKなら社会貢献ができるという勘違い

おかえりモネ

いずれにせよ。国の中枢でデカい仕事がしたいと思っていたことは、NHKに入ったことである程度実行できる環境は手に入れることができたと感じてきた。

別の記事に書いている通りだ。(『やめたくなるまでの話』)

この組織の中で、僕は「災害で死ぬ人を0にする」と豪語して回った。
実際、僕はそれができると信じていたし、同僚や上司はきっと共感してくれると思っていた。

僕にとってはあの震災でさえ、「人災」だと捉えている。

理由は単純、"あの時、津波が来ると思っていなかったから"だ。
言い換えれば、10m20mの津波が来ると全ての人が予測できたら、生き延びることができたはずだ。

亡くなった人たち、一人一人の当時の行動や思考を想像することがある。

というより妄想に近い。

想像を膨らませれば膨らませるほど、それぞれの人に、その瞬間瞬間で、生きながらえるための選択肢が与えられていたはずだ。

バタフライエフェクトのような話をしている。

後の祭りだ。

僕は何も無くなってしまった故郷を、今でも愛している。そして亡くなった人たちに対する贖罪の気持ちを持っている。

くだらないちっぽけな人間の僕が、偶然生き残ってしまったこと。
死んだ人たちに対して申し訳ない。

だからこそ、亡くなった人たちの死を無駄にしない生き方をしなければならない。

僕の残された人生の使い方。
それは、まだ災害が起きていないところで、気を抜いている人たちを絶対に助けることだ。

あえて出身の宮城県を離れたのには、そんな理由がある。

最近、NHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」に触発されて、気象予報士の勉強も始めた。

話が飛ぶが、設定上、モネと僕は同級生だ。
生き方も重なる。
彼女の感情の変化も、ほとんど全て共感できた。
被災者では無い視聴者たちが、モネにどれだけ感情移入できたのかは分からない。

あのドラマは、震災を生き抜く人たちの感情の起伏をうまく反映した近年稀に見る良作だったと思う。

ドラマの中にこんなセリフがある。
「誰かのためって言うけど、結局は自分のためなんじゃない?」
東北出身で、防災意識が高すぎるモネが、"被災者では無い人"に突如浴びせられた言葉だ。

この言葉は社会貢献をしたいという心の芯をついていると思う。

まさしくその通りだなと、図星を当てられた感覚で、今も胸に刺さる。

NHKの記者になって、デカい仕事ができると思っていた。
だけど報道の仕事は、社会貢献というにはあまりにも正義が曖昧な仕事だ。
災害が発生した時、役に立つ情報を世の中に伝えるできるという意味では確かに社会貢献かもしれない。

だけど報道は基本的に"既に起きたこと"にしか対処できない。
「減災報道」という言葉があるのも知っている。
災害が発生する前に、危険性を指摘して注意喚起するものだ。

しかし、これはこれでさらに効果があやふやで、限定的だ。

特集番組でお伝えしたところで、果たしてどれほどの人が防災バッグを荷造りして、避難ルートを家族で共有するのか、正確なデータは調べようが無い。さらに、少なくとも、ただでさえ視聴率が落ちている"テレビのニュースを見た"人にしか効果は作用しない。

ものは考え様だと言われればそれまで。

ある視点に立てば、
「NHKの記者なら社会貢献するのに最適な職業」
に見えるだろうし、
別の視点に立てば
「NHKの記者だからといって社会貢献できるわけじゃない」

11年前のあの日、僕は。

高野会館

南三陸には、「高野会館」という民間が主体となって保存した震災遺構がある。

被災地に残される遺構のほとんどは、その災害の悲惨さを伝えるため、悲劇的な物語を持っている。

敢えてこの場所を紹介する理由は、ここが暗い過去を持たない特別な遺構だからだ。
そして、"震災教信者"の僕の巡礼場所でもある。

会館は昭和61年に建てられた結婚式場で、海からは300mほど。
東日本大震災当日は、町の高齢者の芸能発表大会が行われていたところ、大地震と津波にのまれた。

しかし、現場の決断でスタッフが利用者を外に出さず垂直避難、結果として327名と2匹の犬の尊い命を救ったのだ。

日頃からの防災に対する取り組みと高い意識を持っていたことが功を奏したと評価されている。

皆さんは11年前の震災、どんなエピソードをどれくらい覚えていて、今の生活に生かしているだろうか。

高野会館が持つ明るいエピソード

11年前のあの日。
僕は何を考え、何を求めたのだろうか。
"起点の思考・考察"は絶対に忘れてはいけない。
初志貫徹、初心忘るべからずと言い換えることができるが、実は薄れゆく記憶の引き出しを片っ端から開けても閉まっていたはずのメモ書きが見つからなくなってきている。

覚えているのは、ネガティブなものばかりだ。
世の中の不合理や理不尽に対して抱いた困惑と怒りの感情はずっと覚えている。

何日も避難所で過ごしているのに、誰も温かいお風呂やご飯を提供してくれない。

目の前に現れた物資の車に手を挙げて大声を出して助けを求めても、気にも止めてもらえない。

避難所にいながらにして、水の配給のボランティアを手伝っている時、見知らぬ50代くらいのおばさんが近づいてきて「へらへらしてんじゃないよ」と吐き捨てていった。

「良い行い」ってなに?
僕は今でもわからない。
自分がやっていることがどうして人のためになると言えるのか。

わからない。

そう。

結局は分からないのだ。

そんなことを考え続けても、永遠に分からない。
僕の11年目の結論。

「俺にはわからない
 ずっとそうだ...
 自分の力を信じても...
 信頼に足る仲間の選択を信じても...
 ...結果は誰にもわからなかった...
 だから...まあ、せいぜい...
 悔いが残らない方を自分で選べ」

これは、漫画「進撃の巨人」の登場人物、最強の兵士長リヴァイ・アッカーマンの大好きなセリフ。

要するに、開き直りなのだと思う。

自己中でいいのだ。
エゴでいい。
押し付けでいい。

自分で考えられる範囲で、自分なりに良い行いだと思うことをすれば良い。それが最善。

そう考えた時。

極論、僕が残りの人生でやるべきことはマスコミにはなかった。

なぜなら、マスコミがテレビや新聞を通してやることは世の中のためになるかは分からないからだ。
会社に雇われている僕がやることは会社のためになるということしか確証がなく、世の中のためになるとは遠回しにも言えないからだ。

誤解を解きたいが、マスコミの正義を否定したりしない。それは彼らにとっての"他人のため"なのだから。

だけど、少なくとも僕は納得も承諾もできない。

ただただ純粋に、人の命を助けたい。
そのためなら何だってするが、それはサラリーマンとしてでは無い。

あの頃、ラジオには連日被災者を勇気づける企画が流れ続けていた。その中で、こんなラジオがあった。

♪なんのために生まれて♪
 なにをして生きるのか
♪答えられないなんて♪
 そんなのはイヤだ!

聞き覚えのあるミュージックに合わせて、あるエピソードが紹介される。

「避難所での出来事。家を流され、
 慣れ親しんだ故郷が更地になり、
 絶望しているおばあさんがうなだれていた。
 そこに、高校生くらいの若者がやってきて
 おばあさんの目を見ながら優しく語りかけた。
 『どうか絶望しないでください。
  必ず僕が立て直しますから』
 言うまでもなく、高校生も全てを失っている」

11年目のきょう

僕はまだ諦めない

最後に

今後は皆さんに僕の成長と取り組みを見守って欲しいと思っています。
実はまもなくYouTubeチャンネルとTikTokの開設をして、noteと合わせ技で自己発信、さらにはあるプロジェクトを計画しています。

これをこの場で敢えて皆さんに告げるのは、宣言することによって自分が逃げないように強制したいと考えているからです。
僕は怠け者なので。 

できればコメントをください。
応援じゃなくてもいいです。批判でも。
誰か読んでくれていると分かるだけで勇気が出ます

様々な取り組みを通して、「自分の人生を世の中のために捧げたい」と考えている方々に出会えればいいなとおも思っています。
ぜひ今後とも応援よろしくお願いいたします。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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