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親を見送るということ

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記事一覧

親を見送るということ〜 風と共に去りぬ 編 〜

親を見送るということ〜 風と共に去りぬ 編 〜

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咽頭癌と告知されてから、半年余りで父は逝ってしまった。

父が生前一度だけ言ったことがある。

「自分のことが自分で出来なくなったら、おさらばだ。」

長い介護になるのでは?
これからどれほどの時間を父の為に費やすことになるのだろう。

戦々恐々としていた私たちのことを見透かしていたのかもしれない。

幾つになっても子供は子供、親は親。

いつも偉そうだったが、子供に苦労

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親を見送るということ〜 父らしい最期 編 〜

親を見送るということ〜 父らしい最期 編 〜

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咽頭癌で緩和医療を選択し、自宅療養中だった父が再度入院した。

おそらくもう家には帰れない。食止めもするので後1ヶ月はもたない、と宣告された。

今、父は何を考えているのだろう?

「最期はどんなふうに迎えたい?」
と訊いておいた方が良かったのだろうか?

訊けるわけがない。

自分の死を連想させるような話を父は嫌った。
結局遺言も書かなかった。

父が病気になってから、

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親を見送るということ〜 父、最後の入院編 〜

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咽頭癌で緩和医療を選択し、自宅療養中の父。

12月に入ると病状は明らかに悪化していたが、なんとか年末年始を乗り切った。

しかしヘルパーさんに頼ることも増えたし、貼るタイプの麻薬(痛み止め)も少し強いものになった。

父は薬が変わったせいで自分の体調が悪くなったのではないかと思っていたようで、前のものに戻して欲しいと訴えていた。

私たち家族には上手く父を説得することは

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親を見送るということ- 父のジレンマ 編 -

親を見送るということ- 父のジレンマ 編 -

12月も半ばになり、

「年末に具合が悪くなっても入院出来ないから、年末年始だけでも入院させたい」

と母が言い出した。

介護士さんも「その方が良いかもしれない」と父を説得してくれたのだが、父は頑として聞き入れなかった。

12月28日までに入院の申請をすれば受け入れてもらえるらしい。
それまでに説得できれば、ということで私の出番となった。

私が言えば父は怒ることは無いが、説得できる自信も無か

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親を見送るということ- 父にできること 編 -

親を見送るということ- 父にできること 編 -

咽頭癌の告知を受け緩和医療を選択し、放射線治療である程度回復した父は9月半に自宅に戻った。

しばらくの間は周りを驚かせるほど回復したように見えた。

しかし、12月に入ると首のリンパが私の目で見てもわかるくらい腫れてきた。
 
そして効き目の軽い貼るタイプの麻薬のようなものも使い始めた。

母は「確実に悪くなっている、夜中もベッドから出て頭を押さえて座ってる。私だって気になって眠れない。」と言う

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親を見送るということ- 父、帰る編 -

親を見送るということ- 父、帰る編 -

9月半ば父は退院の日を迎えた。

人生初の入院から解放された喜びもあってか、いつにも増して元気だった。

荷物も自分で持つと言い、まるで病が完治して退院する人のようだった。

こんなに元気なのに、本当に年単位で生きられないのだろうか?

しかし退院できる喜びで張り切っている父を見る担当医の目は悲しそうだった。

この病気は可哀想なんですよ。
食べることも出来ない、リンパにも転移しているから頭が圧迫

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親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 後編 -

親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 後編 -

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父の胃瘻を作る手術も終わり、退院の日も決まった。

胃瘻を使っての食事の仕方を家族にも知っておいてもらいたいということで、また病院に招集された。

鼻に入っていたチューブを抜いた父はサッパリしたようで、前回会った時からは想像もつかないくらい元気になっていた。

認定調査の日は最悪のコンディションだったせいか要介護5という結果だったのだが、それが信じられないくらい元気だ

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親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 前編 -

親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 前編 -

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私は長いことタバコを吸っていた。

何度も辞めようとしたことはあるが、辞められず半ば諦め開き直っていた。

しかし退院してからタバコは吸っていない。
父と娘、どちらも喉の病気で入院だなんて

「もういい加減タバコは辞めなさい」

と、神様かご先祖様に言われた気がしたからだ。

一方で、認定調査の日の父は絶不調だったらしい。

自分の名前を言うのがやっとで、車椅子に座っ

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親を見送るということ- 私の喉にも違和感が 編 -

親を見送るということ- 私の喉にも違和感が 編 -

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本人の同意を確認し、父は放射線治療を受けることになった。
まずは放射線担当の先生に説明を受け、同意書にサインする。
次に、治療後自宅に戻ってからのことをサポートしてくれるスタッフとの話し合い。
病院では1人の患者に何人ものスタッフが関わるのだと、改めて知った。

放射線治療をしたら、その後また癌が進行していったとしても、もう他に出来ることはない。

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親を見送るということ- 父、決める 編 -

親を見送るということ- 父、決める 編 -

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父のあれこれの最中に突然体調を崩した母だったが、消化器内科を受診したところ「逆流性食道炎の疑いがある」とのことだった。
入院の必要はないとのことだが、しばらく薬を飲んで様子を見ることに。

一方父は、胃から直接栄養を摂れるようになったことで体力が戻り、担当医からの説明も理解できるようになった。

当時もコロナ禍ではあったが、「これからの治療方針につ

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親を見送るということ- 母まで入院? 編 -

親を見送るということ- 母まで入院? 編 -

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しかし、父は持ち堪えた。

担当の先生から、

「またいつこんな事があるかわかりません、覚悟はしておいて下さい。」

と言われた。
いつどうなるかわからなくても、私たちは帰らなければならない。
しかも今はコロナ禍で面会もままならない。
それに家から病院まで車で1時間はかかる。
いざという時、看取る事も出来ないかもしれない。

帰り道、母は処置室にい

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親を見送るということ- 父、はじめての入院 編-

親を見送るということ- 父、はじめての入院 編-

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父が下咽頭癌との診断を受けてから数日が経ち、家族は最初の決断をしなければならなくなった。
選択肢は大まかに分けて3つ。

1.完治を目指して手術をするその場合気管切開はマスト。
手術の内容としては、声帯も食道も切除し、腸の一部を切り取って食道として移植するというもの。10時間にも及ぶ大手術である。
しかし年齢的に抗がん剤は使えないし、長い手術に肺や

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親を見送るということ- 突然の告知 編-

親を見送るということ- 突然の告知 編-

父が近所の耳鼻科の先生から大学病院を紹介されたのは、2020年初夏のことだった。
咽頭癌の疑いがある、とのことだった。
1度目の緊急事態宣言が解除されたころから「喉風邪がなかなか治らない」と言っていた父。
かかりつけの病院で薬は処方されていたものの症状は一向に改善せず、肺のレントゲンを撮っても異常はみられなかった。
1ヶ月以上こんな状態が続いたため、耳鼻科を受診させたところで話は冒頭に戻る。
先生

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