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親を見送るということ- 突然の告知 編-

父が近所の耳鼻科の先生から大学病院を紹介されたのは、2020年初夏のことだった。
咽頭癌の疑いがある、とのことだった。
1度目の緊急事態宣言が解除されたころから「喉風邪がなかなか治らない」と言っていた父。
かかりつけの病院で薬は処方されていたものの症状は一向に改善せず、肺のレントゲンを撮っても異常はみられなかった。
1ヶ月以上こんな状態が続いたため、耳鼻科を受診させたところで話は冒頭に戻る。
先生によると頸部のリンパも腫れており、すでに転移しているかもしれない、とのことだった。

まさに、「まさか」であった。
私の知る限り父の家系で癌を患った人はいなかったし、父は基礎疾患もなく身体の丈夫さだけが取り柄みたいな人だった。
だから正直、「咽頭癌」という可能性は考えつきもしなかった。

それから数日後、母と私も一緒に大学病院について行った。
高齢だったらきっと癌の進行は遅いし、咽頭癌なら放射線治療で治ると聞いたこともある。
しかも父は悪運が強い。今までだって何かしらハプニングを起こしては周囲を振り回してきたけれど、最後にはなんとかなっていたじゃないか。
今回もきっと大丈夫。きっと治る。そう思っていた。

大学病院での検査結果は、「下咽頭癌」だった。
もうすでにリンパにも転移しているが、まだ他の臓器への転移は認められない、ということだった。

その日から私たち家族はいくつもの選択をしてゆくことになる。

①完治を目指して手術をするか
②完治は期待出来ないが、放射線治療である程度の回復を期待するか
③何もしないか


どれを選ぶにしてもメリット・デメリットがある。
85歳の父にとってはどの治療法が正解なのだろうかーーー
突如として選択肢を突きつけられ困惑する私たちをよそに、癌細胞の暴走は勢いを増していった。
検査をしてから結果が出るまでの数日間で、父は食事もまともに摂れなくなり、水を口に含むことすら辛そうな状況に陥った。

「このままでは死んでしまう」

短期間で一気に弱っていく父を見て危機感に駆られた私は、「とりあえず入院しよう」と父に提案した。
しかし父は朦朧とした意識の中でも首を横に振るのだった。
私は「一生のお願いだから」と懸命に説得した。
やっとのことで父は小さく頷いた。
父はあの時覚悟していたのかもしれない。入院して病院で死ぬよりも、家で死を迎えたいと思っていたのかもしれない。

父は昔から人騒がせな人だった。
私がまだ子どもの頃のことだ。母の実家に帰っていた私たちを迎えに来る途中、父は車ごと川にダイブした。
連絡を聞いた母と叔父叔母は「病院に行くから、従兄弟たちと留守番していろ」と私に言った。私は泣きながら待っていた。

結局父は怪我一つせず帰ってきた。車はダメになってしまったけれど。
買ったばかりの新車なのに、と母は大激怒していた。
そもそも夫婦喧嘩の末の里帰りで、素面では迎えに来れなかった父が、お酒の力を借りて迎えに来る途中の出来事だったらしい。
(昔は飲酒運転なんて当たり前みたいな時代だったのだ。)
結果、なし崩し的に私たちは家に戻ることになった。

他にもお酒での失敗は数え切れないほどある。
母が常々「身体のことを考えてお酒はもう少し控えてほしい。タバコもやめてほしい。」と言っていたが、父の答えはいつだって「だったら死んだほうがマシ」だった。
そんな父がある日突然タバコもお酒もやめた。初孫である私の娘が生まれたことがきっかけだった。
どうせ続かないだろう、と思っていたが、禁酒禁煙生活は二十数年に及んだ。

それなのに咽頭癌になってしまうなんて、まったく想像もしていなかった。


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