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親を見送るということ- 父、決める 編 -

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父のあれこれの最中に突然体調を崩した母だったが、消化器内科を受診したところ「逆流性食道炎の疑いがある」とのことだった。
入院の必要はないとのことだが、しばらく薬を飲んで様子を見ることに。

一方父は、胃から直接栄養を摂れるようになったことで体力が戻り、担当医からの説明も理解できるようになった。

当時もコロナ禍ではあったが、「これからの治療方針について家族でよく話し合ってほしい」という担当医の計らいもあり、出来る限り面会ができるような環境を整えてもらった。

今思えば、その時からすでに父にいつ何が起こっても不思議ではない状態だったのかもしれない。

そろそろ今後の治療方針を決めなくてはならない。
弟にも仕事を休んでもらって、一緒に病院に行くことにした。

私と弟は、本人の意思を尊重したいと考えていた。
いくら親だとはいえ、直接生死に関わることについて決断するのはとても怖かった。

どの道を行くにしても、本人が納得して選んだ道ならば、私たちもさほど罪悪感を感じることなくついて行ける。
たとえそれが茨の道や崖道だったとしても。
 
母は手術には反対していた。
「もし手術をしてうまくいったら、喉に穴を開けたお父さんが帰ってくるのか?今の私にはとても見てあげることなんて出来ない」と言うのだ。 

85歳の父が手術を受け、もしそれが成功したとしても、果たしてどんな状態で家に帰ってくるのだろう?
あと何年生きることになるというのだろう? 

母が不安に思う気持ちもわかる気はした。

もし私が父の立場だったら、そう想像してみた。
私だったら、できる限り痛くない方法を選ぶだろう。 
何もしないで痛みだけ取る。
どっちにしたって、いつかは死ぬのだ。
何をもって「生きる」というのか?
「生きる」「生かされる」
字面は似ているが、状態としてはまるで違うのだ。

父は迷っていた。
もしかしたら手術に賭けてみたいと思っていたかもしれない。
しかし母は手術に反対している。
父自身も、自分の体力に自信を無くしているところはあった。
出血したあの時に、一度覚悟を決めたのかもしれない。

何が正解かはわからない、でも決めなくてはいけないのだ。
私は、「もし私がお父さんの立場だったら、放射線治療を選ぶと思うよ」と父に言った。
 
「何もしない」を選ぶと言えなかったのは、わずかばかりでも可能性があると示してあげたかったからだ。
父は「そうか?やっぱりそれがいいかな!」と、安心したように言った。

元気だった頃の父は、私のことをいつまでも子供扱いしていた。
もういい歳だと言うのに。
それまで私の言うことなんて素直に聞いたことがなかった。 
 
なのに今目の前にいる父は、すんなりと私の意見を聞いて安堵の表情まで見せている。
「なんだか弱くなっちゃったなぁ」
そう思った途端、ぽろぽろと涙が溢れた。
雫が溜まった不織布マスクの中の不快指数は上がる一方だったが、外すことはしなかった。
父の前で泣き顔を見せるわけにはいかなかったから。


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