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対話6/これって本当に豊かな社会なのか?(前編)


※本記事は対話形式で進んでいきます。
※イ=イト吉、与=与多朗の発話です。
※連想があればぜひコメント下さい!


イ:今日さ、高円寺でゲロをつつくハトがいてさ。
で、そのゲロを隠すためにティッシュが被せてあって。
そのティッシュまでハトがつついててさ。
バスの車輪の近くにゲロがあったから、ゲロに夢中なハト達が轢かれそうになっててさ。

与:ディストピア小説の話してる?

イ:現実やねん。それ見てたら、なんかもう、やんなっちゃって。

与:最近、恵比寿駅にもゲロがあちこち吐かれてたことあったな。
上京してから結構驚いたかも。
街にこんなにゲロ吐かれてるのって東京だけじゃない?

イ:うっ、そうかも…。酒でストレス発散せざるを得ない人が多いんかな。

与:かもね。ちょっと違うけど、この前、電車内でスマホ弄ってる32歳くらいのお母さんがいて。んで、その隣には、スマホでYouTube見てる3歳くらいの女の子がいたんだよね。

イ:あーー、最近よくみるね。

与:なんかそれ見てたらさ、
これって、本当に豊かな社会なのかな?
これが僕たちの望んだ社会像なんですか??って。

イ:望んでないよ〜〜〜。

与:そうなんだよ。3歳の子がYouTubeを楽しいって思ってんのとかもちょっと不安になるわ

イ:わかる。それでいうと、昔遊びの楽しさってまだ生きてるのかな?
昔遊びって、不便さの中に楽しさを見出すものが多かったと思うんだよね。

与:というと?

イ:んー、例えば、ベーゴマ回すのに糸を巻くのが難しかったり、時間かかったりとか。面倒くささもあって初めはうまくいかないけど、だんだん自分でコントロールできるようになるのが楽しい、みたいな。

与:なるほどね。

イ:YouTubeには肌感覚がないというか。インプットにはなるけど、上達の楽しみは無いじゃない?忙しい親御さんの助けにはなるかもだけど…。

与:関連するかわかんないけど、昔の遊びって、仕組みが分かるものが多かったんじゃないかな?
ジェンガとか、竹とんぼとか、だるま落としとか。
なんでこれがこうなるってのが、事象として考えて分かるものが多かったような気がする。

イ:たしかにね。任天堂Switchやってる時に『なんでこう反応すんのかな』
とか普通は考えないもんな。完全な受け身になるというか。

与:関連で、ミルクボーイのコーンフレークのネタなんだけど。

イ:ほう。関連できる?笑

与:「コーンフレークは生産者さんの顔が浮かばないのよ」って台詞があるじゃん?あれって、”原料のとうもろこしが加工されすぎて、どうなった何を食ってんのか意識してない”ってことを指摘してると思うんだよね。

イ:おお。確かに。

与:つまり、任天堂Switchっていう。

イ:「任天堂Switchは遊びの過程が分からないのよ」ってことか。
昔遊び以外でも、与多朗君は、どんな遊びが健康だと思う?

与:僕はデジタルを嫌ってるわけじゃないけど、やっぱりアナログな遊びが健康的だと思っちゃうかなぁ。
カードゲーム、かくれんぼ、泥だんご、お絵描きとか。
逆に、スマホとかゲームは不健康だと思う。

イ:なんか、私たちが仮に健康と捉えてる遊びって、楽しさを能動的に獲得していくイメージあるわ。
スマホとかゲームはやっぱり、勝手に面白さが舞い込んでくるイメージ。

与:それはそう思う!
ちょっと話変わるけど、今、デジタル教科書とか流行ってるじゃん?
パソコンでメモとったりとか。
個人的に、あれがあんまり好きじゃなくて。

イ:ああ。んー、例えば、書字ができなくてタイピングなら板書できる子にとっては良い配慮になるのかもしれないけど…。

与:あー、そっか。

イ:でも、手書きするから身につくこともあるとは思う
”書き込む”とか、”付箋を貼る”とか、”ページをめくる”とか、肌感覚を養うことって、やっぱり大事な気がする。

与:そうだよね。中高の頃とか、紙辞書引けって言われた?

イ:言われたわ。笑

与:書いて脳が刺激される、みたいなこともあるんだろうな。

イ:ちょっとゲームの話に戻すけど、現実世界のやりとりで他人の心を想像するのと、ゲーム内で想像するのは、バーチャル/リアルの度合いが違うかもって思ったりする。

与:どゆこと?

イ:ゲームにはゲームの良さがあるかもしれないけど、要は、対人間でしか生じない心の動きってのがあると思う

与:あー。それでいうと、人間って、めちゃくちゃ変数なんじゃない?

イ:おお…良い言葉。

与:人間は、ゲームで複雑に表現してもしきれない変数だと思う。
ゲームの世界って、確率とか規則・法則を使ってできてる感じだよね?

イ:うん。ゲームは構造が数学的ってか、システマティックな感じはする。

与:人間は変数すぎるんだよ。うまく言えないけど、例えば、ごっこあそびとかも、実はめっちゃ頭使うんじゃないかみたいな。

イ:なるほど。それでいうと、頭脳だけじゃなく身体感覚も使う遊びは、体験として二次元で終わらない立体感があると思う。
例えばなんだけど、キャッチボールの楽しさって、言語化難しくない?

与:それはめっちゃわかる。

イ:言葉にすると、”ボール投げ合うだけ”じゃん。
私もそうだけど、スマホとかゲームの複雑さに慣れてる人間からして、聞いただけだと正直めっちゃつまんなそうというか。

与:なるほどね。笑

イ:正直、前に与多朗君からキャッチボールに誘われた時、楽しいとは予想してなかったんだよね。率直にいうと舐めてた。

与:舐めんな。

イ:でも、やってみたらめちゃくちゃ楽しかった。
あえて言葉にするなら、普段動かさない筋肉を動かす気持ちよさとか、ボールをキャッチできた時の感触とか。
やってみて初めて、あの感動が実感できるなと思う。

与:キャッチボール大好きじゃん。

イ:でもあれは、外に連れ出して”やろうぜ”って、やらないと分からんのよな…。ゲームの楽しさしか知らない子には一度体験させてみたい気も。

与:ゲームの楽しさね…。うーん、僕はやっぱり、終わりのないゲームって好きになれないかな。
ソシャゲとかも、アップデートされ続けるし、終わりがない。
終わりがないって怖いと思う。

イ:時間の有限性の対話でも話したけど、終わりがないと自分で区切りつけないといけないからね。底なし沼というか。

アゴラの鐘『カンカンカン!今日は終了のお時間で〜す』


本日の対話はいかがでしたか?
思った以上に盛り上がったので、前半は一旦区切りたいと思います。
対話は後半も続きます。お楽しみに〜

今の社会について思ったことあれば、是非コメントください!

みなさまとの対話を心待ちにしています。
それでは、また〜


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