自己紹介:Artist profile
Profile:プロフィール
Name(名前)
Takashi Yoshioka(吉岡 謙志)
Date of birth(生年月日)
1992/12/13
Birthplace(出身)
長崎県南島原市(Minamishimabara City, Nagasaki Prefecture)
Activity content(活動内容)
写真造形、インスタレーション、ワークショップ、展示企画、プロフェッショナルコーチング
Career(経歴)
2011 NIPPON STEEL
2018 吉岡製麺所 職人・CBO
2021 腸内細菌・遺伝子解析プランナー/コーチング
2023 アーティスト活動開始/京都芸術大学在学中
Exhibition history(展示歴)
Note記事:2023/3
【福岡】First solo Exhibition Embodiment: 写真と身体の一体化
Note記事:2023/5
【長崎】Second solo Exhibition at Iki BASE「Iki Mandala installation art」
展示の様子 on YouTube
壱岐新聞:ご掲載頂いたワークショップの模様
Note記事:2023/11
【京都】京都グループ展「誰の性」
Artist Statement:これまで考えていたことと今考えていること
機械または人工的な知能と人間を対比して考えた際に、人間らしさとは一体何なのかという問いが浮かび上がります。この疑問を探求する中で、まず思い浮かぶのは人間らしさの本質であり、それは、何よりも先に身体に関連しています。身体の動的平衡を保つ仕組みの美しさに引かれたことも起因します。また、人間らしい創造性にも興味を抱くようになりました。この観点から見ると、人間らしい創造性とは何かという問いに取り組むうちに、ART(芸術)が浮かび上がってきました。そして、写真と身体が一体化していくような作品を制作することに至ります。
人生を振り返ると、私は長い間、何かを作り出したり、造り上げたり、創り出し続けてきました。創造の過程で、物質的な成果物の美しさだけでなく、その物質に見立てる精神性の美しさにも気づき、それを培ってきました。私にとって、ARTの役割は、精神の恒常性が保たれるべき領域に対して違和感をもたらすことにあると考えています。今は特に身体性に注目しており、多角的な視点から身体性を探求しながら、身体性をテーマにしたARTについての理解を深めていくことに力を注いでいます。
身体性の具体的な役割と展開
「身体性とは」
身体性とは、外界の環境と相互作用を持つ身体によって知覚や体験を得ることができ、そこからも学ぶことで高度な知能を獲得していくことが可能だと考えられるものです。そして、私は身体性の本質が知覚にあると考えています。知覚とは、対象の意味を理解することであり、もう少し詳しく言えば、自分の周りの環境を理解するために知覚情報を統合し、解釈することです。
「身体をプリンターとしての使用する」
身体性を通じて、作品の創造過程に身体を直接組み込んでいます。身体をプリンターとして活用することで、写真を印刷するという行為が単なる技術的な手法を超え、身体そのものが創造の一環となることを強調しています。これによって、作品は単なる視覚的な出力ではなく、身体の動きや触感、感覚的な経験が結びついたものとなります。
「微妙な揺らぎと個人的な特性の反映」
身体をプリンターとすることで生じる微妙な揺らぎや変動は、機械的な方法では再現できない個人的な特性を作品に注入します。同じ操作でも異なる結果が得られることを受け入れ、それによって作品が個人の身体と感性の表現となることを重視しています。この個人的な特性が、作品に観る人々の感情や経験との共鳴を生む要因となります。
「身体性のプロセスと体験の理解」
自身が身体を通じて作品を生み出すプロセスを体験することで、身体性の重要性やそのプロセスにおける知識を獲得します。この体験は、観る人々が作品を見る際にも伝わり、作品に込められた身体性の意味や価値をより深く理解する助けとなります。
暗黙知との関係性の探求
「感覚と直感の結びつき」
身体性を通じて感じる微妙な揺らぎや質感を通じて、観る人々に感覚的な共感を生むと同時に、その感覚が暗黙知としての知識や直感と結びつく可能性を追求しています。作品が触発する感覚や感情は、観る人々の内なる暗黙知との共鳴を促し、その知識の共有を可能にします。
「物事の本質の理解と多様性の受容」
身体性を通じて感じることによって、物事の本質や深層の要素に気付くと同時に、それが異なる人々によって異なる受け止め方をすることを理解しています。この多様性は、暗黙知の観点から、異なる視点や経験が異なる知識や気づきをもたらすことを示しています。
「自然の共感と共通の暗黙知」
自然から心惹かれる要素を選ぶことによって、観る人々に自然界との共感を醸成し、自然に対する暗黙知が共有される機会を提供しています。観る人々は、自然とのつながりを通じて、暗黙知を感じ取り、自然界の美しさや多様性に気付くことができます。
「身体性と暗黙知」
「身体性」と「暗黙知」を作品に統合することで、感覚的な体験と非言語的な知識の相互作用を通じて、観る人々に感情的な共感や深い理解をもたらす狙いを持っています。身体性が作品の創造プロセスを豊かなものにし、感覚的な共感を生み出す一方で、暗黙知は作品に込められた知識や意味のハイコンテキストな部分を感じ取る道を開いています。観る人々は、身体性と暗黙知の相互作用を通じて、新たな気付きや洞察を得ると同時に、自身の経験や感情の中に作品の意味との共鳴を感じることができます。
写真と飴細工:舐めたくなる作品を作りたい
「『舐める』という行為にみる身体性」
「舐めたくなる作品を作りたい」という衝動に駆られるのは、「舐める」という行為の中に「身体性」を見るからです。この行為は、人間や動物にとっての基本的な感覚体験であり、マルチモーダルな感覚を通じて世界を知覚する手段となっています。特に口という器官は、乳飲子の頃から生存し成長するため、生命の根源的な経験を象徴しています。
「『舐める』行為の意味と本質」
「舐める」行為は、原始的でプリミティブな行動ですが、その中に身体の感覚と知覚する体験が詰まっています。口からの触覚や味覚、圧覚、嗅覚などの情報が結びついて、外界の情報を総合的に受け取ります。これにより、物体の質感や味わい、香りなどを感じるだけでなく、感情や記憶とも結びつけられます。このような複合的な体験は、単なる感覚を超えて、知覚し、本質的な理解を生み出します。
「身体性の表出と境界の溶解」
「舐める」という行為を通じて、人間や動物は身体と外界との境界が溶ける瞬間を経験します。飴細工という表現方法は、舐めることで物質が変化し、触感や味わいが変わる様子を視覚的に提示する手段となります。この変化と経験は、身体の感覚を通じてしか理解できないものであり、非言語的な知識や感情が結びつく「暗黙知」を具現化する一環と言えます。
「作品と観る人々の融合」
「舐める」という行為を通じて、「身体性」と「暗黙知」が作品と観る人々の間で融合します。作品が身体的な触感や質感を持つことで、観る人々は自身の感覚や記憶が喚起され、作品との結びつきが強まります。観る人々も「舐める」行為の象徴的な意味や経験を通じて、作品の奥深い意味を理解し、感じることできるはずです。
「手作業と感覚の統合」
飴細工は手作業で行われるため、手の動きや感覚が作品に直接反映されます。これにより、身体のマルチモーダルな感覚や運動の要素が作品に取り込まれ、結晶化した作品自体が身体的な存在として感じられるようになります。観る人々は作品を通じて、手の動きや触感を想像し、その身体性との共鳴を体験することができます。
「身体的な共感の喚起」
飴細工の手作業の過程や触感は、観る人々にも身体的な共感を喚起します。作品を見るだけでなく、飴細工を行う過程を想像することで、観る人々の感覚が刺激され、作品との身体的なつながりが深まります。このような体験を通じて、作品が観る人々の身体に対する意識を高め、視覚だけでなく触覚や運動など複数の感覚を介して作品を理解することができます。
暗黙知と飴細工の関係性
「非言語的な要素の表現」
飴細工には触感や香りなどの非言語的な情報が含まれています。飴細工を写真作品に組み込むことで、写真だけでは表現しきれない感覚的な要素を作品に取り入れることができます。観る人々は、写真を通じてこれらの非言語的な要素を想像し、自身の経験や感覚と結びつけることで、暗黙知を感じ取ることができます。
「感覚と記憶の連携」
飴細工による触感や香りは、観る人々の感覚を刺激し、それによって過去の経験や記憶が呼び起こされる可能性があります。写真作品を通じて感じられる飴細工の要素は、観る人々の内なる暗黙知と結びつき、個人的な意味や経験を引き出す助けとなります。このような感覚的な連携は、観る人々の心に深い感情や共感を生み出す要因となります。
「総合的な関係性」
「飴細工」は、手作業と感覚的な要素を通じて「身体性」と「暗黙知」を作品に統合する手段として機能します。飴細工の触感や香りを写真作品に取り入れることで、作品が物質的でありながら感覚的な存在として観る人々と対話し、彼らの感性や経験を呼び起こす役割を果たしています。この統合されたアプローチによって、観る人々は作品を通じて自身の身体的な感覚と内なる暗黙知との関係を再発見し、深い共感や洞察を得ることができます。
身体的な概念について
作品を通じて身体に根ざす非言語的な概念理解の積み重ねにも焦点を当てています。これは、無意識のうちに身体的な行動に影響を及ぼしている概念や感覚の複雑なネットワークを意味します。具体的な概念として、「いき」という概念を取り上げます。
「いき(粋、意気)に見る身体に染み入る文化」
「いき」には、「粋」や「意気」などがあります。「いき」という概念は、緊張と緩和の中立的な位置における、絶妙なバランス感覚にあります。見えるようで見えないことを望むような性的な欲求もここに深く関係します。これは、知らず知らずのうちに、身体に染みついた概念であると言えます。
この「いき」の概念は、無意識のレベルで身体に浸透しており、人々が気づかない間に身体的な行動や反応に影響を与えています。このような非言語的な概念や感覚は、日常的な行動やコミュニケーションにも影響を及ぼし、人々の行動や選択に微妙なニュアンスや深層の意味を与えています。これらの概念が個人の経験や文化と密接に結びついており、その複雑な関係性や影響を表現しようと試みています。
無意識のうちに働く概念や感覚の奥深さを感じ取る機会を提供し、人間の複雑な心理や身体的なつながりに対する新たな理解を促すことを意図しています。また、身体を通して物事の本質を理解する重要性を語りかけています。
最近考えていること、「包摂」について
2023年10月から始める全国での活動
青写真ワークショップを全国で実施する
「ワークショップの内容」
近辺を散策して「ときめくもの」を採集し(例:植物など)、プリンターを使わずに光でプリントする。1800年代のクラシックなプリント技法の一つであるサイアノタイプは、安全で、簡単に作業ができ、幼児から大人までが楽しみ感動する体験ができる。
プリントした写真(作品)は乾燥後、制作者のオリジナルサインを記して額装する。そして重要なのが、「作品を制作者が見立てる時間」と、制作者以外の人がその作品についての「質問をする、もしくは、想いをシェアする時間」である。想いをシェアし合う時間までを一つのアートの形として捉えるインスタレーションとしている。
対話の中で互いに触発され、当たり前(常識)が揺さぶられる。思いがけない気づきと創発が生まれることを期待している。
直感的な心の動き(ときめき)をもとに、無意識の心地よさを、クラシック写真をするという動作の中で知覚し、社会評価に寄らない、内側から湧き上がる感情や感覚、感性をもって作品を見立てることで、自ら価値を創造し、一連の身体動作の中で知覚したものを理解していく。
これまでに150人ほどにクラシック写真をプリントしていただいた実績があり、年齢層は4歳〜80歳の方々に体験していただいています。
「ワークショップで制作した作品集」
WSの詳しい内容については、こちらをご覧ください。
「ワークショップの経過報告」
ワークショップの模様をマガジン(ワークショップの風景)で逐次発信しています。
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