映画「タクシードライバー」レビュー
タクシードライバー(原題: Taxi Driver)
第29回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品
<監督>
マーティン・スコセッシ
<出演>
ロバート・デ・ニーロ
シビル・シェパード
ジョディ・フォスター
など
<音楽>
バーナード・ハーマン
<公開>
1976年2月(米国)
1976年9月(日本)
■紹介文
これは主人公トラヴィス・ビックルの危うい精神を描いた映画。
トラヴィスの顔や身体は映るし、彼のいない場面もあるので、完全なる一人称ではないが、彼を中心とした世界がこの映画の多くの割合を占める。
彼は客観的な数字やスケールでいえば、大きな問題を抱えているわけではない。
例えば、莫大な借金があるとか、自分や恋人が不治の病にかかっているとか、ホームレスになってしまったとか、謎の組織に命を狙われている……などといったことはない。
一応寝泊まりする部屋も仕事もある。
でも、それより上のステージに行ける気配はなく、うだつが上がらない日々。
娼婦や麻薬売人などのあふれる街。
吐き気を催すほど気に食わない。
ポルノ映画を観に映画館に通うが、その場しのぎの埋め合わせのようである。
精神が満たされない日々。
どこか周りの人とズレている。
歯車がかみ合わない。
孤独。
そんな中、通りがかった選挙事務所でベッツィに惚れる。
彼女とデートをすることにこぎつくが……
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ここからラストシーンを含むネタバレです
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■ストーリーについて(ネタバレあり)
ベッツィとデートをすることにこぎついたトラヴィスだが、そこまで仲も深まっていないのにポルノ映画に連れて行ってしまう。
でも彼にしてみれば、いつもよりランクの高い映画館で、服装もお洒落にキメて、誠意を尽くしているつもりだったのかもしれない。
やはりズレている。
当然ベッツィは怒り、帰ってしまう。
その後トラヴィスは謝りの電話を入れたり、花をおくったりするが、うまくいかない。
つき返された花が部屋にあふれているシーンがあるが、その量はおびただしく、ここでも彼のズレがあらわれている。
せっかくのチャンスをふいにしてしまい、結局孤独な日々を送ることになる。
彼にとっては世の人々が徒党を組んで自分を疎外していて、ベッツィもその一員だったように感じられたのだろう。
仕事仲間の中には、親身になって話をしてくれる人もいるが、それでも彼の気持ちは晴れない。
彼は、その後武器商人から銃を購入し、少女に売春をさせて金儲けしているマシューらを殺した(マシューはスポーツというあだ名の男)。
殺意の芽生えにおいて、失恋は一つのきっかけとなったが、これが原因の全てではないと思う。
日頃から彼はフラストレーションとジレンマを抱え、行き場のない思いを、どこでどんな風に処理すべきか持て余していたのだろう。
彼は失恋などしなくとも、人を殺すことになったかもしれないという推測もできる。
「達成するために、長い間ずっと努力を重ねてきたんだ」というような目標などはない。
漠然と自分の日常を変えたいと思い、場当たり的に気分が変わって行動を起こした。
マシューを殺す前のシーンで、彼は次期大統領候補パランタインの集会にモヒカン姿で現れていた。
そこで、パランタインがスピーチを終えたあと、トラヴィスはジャケットの胸ポケットに手を入れ、銃を握った。
ボディーガードに見つかり、発砲することにはならなかったが、もし、誰にも邪魔されなかったらどうなっただろうか。
もちろんこれはたらればの話なので言い切ることはできない。
途中で思いとどまり、発砲せずに帰るシナリオだって考えられる。
しかし、そのままパランタインを射殺する可能性だって十分すぎるほどあったわけだ。
実際にはマシューらを殺したことで、新聞で称賛され、売春をしていた少女アイリスの親からは感謝の手紙が送られることとなった。
しかし、成り行きが違っていたら、彼は次期大統領候補の殺人犯にもなり得たのだ。
そこにこの男の皮肉と哀愁がある。
孤独と殺意が結びついてしまうことは現実の事件として海外でも国内でも起こっている。
掲示板やブログなどでそうした犯人に対して共感を示す人もいる。
実際に行動に移しそうになったけど、踏みとどまった人もいることだろう。
一線を越えて行動してしまうか、妄想するだけで終わるかでは、結果的には大きな差が生まれる。
妄想で終わった場合は、あまり明るみに出ない。
事件を起こしていないある個人の孤独と殺意を各メディアがこぞって集中的に報道するということはない。
どこかに住んでいる孤独なA氏が大量殺人の妄想をしたからといって、みんなが知っているニュースにはならない。
引きこもりや孤独死の問題が、テレビ等で取り上げられることはある。
しかし、実際に犯行に及んだケースを除いて、そうした危険で破壊的な願望は大抵隠されている(どこまで伝えるべきか、隠すべきかは、諸々のことを考慮すると実際には難しい問題だ)。
だからつい見逃してしまいがちだが、そうした事件を起こす可能性のある人は潜在的には結構たくさんいるのかもしれない。
それを思うと、この物語がさらに現実味を帯びて感じられる。
また、この物語は創作ではあるが、脚本家は実際にあったアラバマ州知事銃撃事件の孤独な犯人の日記からヒントを得たという。
そして、その脚本家も同様に孤独を感じていた。
その辺りの事情は、下記の町山智浩氏の書籍に書かれている。
ネット上でこんなのヒーローじゃないといってこの映画を批判している人がいたが、そもそもそういう趣旨の映画ではない。
ジャンルが違うのに自分の観たいジャンルじゃないからと低評価をつけるのは何だか変な気がする。
わざわざ自分から野球場に行って、「僕はサッカーがみたいんだ!」といって野球に文句をつけるなんていう人がいたら、それはおかしな話だろう。
もちろん映画の場合、上の例と少し違うところはある。
ブルーレイや各動画配信サイトに多少の説明はついているが、蓋を開けてみないと分からないところは結構多い。
でも、紹介文だけでいくらか推し量ることのできる部分もある。
以下に2つ例を挙げる。
これで「これは俺の求めている正義感あふれる漢の中の漢を描いた英雄物語じゃない!」と怒っても、どうなんだろうと思う。
「感動的なヒーローものじゃないと嫌なの」という人は、他をあたれば、その手の名作はたくさんあるので、そちらを観ればいいのではと思う。
■音楽について
劇中、甘くムーディーな曲が繰り返される。
その甘さはトラヴィスの欲するものを表しているように思えた。
しかし、それは彼のものにはならない。
そんな甘さからは隔離されているかのように日々を過ごす。
それを思うと、この甘い音楽も覚束ない不安定な浮遊感と苦みを伴って私の耳に届いた。
その隔絶を表現するべくこういう音楽にしたのかは分からないが、私にはそう感じられた。
作曲はバーナード・ハーマン。
「市民ケーン」や「サイコ」などの名作映画の音楽を手がけた巨匠である。
■ロバート・デ・ニーロの演技について
どのシーンもすごいが、ここではシーンを2つ選んで述べることにする。
・パランタインのガードマンに親しげに話しかけるシーン
ガードマンがつけているピンや持っている銃などについて話すところで、子どものように無邪気な表情を見せる。
そこに隠れる狂気。
もう絶妙に怪しいやばい奴。
これは演技なのだろうかと疑いたくなるくらいの生々しさだ。
・マシューに話しかけるシーン(モヒカンにする前)
マシューの言葉に固まり、サングラス越しにマシューをじっと見つめるところが印象に残った。
すぐにでも何かが起こりそうな危ない緊張感。
途中で笑みを浮かべるがそれはそれで怖い。
マシューから離れ、アイリスの方に行こうと、身体を回すときに笑みが消える瞬間の表情もこれまた怖い。
ロバート・デ・ニーロ、凄まじい。
■おわりに
学生時代に一度観たこの作品を最近再び観た。
やはりクライマックスの銃撃戦の緊張感と、そのシーンの最後、高いところから見下ろす視点で撮って、トラヴィスから離れるようにフェイドアウトしていく演出の不思議な感覚は印象深い。
意識が遠のいていくさまが表れているのだと思う。
だが、それ以上の何か得も言われぬ感興をもかきたてられる。
最後にこの映画といくつか共通点のある作品として思いついたものを挙げることにする。
それではまた!
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