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初随筆集『陽の響』『月の調』。noteは手軽に記事を読みあったり交流できる素晴らしい広場。 いつもありがとう。

マガジン

  • タイトル画像に使用させていただいたクリエイターの皆様

    みんなのフォトギャラリーなどからタイトル画像に使用させていただいたクリエイターの皆様のプロフィール記事および固定された記事をマガジンとしておまとめさせていただいています。いつもお世話になっています、ありがとうございます!!

  • ご紹介いただいた記事

    Nasunoの記事を紹介していただいた皆様の記事です。 ご紹介に感謝するとともに、心響きあえたことを喜ばしく思っています。ありがとうございます!

  • 画像を使っていただいた皆様

    記事のタイトルや記事内の画像に、私の作成した画像を使用していただいた皆様の記事を紹介させていただいています。たくさんの画像の中から選ばれたご縁に感謝します。

  • わたしと共感覚

    日々noteで出会った特に共感した、心の奥を揺さぶられた記事をマガジンとしてまとめさせていただいています。 noteにはわたしの沢山の仲間がいます、常日頃その彼らから溢れんばかりの勇気と希望をもらっています。 いつも本当にありがとうございます。

  • 公式コンテスト参加作品

    note公式の企業とコラボしたコンテストへ出展した作品です。

最近の記事

  • 固定された記事

初エッセイ集「陽の響」「月の調」出版【随筆】

この度、noteでの活動3周年を迎えるにあたり、自身初となるエッセイ集「陽の響」「月の調」を出版する運びとなりました。書籍内容は、noteで連載しておりましたものの中から、それぞれ40エピソードを選ばせていただきました。それに伴いまして、誠に勝手ながら過去の一部エッセイが下記マガジンへと移動となっております。 Kindleダイレクト・パブリッシングを知り、昨年中にこれまでの記事をまとめた随筆集を出版しようと思い立ち、遅れることはや約一年余………なんとか形になりました。 ※書

    • 我が人生、仮初めの仮想現実

      なんだか現実に満足できない、だからかついついゲームやアニメや漫画や映画やネットのライブ配信などのメタ的空間に逃避しがち。メタ空間とは、この現実に内包された情報の渦であり、あくまでも仮初めのモノにすぎない。 そんなことを思うにつけ、私が大好きな小説やクロード・モネの絵画や博多歌舞伎座の舞台演目やクリスマスの夜に妻とキャナルホールで観たジャズコンサートはどうであっただろうか? 私は毎朝コーヒーを飲む際、地元の陶芸家お手製の唐津焼のカップで飲む。ただ飲み物を飲むなら、百均のカッ

      • 蓮の花と感謝の心

        私を男にしてくれてありがとう。 私を女にしてくれてありがとう。 私をお父さんにしてくれてありがとう。 私をお母さんにしてくれてありがとう。 私に頑張らせてくれてありがとう。 私に強さを教えてくれてありがとう。 私に弱さを教えてくれてありがとう。 私に違うことの意味を学ばせてくれてありがとう。 私が何者であるか気づかせてくれてありがとう。 自分の存在が尊い。 全部が愛おしい。 虚構から実りある人生へ。 どうして僕らは、あれやこれやと思い描くのだろう。

        • 女王の品格と神格化

          人には格があり、そして格であるからには、磨くことのできるものだ。 人格は、人生における体験によって、魂が磨かれることにより研鑽され格上に成っていく。ノウハウなど、外に答えを求めずとも、答えはいつも己の中にあるからこそ、精進する。 人は自分以外からの教育や躾などによって人になるのではなく、自らの体験からなる生活様式によって人格が形成される。 精神性と人格の関係情操教育は心の発育に寄与。 失敗すると獣じみた人型の物の怪となる。指示待ちの木偶の坊になる。 心無い人に、どんなに

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        初エッセイ集「陽の響」「月の調」出版【随筆】

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          21本
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        • 昴の心臓さざれ石
          10本

        記事

          三人寄れば文殊菩薩

          三人寄れば文殊の知恵とは、たくさんの人が知恵を出し合えば良い案が浮かぶということではなく。大人数で行う、謎の朝礼や会議などのような、『船頭多くして船山に上る』ものでもなく。 一人でも、二人でもなく、三人のそれもごく普通の三人によって、歴史的な発案が飛び出してくるというたとえ話のことです。 発案者が天才でもなく、それぞれが専門家である必要もない。 もとはごく普通の人々が行動の結果、偉人として偉業を称えられる。 その様子がまさに、文殊菩薩のようであることから、このことわざが

          三人寄れば文殊菩薩

          流石は私の奥さん

          世の奥様方は知らない。 家事に子育てにパートに日々忙しい奥さんが時折見せる『もう私は若くない』そんな仕草が、旦那に未曾有の力を与えていることを。 会社や営業先のくだらない連中と闘う力となっていることを。 なぜ自分の奥さんが居てくれるのか、それは彼女が幸せになることによって自分が幸せになれるから。 決して自分のエゴを投影するための人ではない。 彼女たちは幸せになるために生きている。 掃除してくれたことに感謝しよう。 手料理をおいしそうに食べよう。 自分が愛されて当然

          流石は私の奥さん

          一番の宝ものは夢でも希望でもなく自分

          「どうすればいいかわからない」 あなたはきっとこう思ってますね? 自分を知らぬがゆえに自分を持て余す日々。 戸惑うことなかれ、経験が自分という輪郭を浮き彫りにするまでは。 本当の自分を知れば自分が解放される。 ところであなたってさ、本気の本気で頭使って考えたことある? いつもいつも感情で処理し続けてない? 思考って文字、よく見てごらん? まず思い、考えるって書くんだよ。 つまり、思うだけじゃダメってこと、キチンと考えないと。 考えるのは苦手だって逃げてちゃ

          一番の宝ものは夢でも希望でもなく自分

          ぜーんぶ、行き着く先はマネタイズ

          素直に自分の心を表現したから誉められる、誉められたいからという動機では称賛は得られないのは当然のこと。人は自分以外どうでもいいというよりも、自分の人生に一生懸命で他人をかまってられない、ただそれだけ。 SNSに向いていないなら、やめたほうが身のため。‥‥‥じゃ見なけりゃいいって、そんなわけにもいかない。 ひとそれぞれ価値観はあるとは思いますが、当初は純粋無垢な動機での活動だった人もやがて、必ず有料化となるのは何故なのでしょう? 支払いが発生した途端、なんだか現実に引き戻

          ぜーんぶ、行き着く先はマネタイズ

          夏至に壮年期の自己表現を考える

          最近の若いアーティストは自分の姿を晒さない、時代の変化というよりも作品をまず評価してほしいという思いの表れだろう。 誰が作った作品であるかというのは、本来は付帯的なものであって、作品自体を味わってほしいと願うのは自然だ。 ゆえに「○○さんらしい作品」と言われるのが一番困るだろう。 物を作る人なら誰でもわかるように、作品とは基本的に自分の中のその刹那を切り取って具現化したものがそのほとんどであるため、いつものらしい作品と言われてしまうと困るのである。 ファンが喜ぶ、求め

          夏至に壮年期の自己表現を考える

          噓がやがて誠になるまで

          いい人間になりたいとか、立派な人になりたいとか。 いまさら何言ってんの? いい歳していい子ぶって、悲劇のヒロインごっこを今すぐやめなさい。 自暴自棄になって、周りを否定し攻撃しても自分が傷つくだけ。 己の愚かさや過ちを悔いてる暇なんてない。 いつまでも猫を被ってないで、本当の自分を表現なさい。 自分に噓をつくのはもう終わり。 これまで通り、ありのままただ生きればいい。 どこへだって行けるし、なんだってやれる、何にだってなれる。 誰にも相手にされないんじゃない

          噓がやがて誠になるまで

          ゆとりと愉快さ、大事なのは心の掃除

          新たな資源や財源とか聞くたびに、足るを知れと思う。 いい加減、大人になりな? もういい歳だろう。 新たなテクノロジーがすぐに具現化しないのは、そういうこと。 必要なものは、もう既にある。 それに気付けるのが大人だ。 屁理屈に聞こえたら申し訳ないのですが、ゴミを拾うことを考えるよりも、そもそも捨てない、ゴミになるものを持たない作らない発想も大切。 地球の磁場とかそういった自然のみを頼りにしていると、地球規模の転換期になにか大規模な有事が起こった際、ダメージが大きす

          ゆとりと愉快さ、大事なのは心の掃除

          沈黙は金の成る木 士魂と商才

          誰も見ていないところでこそ善行を積む、徳を積む。‥‥‥誰かの前だと、つい己の欲情や周りの相対効果が介在してしまうから。いつだって大切なのは、中庸さと虚無・脱力であり、中今の感覚。 ネガティブと同じだけポジティブがやってくる仕組みがパラドクスの力。お寺の鐘を突くときに大きく振りかぶるように。鐘を突いた後に自らの腕や手に反響する振動が己の欲望の強さを教えてくれる。 誰かに称えられたくて、人の役に立ちたいなんて本末転倒。わざわざ周りに喧伝せずとも、お天道様はしかと見ている。

          沈黙は金の成る木 士魂と商才

          この世界は誰のモノでもない

          我々人間が、どれだけ権利を主張したところで、そのいずれをもこの世界から借りているだけである。体さえも最後は返さねばならぬ定め。 苦労して手に入れたからと言って、声高に所有権を主張したところで自らの卑しさを喧伝するだけのこと。 平和に飽きた人々が暇つぶしに、お互いの主義主張をぶつけ合った果てに争いあっている。戦争は国家間で行われるものから、企業同士が代行する委託事業へと移管した。 つまり、かつて存在したイデオロギーは、より多様な社会実現のため変貌を遂げたのだ。周りをどれだ

          この世界は誰のモノでもない

          人生ゲーム、地球ゴッコ

          この現実といえば、目の前の出来事に意識を集中すればするほど、よりリアルな体験ができるようになっている。しかしリアルであるが故、その違和感に気づくこともできる。 今この現実が起こっていることを思うにつけ、いま自分はこういう在り方になっているんだと感ずくのです。したがって、ピンチはチャンスであると目の前の現実から全く別の現実を作り出せるのです。 ただしかし、せっかくのコツがあるにもかかわらずそのことに気づけず、自分が作り出した現実で小手先の一喜一憂を求め、悲劇の主人公を演じ一

          人生ゲーム、地球ゴッコ

          諦めなければ夢は叶うという幻想

          『諦めなければ夢は叶う』 この言葉からは、諦めず頑張ればいつかは成功できるようなニュアンスを感じる。でも実際は、そんなことは起こりえないことを私たちは知っている。 巷で言われる成功の定義を改めて考えたとき、それはまるで椅子取りゲーム。成功するためには、継続や努力というよりも、一層の効率や要領などのロジカルな部分での競争であり、個人の資質というよりも環境などに依るところが大きい。 成功した結果、そのロジックやノウハウがシェアされるのですから、これは当然の流れ。ごく少数の限定

          諦めなければ夢は叶うという幻想

          空気を読まなくなった人たち

          学校で目立ちたい盛りの子が、大きな声でありもしないことや、あられもないことを言う。 先生や学友の誤りを我先に指摘し、周りの様子を窺う。 自分の力を誇示するために弱い子を相手に勝ち誇る。 すべて我欲の精神、我先我良の心。 何でも言えばいい、言わなければと同調圧力のような雰囲気。 言ったもの勝ち。 黙っていると、何か含みがあるのか? 気を使えなくなったということ。 逆に言えば、何でもかんでも言わねばならないと、そのことに追われているうちに一日が終わる。 気ぜわし

          空気を読まなくなった人たち