ぜーんぶ、行き着く先はマネタイズ
素直に自分の心を表現したから誉められる、誉められたいからという動機では称賛は得られないのは当然のこと。人は自分以外どうでもいいというよりも、自分の人生に一生懸命で他人をかまってられない、ただそれだけ。
SNSに向いていないなら、やめたほうが身のため。‥‥‥じゃ見なけりゃいいって、そんなわけにもいかない。
ひとそれぞれ価値観はあるとは思いますが、当初は純粋無垢な動機での活動だった人もやがて、必ず有料化となるのは何故なのでしょう?
支払いが発生した途端、なんだか現実に引き戻されるのは、どうして?
自分で勝手にその人たちのことを、そうであってほしいと信じたいからでしょうか?
受け取る豊かさのことにも思いを馳せ、複雑な思いを感じずにはいられません。モチベ維持というならば、必ずしもお金や数字のような目に見えるものである必要もないように感じられるのです。
たまたま私が出会ったことがないだけなのでしょうが、お金やモノや地位といった、見返りを求めない人物はこの世界には存在しないのでしょう。
再生数とか年収とか、数字で見える化している人々がいわゆるインフルエンサーぽく認識される。
たとえ一目瞭然なわかりやすさが、仮初の演出、エンタメの延長であったとしても、人は一時的に、かつ手っ取り早く何だか気分よくなれるものを求め、信じたいものを信じる。
YouTubeの大げさなサムネイルやタイトル、見てもらいたいという承認欲求からくる行動。
SNSでフォロワーを増やすための文言云々かんぬん。
フォトショで加工しまくった写真を上げ続けるひとたち。
猫や犬の動画、なぜか飼い主も映り込む。
大食い、グロ、エロ、ドッキリ。
他人のフンドシで相撲をとる動画。
ほらこれ面白いでしょ、これ凄いよね?
で? っていう。
もうそういうの飽きたよ・・・、そんな言動を許容してくれるのは、あなたのお母さんだけ。承認欲を満たすため虚栄心に盛りのついたあなたの自尊心を満たす行為には付き合ってらんない。
アホかって。
SNSを見ていてイライラするのは、認めたくない理解できないことへの不安感。何よりも素直になれない自分への苛立ち。
人は自然と変化を恐れるから。人は生きる上で刺激のあるなしが重要であり、良い悪いよりもそちらのほうが強く心を打つからです。
なんでそんなにバズってるの・・・?
わからない自分が変なのかな・・・?
大丈夫、みんなそう思ってるから。
世の中に不平不満を抱えているのであれば気をつけねばならない。同じように反社会的な主義主張を持つ者たちの甘言に惑わされぬように。
彼らは表向きには権力や有力者へ反骨しているように見せかけ、裏では尻尾振るのが常である。古典的な使い古されたマネタイズの手法、彼らの真の役割はスポークスマンだ。
元有名人、売れなくなった芸能人を使う。
バズったyutuberにすり寄って。
一見するとスキャンダルのようにみえて、実際はその逆。どんな美談より波及効果が高いのが刺激的な情報だから。
彼らはお金や権力や地位を守るためならどんな嘘でも平気でつく、それが人間。誰でも一定の地位になれば必ずその地位を守るため保身に走り、そのためにより高みを目指す。
一度始めた登山はもう後戻りできぬように。
世の中の人々が、欲にまみれた愚か者なのではない。すべての人々がそれなりに生きた証なだけ。それならば、愚か者を更生させたり正しい道へと導こうとしなくていい。
ゆえに、自分が道を違えたり歩みを遅くしては本末転倒、自分は自分の信じる道を真っすぐに行けばいいのだ。
その道程でライスワークのためとだんだん闇に自ら足を踏み入れぬように。いつしかダークサイドに飲み込まぬように気をつけねばならない。ただ愛する者たちを守れればいい、身の丈に合った生活で十分。
大半の人々が仕え守っていると信じているのは、愛する家族や祖国ではなく国家を運営する者たちとそのシステムである。
自分たちが権力者だと勘違いしている人々にかまっている暇はもうない。自分ができる範囲でできることをするのが人生の醍醐味だ。