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無用の用が教えてくれる「本当に大切なこと」【きまぐれエッセイ】

人が道を歩くとき、実際に利用するのは足で踏む部分だけである。
足もとにある地面がなければ、人は大地に立っていられないから、足もとのある地面、これは有用である。立つためには足下以外の地面は、いまのところ不必要だから、足もとのある地面以外、これは無用である。だからといって、足もとの地面だけ残して後は地の底まで全部掘り下げてしまったら、道としてのはたらきがなくなる。これを無用の用と言う。[荘子]

『有るもの』に対して『無いこと』に価値を認める。有の働きは、常に無を前提として後初めて生ずるものである。たとえばガラスのコップがあるとすると、耐熱ガラスであるとか、強化ガラスであるとか、材質に価値があるように思えるけれども、実際コップがコップの働きをするのは、何もない部分、空っぽの、水を入れる部分である。かといって、ガラスはいらないからコップだけください、といってもそうは問屋が卸さない。問屋こまっちゃう。
ガラスという『有』と、空っぽという『無』が同時にあって、はじめてコップという存在があるように、有と無は切り離せない。
無があって有がある。
有があって無がある。

ところで近頃、『がんばらない』主義が叫ばれているようだけれど、それって、頑張るとき頑張らないで、頑張らなくていいところを頑張ってきたから、弦を張りすぎればプッツンするように、張らなくていいところを無理やり、張りすぎた反動。
だから、その反動で『がんばらない』ことを頑張る人がいる。
これも頑なに『がんばらない』ことを自分に主張している。
ただ、力を抜いて余計なことをしなければいいだけなのに、リラックスしようとして努力しすぎて、かえってストレスを溜め込むような滑稽なことをしている。
『がんばる』ことも必要で、『がんばらない』ことも必要。
『がんばらねば教』同様、『がんばらない教』に帰依してはいけない。
ハンドルに遊びがあってこそ快適な運転ができるように、ココロにも、アタマにも遊びがなければ、詰まってしまう。

自信のないセンスの悪い人は、ゴチャゴチャゴテゴテとてんこ盛りーの、詰め込むことで自信のなさセンスのなさを誤魔化そうとするが、自信のあるセンスのよい人は、何も描かない空間と、黒一色だけで勝負する。
糞づまり、鼻づまりは苦しい。溜まったものは、出す。出せばすっきりすきすき。感情も溜め込むとロクなことがないから、溜まったものは「てめこのやろすっとこどっこい」と出す。出せばあとに残らずけろけろのけろりん。

弦は、ある程度張りつめないといい音がでない。かといって、いい音を出さなければならないとき、弦が、頑なに張らなければ、がんばらなければ、音を楽しむことなどできない。金を生み出す価値有る労働時間も大切だし、何もしないボーっとした(リラックス)時間も大切だ。ねんがらねんじゅうボーっとしてる人も、ねんがらねんじゅう張り詰めている人も、おなじくビョーキの人。

息は、吸うことだけ意識して、あとは力を抜けば、はふ~と、息が自然に抜ける。だから、息を吐くことにあえて頑張る必要はない。
頑張って頑張りぬいて、あとは力を抜けば自然にリラークス。
何もしない無駄な時間があってこそ、価値ある時間が生きてくる。

人生ってほんと不思議なんだなぁ。あたしが道を歩いてるときは、足の下の地面しか見えやしないわよ。そこだけが現実で、目の前にある空間は仮想現実みたいに感じる。でも立ち止まって空を見上げれば、あたしだって地球が丸いことくらい知ってるわ。でもそれでも歩く度に、足下のコンクリートだけが永遠の現実のように思えてしまうのよ。

ほら、足場がないと立ってられないでしょう?地面がなけりゃあたしだって宙を舞うしかなくなっちゃう。だから足下の地面は”有”の部分で、それ以外の空間は”無”なのよ。そうそう、荘子の言う「有るもの」と「無いこと」ね。

でもよくよく考えてみると、あの空っぽの部分、つまり「無」の方が実は大切なのかもしれない。ガラスのコップだってそうだわ。コップの存在価値は、中が空っぽであることにあるのよ。ただガラスだけじゃ何の役にも立たない。無がなけりゃ有も意味を成さない。

そうそう、最近は「がんばらない」主義が流行りだしたみたいだけど、それってなんかおかしいんじゃないかしら?頑張ると頑張らないを行き過ぎちゃって、弦が切れちゃいそうなくらいピンと張りすぎちゃったからじゃないの?

人間ってさ、頑張ることも大事だし、リラックスして何もしないことも大事なのよ。ただの詰まらない無為徒食と、本当の休養は違うのよ。

センスのいい人は、ごちゃごちゃ詰め込まずに、余白の美しさを心得ているのよね。鼻づまりや糞づまりはストレスのもとだから、たまったものはすっきり出さないとねぇ。

つまりはねぇ、張りつめるのも大事だし、ゆるめるのも大事なのよ。ただ弦を張りすぎちゃ音が出ない。張りすぎずに、ちょうどいい張りで美しい音色を出すのよ。金を生む労働と無為の時間があるからこそ、人生に彩りが生まれる。

あなたも無理せずゆるりとしつつ、大事なときはしっかりとね。
あたしの人生訓みたいなものかしらね。ふふっ。

[老子第11章:三十輻共一轂]


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