人生ってほんと不思議なんだなぁ。あたしが道を歩いてるときは、足の下の地面しか見えやしないわよ。そこだけが現実で、目の前にある空間は仮想現実みたいに感じる。でも立ち止まって空を見上げれば、あたしだって地球が丸いことくらい知ってるわ。でもそれでも歩く度に、足下のコンクリートだけが永遠の現実のように思えてしまうのよ。
ほら、足場がないと立ってられないでしょう?地面がなけりゃあたしだって宙を舞うしかなくなっちゃう。だから足下の地面は”有”の部分で、それ以外の空間は”無”なのよ。そうそう、荘子の言う「有るもの」と「無いこと」ね。
でもよくよく考えてみると、あの空っぽの部分、つまり「無」の方が実は大切なのかもしれない。ガラスのコップだってそうだわ。コップの存在価値は、中が空っぽであることにあるのよ。ただガラスだけじゃ何の役にも立たない。無がなけりゃ有も意味を成さない。
そうそう、最近は「がんばらない」主義が流行りだしたみたいだけど、それってなんかおかしいんじゃないかしら?頑張ると頑張らないを行き過ぎちゃって、弦が切れちゃいそうなくらいピンと張りすぎちゃったからじゃないの?
人間ってさ、頑張ることも大事だし、リラックスして何もしないことも大事なのよ。ただの詰まらない無為徒食と、本当の休養は違うのよ。
センスのいい人は、ごちゃごちゃ詰め込まずに、余白の美しさを心得ているのよね。鼻づまりや糞づまりはストレスのもとだから、たまったものはすっきり出さないとねぇ。
つまりはねぇ、張りつめるのも大事だし、ゆるめるのも大事なのよ。ただ弦を張りすぎちゃ音が出ない。張りすぎずに、ちょうどいい張りで美しい音色を出すのよ。金を生む労働と無為の時間があるからこそ、人生に彩りが生まれる。
あなたも無理せずゆるりとしつつ、大事なときはしっかりとね。
あたしの人生訓みたいなものかしらね。ふふっ。
[老子第11章:三十輻共一轂]
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