見出し画像

ゆとりと愉快さ、大事なのは心の掃除

新たな資源や財源とか聞くたびに、足るを知れと思う。

いい加減、大人になりな?

もういい歳だろう。

新たなテクノロジーがすぐに具現化しないのは、そういうこと。

必要なものは、もう既にある。

それに気付けるのが大人だ。

屁理屈に聞こえたら申し訳ないのですが、ゴミを拾うことを考えるよりも、そもそも捨てない、ゴミになるものを持たない作らない発想も大切。

地球の磁場とかそういった自然のみを頼りにしていると、地球規模の転換期になにか大規模な有事が起こった際、ダメージが大きすぎるから先人たちは化学などの技術を生み出した。その結果、自然との繋がりが薄まって、破壊や汚染といった流れとなり今に至る。

せっせと将来的に必須かどうかもわからぬ物をとりあえず作って安価で売り、売れないものは廃棄、買った人も安かったからと雑に扱い結局ゴミの日に出す、その辺にポイする。

たとえどんなにコストをかけず効率的にゴミを片付けようと、根本的な解決になってない。ゴミ処理場を維持管理する手間とコスト、人員、時間、資材、雪だるま式に増える余分な労力。

将来への不安を埋め合わせるように物で生活を満たそうとする。ゴミにかかわらず社会全体のあらゆる分野でこれが起こっている。

たしかに社会を営むには一定量の生産と廃棄は必定。とはいえ、社会を営む全員が足るを知らぬ限り、抜本的な見直しは難しい。

結局は一人ひとりの心がけ次第であれば、すぐにでも心入れ替え改善するのは可能なはずだ。

心を清らかに整える

この星を破壊するのに、大きな爆弾はいりません。不安を煽り、人間を心細くすれば、自動的に競争をはじめ、やがて滅びる。間違った多様性を押し付け、誤った正義を押し付けあった結果、対立の果てに滅亡するのです。

これを防ぐ手立てはなく、ただしかし回避することは容易い、自分が変わることで簡単に逃れられるから。その一方で、防ごうと躍起になれば、自分も滅びの道へと落ちることになります。

周りがどうであろうとも、自分には無関係、仮に目の前で知り合いが争いに巻き込まれようとも、自分とは無関係。

そのことに気づくことがまず肝要。
自分だけは心のゆとりを失ってはいけないのです。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。