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沈黙は金の成る木 士魂と商才

誰も見ていないところでこそ善行を積む、徳を積む。‥‥‥誰かの前だと、つい己の欲情や周りの相対効果が介在してしまうから。いつだって大切なのは、中庸さと虚無・脱力であり、中今の感覚。

ネガティブと同じだけポジティブがやってくる仕組みがパラドクスの力。お寺の鐘を突くときに大きく振りかぶるように。鐘を突いた後に自らの腕や手に反響する振動が己の欲望の強さを教えてくれる。

誰かに称えられたくて、人の役に立ちたいなんて本末転倒。わざわざ周りに喧伝せずとも、お天道様はしかと見ている。

人は誰もが無意識に自分を高く見積もる、その高い視点から周りを見渡すからそのギャップに違和感を抱く。だからまずは自分の足元が何処なのかを確認せねばならない。その上で改めて人生の設計をやり直すのだ。

ではまず、どのような人生を設計しますか?

「年収一千万!」

‥‥‥では、それをはじめに手放しましょう。つまり、目標を目指すことをやめるということです。おそらくきっと、この段階で九分九厘の人たちが、居なくなったと思います。

それでもなお、残った皆様、ここからはじめましょう。

今までにない人生のスタートです!

ちゃんと見てるよ?

士魂商才

自分の夢はある意味で叶っているとしたらどうだろう?

でも実際心の中では、大成功することを恐れる。だってめんどくさいから、多くの人に囲まれたり忙しい毎日になることが。もっとひっそりと目立たない感じの成功を望んでいる。

‥‥‥つまり、今の自分の人生がそうではありませんか?

住む家があり、毎日食事ができて、慎ましいながら生きていけている。自分なりの幸せの中にいる、ある意味で夢が叶った状態。そうであると気づければこそ、世の役に立ちたいと思える。

恥も外聞もなく、なりふり構わず独立自尊 孤高な素数のように生きる。そのうえで自分がやりたいことの中から、人の役に立つ順番に取り掛かる。

今まさに知りたい情報だったとか。
今まさに困っているタイミングで手伝う。

例えば材木を売る際、材木を買ってくれたら材木を使う作業を手伝うことによって材木が売れる。

品質の良いものをただ売ろうとしてもなかなか売れぬもの。まずは困っている人を助けることによって、そのお返しに物が売れるという仕組み。

またあくる日、うどん屋の店主が偶然通りかかったお年寄りに親切にしたところ、そのお年寄りが大富豪で、周りの知り合いにその話をしたら評判がどんどん広がり、お店の株があがった。

はじめは、誰もがうどん屋としての成功を目指す、しかし必ずしもお店の利益だけが成功の要因ではない。

手段と目的は別のものであり、たとえ手段をやめたり変えても、目的が変わらず、結果的にそれが達成されればいいのである。自らによる自由な選択か、それとも与えられたものか。

人生というものは、そもそもこうしたよくわからない縁によって形作られているもの。ですから、まずは周りの困っている人たちに目を向けて、手を差し伸べることが肝要。

いったい何が世のため人のためだとか考えている暇があるなら、今目の前で困っている人を助ければいいだけである。そうやって自分の周りの人々の役に立っているうち、ある日振り返ればなんだかんだ辻褄が合うものなのだ。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。