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自分のために表現することが気に入っている

自分のことを表現することが、とても身近になってきている。Instagram、Twitter、YouTube。いろんな方法を使って表現をしている。


では、その表現は一体誰のためなのだろうか。僕は、自分のためだと思っている。誰かのために表現をするなんていうのは、傲慢だと思っている。

確かに、この人たちのために届けたいとか、音楽でいえばお客さんに喜んでもらえる演奏をとか、漫画であれば多くの人に勇気を与える漫画をとか、ドラマであれば多くの人に感動を与えるドラマであれとか。

まあそんなのがいっぱいあるけれども、自分勝手な見方で。だって、人が何に感動したり、喜んだり、勇気を与えられるかなんて、わからないから。

実際にそれがどのような影響を与えるかなんてわからない。それを想定して表現するっていうのはどこか傲慢な気がしている。

だから、最も純粋な表現は自分の為であった方がいいような気がしている。

僕自身は YouTube をやっていて一番楽しいのは、自分自身で見返す時だ。誰かから良かったよとか、この動画面白かったよ、と言われる事ももちろんありがたいけれども、それ以上に自分自身が動画を楽しみ、その演奏を見て喜んでいる。

自分の演奏を YouTube で流すという時に僕はほとんど編集を加えない。時間をカットする事くらいだ。

それは一つには、自分自身をなるべくそのままに客観的に見たいというところがある。

自分自身がどのように見えているのか、表現者であるうちは自分自身を完璧に客観的に見ることはできない。

映像作品として残すことで、それを客観的に見る立場に初めてなることができる。それが楽しいのだ。

だから、僕は自分自身のために表現していると言える。僕はそれでいいと思っている。

例えば演奏会だって、例えば漫画だって、例えば絵画だって、映画だって、ドラマだって、いろんな表現が、自分のためにまずは作られて欲しい。

誰かのためのために表現する。そこにはどこか無理があるんじゃないかと思っている。だってそもそも、自分が楽しいと思うから相手も楽しいと予想できるのだし、自分が感動できるから相手も感動してもらえると予想できるのだし。まあそれも先の理由によって打ち消されるのだけれど。

自分の思ってもいないことで楽しんでもらえたり、喜んでもらえたり、逆に辛くなったりもするんじゃないか。

だからあんまりお客さんとか読者のことを考えすぎても仕方ないんじゃないかと思う。

自分の為に表現をするその姿勢を、自分は気に入っている。

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