ユメと私
あらすじ:不安でいいの。だって、私たちは不安が折り込まれた不安定な綱渡りの『旅』をしているんだから。不安な事、不安定な事をおかしな事だって思わなくていい。私たちが生まれる前の出来事を教えてあげる。そして、私たちはいつも誰かに見守られているんだってことも教えてあげる。
思春期を境に素直になれない自分のことが好きになれない千枝梨(ちえり)は、いつも自信がなくて「私なんて」と思ってしまう。そんな彼女は気づいていないけれど、本当は、全ては計画通り、全ては順調、全てはうまく行っているのだ。
プロローグ
無機質な病室の隅に置かれた冷蔵庫に、大好きだったロールケーキが入りっぱなしになっている。消費期限はもう切れているのかもしれない。駅前にあるケーキ屋さんのしっとりしたスポンジ生地に、たっぷりの甘くて美味しい生クリームが入ったロールケーキ。家族の大切なイベント事には欠かせないケーキだったのに、最後に食べた記憶は、…もうない。
「人生の『記録』と『記憶』は、ロールケーキみたいね。」なんて、誰かと話したことがあったっけ。
時間軸に沿った人生の『記録』は、スライスされたロールケーキの断面を上から眺めたように、巻き始めから終わりまでを真っ直ぐに伸ばすと一本の線になるのに、自分軸に沿った人生の『記憶』は、丸く渦を巻いた面を半分に切りわけ、横から眺めたようなもの。スポンジ生地とクリームが、それぞれの部屋で別れ断片的であるように、記憶というものも、切れ切れで部分的であるのが当たり前。
誰が私の記憶にフィルターをかけて、残すもの、残さないものを選別しているのかは知らないけれど、一分一秒、全ての瞬間を思い出すことはできない。思い出したくても思い出せない綺麗な思い出たちは、数えられないほどあるはずのに、悲しみに暮れた遠い昔のあの夏の日の事を、どうして今になって思い出してしまうのだろう。
「あぁ、そうだった。」
ふと思い出す記憶は、誰かが記録してくれた私の人生ドラマをDVDで再生するかのように、必要なタイミングで再生されているのだと、誰かに言われたような気がする。
「あぁ、私の最期が近付いている。」
頭のてっぺんから足の先まで感覚が無くなって、私の体はフワフワと宙に浮いているみたい。
「すぐに体調は良くなるよね?お母さんの大好きなケーキ、冷蔵庫に入れておくから、目が覚めたら一緒に食べようね。」って、娘が耳元でささやいてくれていたのに、ベットで横になっているはずの私の体は、意識が通わない借り物の着ぐるみのように、もう動かすことができないの。この着ぐるみにも消費期限が来たってことね。
『人生の帰り道は、宇宙感覚を取り戻す旅だ。』
そんな言葉がふと頭に浮かぶ。もしかしたら、テレビで誰かがそんな事を言っていたのかもれない。でも、この感覚。まさに無重力の中に身を任せているような、この感覚こそが宇宙感覚なのかもしれない。泳ぐ力を奪われ、水面にプカプカと浮かぶあの金魚のように。
私がうんと小さかった頃だった。夏祭りですくった金魚を家へ持ち帰り、透き通った綺麗な水の入った金魚鉢へ流し移すと、「餌はいつあげるの?」「金魚の飼育本を買わなきゃね。」って、母と興奮しながら、軽やかに泳ぐ金魚の姿から目が離せなかった。あんなにキラキラと尾ビレをなびかせて美しく水中を舞っていた金魚だったのに、翌朝には魂が抜かれた水中に浮かぶ固形物になってしまっていた。
私もあの夏祭りの金魚のように、魂がこの体から旅立つということなのだろう。だって、「宇宙に戻る準備が、もうすぐ完了する。」そんな信じ難い事でさえ、現実味が帯びてきたんだから。
全ての痛みから解放され、不安も欲望もなくなり、心配も我慢もしなくていい。辛く悲しい気持ちも、心躍る嬉しい気持ちも、全ての感情から解放され、もうすぐ完璧で完全な自由が近づいていることがわかる。
さぁ、エンドロールが流れ始めたようね。出会うべきして出会った全ての人々の名が作り出す緩やかな金色の流れに乗って、私の宇宙船へ帰るとしましょうか。