吉川愛歩|本と料理

本と料理を作っています。 『王女さまのお手紙つき』(文)『クラシル#シェフのレシピ帖』…

吉川愛歩|本と料理

本と料理を作っています。 『王女さまのお手紙つき』(文)『クラシル#シェフのレシピ帖』(文と編集)『キャンプレシピ大全』(レシピと執筆協力)『糖質オフのやさしいお菓子』(文と編集)『1年生からのらくらくレシピ1〜4巻』(編集)『こねこのコットン』(レシピと文) など

マガジン

  • ただの毎日

    プラスでもマイナスでもない、たんなる日々のこと。

  • くだらない食卓(レシピつき)

    特別じゃないけど、記憶に残るごはん。 記憶に残らないかもしれないけれど、日常のおいしい何か。 あるいは、大切なあの日の食卓。 食べものをまんなかにした風景を紡いでいます。

  • あの町からの宅配便

    • 3本

    【ありきたりで普遍的だけれど、なんでもないところにある家族のちいさな物語を紡ぐマガジン】 実家から届く段ボール箱の中には、モノだけじゃなくたくさんのものが詰まっています。あえて言葉にしない思いや、いなか町の景色、その土地ならではの風習や食べ物もの、その家族だけにわかる合言葉のようなもの……。 受け取った人にとってはわかりきった「いつもの景色」。そこに見えるささやかな物語を取材しました。 撮影/久保田仁 文/吉川愛歩

  • ひっこし日和

    41年の人生のなかで、ひっこし20回。 住んだ町や住んだ家ひとつひとつにある記憶を繙いてつむぐ物語。どのおうちから読んでもそれなりに意味がわかると思うので、お好きなところからどうぞ。

記事一覧

5月6日編集者日誌:レシピ本の座組

連休が終わる。 と同時に、夏に向けてやらなくてはならないことが音を立てて近づいてくる。 今年の夏、わたしは大切なレシピ本の撮影をひとつ抱えている。いや、どの本も…

5月2日、編集者日誌:企画持ち込み

むかしわたしは役者の仕事をしていた。小さいころはただ言われた通りオーディションに行く毎日だったけど、大きくなってプロダクションに入ってからは、いわゆる「営業」と…

4月30日、編集者日誌:入稿

この連休の合間3日を休んで10連休にするアイデアもあるらしいが、そんなに休んだら後が怖い。と思うのはわたしがワーカーホリックだからだろうか。年中仕事を優先している…

3月24日、目玉焼きごはんと全敗の将棋大会

8歳の将棋大会があった。大会への出場は初めてで優勝する気もまんまんだったが、なんと最初から最後まで一度も勝てなかった。 実は最近負け続きだ。教室から出てくる息子…

3月17日、蕗のおひたし

蕗の皮をむいていると、思いだすことがある。小学校低学年のころよくとおっていた通学路に、蕗のようなストロー型の植物が生えていて、その皮をむいて齧りながら帰った。 …

3月16日、食パン

掃除機が壊れた。 もう3ヶ月は前のことだ。なんか調子悪いなあ、というタームも挟まず、ある日突然唸るだけになってしまった。フィルターの掃除をして、全部取り外して調べ…

フリーランスは誰かに守られている(のかもしれない)

はじめて会社というところで働いたとき、わたしは編集の仕事についた。「会社」どころか「世の中」の仕組みもたいしてわかっていなかった19歳、おとなになるために必要なほ…

うまく言えないけど

ある方にご依頼をいただいて、 3年前にエッセイを一本書きました。 いまは亡き恋人に出会ったばかりのころの、わたしのことを書きました。 ご依頼がなかったら、わたしは…

あるフリーライターおよびフードコーディネーターの一年(2022年お仕事ふりかえり)

昨年に引き続きまして、一年のお仕事を振り返るnote。ひとつひとつのお仕事に思い入れがあるため、プロフィールのようにはまとめきれず、大変長いです。また、フードコーデ…

いつからお母さんになったのか

いつからお母さんになったのか思いだしてみたけどわからなかった。 少なくともあの子を産んだ15年前の今日、わたしはただの女の子だったと思う。欽ちゃんの仮装大賞の得点…

あの子が学校に行けなくなったときのこと

はじめて学校に行きたくないと言われたとき、いやいやまさか、と思った。学校で起こっていた事態は把握していたが、わたしはどこかで、そこまでのことじゃない、と思ってい…

ただの休みだったお盆が誰かを想う瞬間になる

お盆が終わった。 東京では7月に行うところが多く、7月13日の朝は外へ出るなり煙の新しい匂いがする。8月にするうちもある。自転車に乗って子どもを送りながら、いろんな…

43歳、はじめて野球観戦に行く

[5月14日のこと] 友だちが巨人×中日戦のチケットをくれた。 なんと野球観戦ははじめてのこと。というか、テレビでだってほぼ野球を観たことがない。子どもたちはルー…

文系母と理系7歳の将棋ライフ

子どもはいつもなにかしら新しい出会いを連れてきてくれる。娘のときはシュタイナー教育やヴァイオリンを学び、もうひとり子どもが産まれれば当然そこを繰り返していくんだ…

6歳が、コロナになった。

6歳が、コロナになった。 でもそんなことより、コロナという言葉の恐ろしさとわたしの無頓着さが6歳を傷つけたことのほうが、ずっと怖いことだった。 コロナだとわかった…

中村さん

最近、とある場所に出入りしている。 もともと他の方々の輪ができているなかにわたしが後から入ったのだが、ある日そのうちのおひとりがわたしを見て、「中村さんに似てる…

5月6日編集者日誌:レシピ本の座組

連休が終わる。 と同時に、夏に向けてやらなくてはならないことが音を立てて近づいてくる。 今年の夏、わたしは大切なレシピ本の撮影をひとつ抱えている。いや、どの本も比較できないくらい大切なのだけど、自分が考えた企画はやっぱり大切さが少し上で、不安も大きい。 版元さんが企画にのってくれたからといって、わたしが考えた本に何百万もかけてくれるのだ。もし売れなかったらどうしよう、思い通りに作れなかったらどうしよう、うまくハンドリングできなかったら…という気持ちに押しつぶされそうになる

5月2日、編集者日誌:企画持ち込み

むかしわたしは役者の仕事をしていた。小さいころはただ言われた通りオーディションに行く毎日だったけど、大きくなってプロダクションに入ってからは、いわゆる「営業」というのをさせられた。 自分のプロフィール用紙を持ってマネージャーとテレビ局やらに行き、「お願いします!」みたいなことを言う。そのほかにマネージャーや事務所のつきあいで「わたしを見てくれる人」がつかまると、その人に自分をアピールする時間がもらえた。 自分を売るって相当つらい。 その場で演技を見せたり歌をうたったりす

4月30日、編集者日誌:入稿

この連休の合間3日を休んで10連休にするアイデアもあるらしいが、そんなに休んだら後が怖い。と思うのはわたしがワーカーホリックだからだろうか。年中仕事を優先していることをそう呼ぶならわたしは無事立派な仕事中毒だが、ゲーム好きがゲームをいちばんにする程度のことだ。 さて、わたしはこの中3日で、なんと一年も制作してきた書籍を入稿する。入稿とは、ぜんぶのページがきちんとできあがり、もうこれ以上直すところはない、といえる状態の原稿を印刷所に送ることをいう。印刷所に送ったあとにも直せる

3月24日、目玉焼きごはんと全敗の将棋大会

8歳の将棋大会があった。大会への出場は初めてで優勝する気もまんまんだったが、なんと最初から最後まで一度も勝てなかった。 実は最近負け続きだ。教室から出てくる息子の顔がこのごろいつも暗い。通いはじめたばかりのころは勝ちを数えるのが楽しかったのに、ここ数ヶ月は負けることのほうが多い。勝てないと級が上がらないのに、その間に下の級にいた友だちがぐいぐいと迫ってきて、焦りも見えた。 それでも将棋が好きだ、と言う。 負けたのは俺が飛車を見逃したからだ、盤のすみっこが見えてなかったから

3月17日、蕗のおひたし

蕗の皮をむいていると、思いだすことがある。小学校低学年のころよくとおっていた通学路に、蕗のようなストロー型の植物が生えていて、その皮をむいて齧りながら帰った。 母が教えてくれた。まだひとりで家まで帰れなかったころだから、小学校にあがってすぐだったんだろう。これ食べられるんだよと皮をむいてむしゃむしゃと食べはじめ、ぎょっとして母を見ると、太いほうがおいしいよとその茎を渡された。 ならって皮をむくとみずみずしく、緑色の水がしたたりそうだった。でも齧ると渋かった。すっぱくて、筋

3月16日、食パン

掃除機が壊れた。 もう3ヶ月は前のことだ。なんか調子悪いなあ、というタームも挟まず、ある日突然唸るだけになってしまった。フィルターの掃除をして、全部取り外して調べたけれど、どこの調子がどう悪いのかまったくわからない。フィルターのふたが半開きになっていることさえ教えてくれる最新機器なのに、予定にないエラーについてはなんの表示もされない。 さんざん格闘したがようすが変わらないのでそのまま置物と化し、代わりに毎日クイックルワイパーを持って掃除した。 掃除機は父の形見だった。形見

フリーランスは誰かに守られている(のかもしれない)

はじめて会社というところで働いたとき、わたしは編集の仕事についた。「会社」どころか「世の中」の仕組みもたいしてわかっていなかった19歳、おとなになるために必要なほとんどのことは、そのときの上司が教えてくれた。 その日わたしは、デザイナーから上がってきた修正後の原稿を見ながら、自分が入れた原稿の朱字がきちんと直っているかどうか確認していた。そして何ページか読んで、全然直っていないことに怒っていた。確かに朱字は多かった。でもこちらも直しやすいように丁寧に清書して出したし、わかり

うまく言えないけど

ある方にご依頼をいただいて、 3年前にエッセイを一本書きました。 いまは亡き恋人に出会ったばかりのころの、わたしのことを書きました。 ご依頼がなかったら、わたしはきっとこのことを書かなかったと思う。 書く機会をくださり、ありがとうございました。 当時、有料での公開だったので、あらためてシェアしました。

あるフリーライターおよびフードコーディネーターの一年(2022年お仕事ふりかえり)

昨年に引き続きまして、一年のお仕事を振り返るnote。ひとつひとつのお仕事に思い入れがあるため、プロフィールのようにはまとめきれず、大変長いです。また、フードコーディネーターのお仕事は、契約上名前が出せないものが多いので掲載しておりません。詳しくはお問い合わせくださいませ。 さて。 今年は、とてもとてもたくさんの本をつくりました。一冊まるっと関わることが多く、責任重大ではあったけれどそのぶんやりがいがあって楽しいものばかりでした。はじめてレシピ本の企画と編集もして、思い出深

いつからお母さんになったのか

いつからお母さんになったのか思いだしてみたけどわからなかった。 少なくともあの子を産んだ15年前の今日、わたしはただの女の子だったと思う。欽ちゃんの仮装大賞の得点みたいに毎年お母さん度が上がっていったのかな。なんとなくそんな気がしている。 ということは紛れもなくわたしはいま、 お母さんだと自分のことを思っている。 爪に色を塗ったりしない。 派手なメイクをしたりしない。 ヒールを履いたり、赤ちゃんに好ましくないテレビ番組をつけたりしない。 香りの強いもの、色の濃いもの、

あの子が学校に行けなくなったときのこと

はじめて学校に行きたくないと言われたとき、いやいやまさか、と思った。学校で起こっていた事態は把握していたが、わたしはどこかで、そこまでのことじゃない、と思っていた。 そもそも娘はびっくりするほど楽観的でポジティブで我が道をいく性格なので、そんなこと気にしなくても大丈夫でしょうよと思ったし、一度休んだら余計に行くのが難しくなるだろうと思った。 ただめんどくさいから今日は休みたい、というのとは違う。「行きたくない」は「もう二度と行かない」であり、ひとり親でフリーランスのわたし

ただの休みだったお盆が誰かを想う瞬間になる

お盆が終わった。 東京では7月に行うところが多く、7月13日の朝は外へ出るなり煙の新しい匂いがする。8月にするうちもある。自転車に乗って子どもを送りながら、いろんな玄関先に残る灰をながめ、あのうちには誰が帰ってくるのだろうと考える。 その匂いに、むかしむかし祖父母の家で茄子に割り箸を刺した記憶と、仏壇に次々に届く菓子折りの記憶が重なる。祖母は食卓いっぱいにご馳走をつくるのに、誰もこない。お祝いのようなのにどこか違う、不思議な景色だった。 茄子やきゅうりでつくった馬に乗っ

43歳、はじめて野球観戦に行く

[5月14日のこと] 友だちが巨人×中日戦のチケットをくれた。 なんと野球観戦ははじめてのこと。というか、テレビでだってほぼ野球を観たことがない。子どもたちはルールも知らないし。でも行けばなんとかなるよね!と、楽しみにこの日を待っていた。 が、数日前に、あれ、もしかして雨だったら中止なのかな…? カッパとか着なきゃかなとよぎり、チケットを確認すると、東京ドームとある。 えーっと、ドームって言うくらいだから屋根があったような…。でも、どの席に座っても濡れないのかな。

文系母と理系7歳の将棋ライフ

子どもはいつもなにかしら新しい出会いを連れてきてくれる。娘のときはシュタイナー教育やヴァイオリンを学び、もうひとり子どもが産まれれば当然そこを繰り返していくんだろうと思いきや、娘と息子だからなのか個の違いなのかなんなのか、今わたしはまったく違う景色を見せられている。ひとつには、将棋である。 将棋とわたしの接点といえば、小説を書いていた若いころ、恐れ多くも団鬼六先生の席に何度かお邪魔し、さまざまな棋士の方がよくそこにいらしていたなあ、ということを覚えている(ちなみに団先生は名

6歳が、コロナになった。

6歳が、コロナになった。 でもそんなことより、コロナという言葉の恐ろしさとわたしの無頓着さが6歳を傷つけたことのほうが、ずっと怖いことだった。 コロナだとわかったあと、家に帰ってきてしばらくしてから、布団にいた6歳が急にぽろぽろと涙を流して泣いた。 「…もっとこれから悪くなるかもちれない」 きっと陽性だと知った瞬間から絶望していたのだと思う。毎日何人の感染者、毎日何人の死亡者、毎日何人の入院。テレビはそんなにつけていないけれど、耳に入らないわけじゃないそういう言葉が急

中村さん

最近、とある場所に出入りしている。 もともと他の方々の輪ができているなかにわたしが後から入ったのだが、ある日そのうちのおひとりがわたしを見て、「中村さんに似てるわ」と言った。 すると他の方も大きく頷き、「そうなの、わたしもそう思っていたのよ。なんだか雰囲気が似てらして」と言う。 「髪型が似てるのよね」「そう、目のあたりも」と、中村さんのことを思いながら、みんながわたしをまじまじと見るのである。 わたしひとりが、中村さんを知らない。どうやら中村さんは長くこの場所にいたのに