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フリーランスは誰かに守られている(のかもしれない)

はじめて会社というところで働いたとき、わたしは編集の仕事についた。「会社」どころか「世の中」の仕組みもたいしてわかっていなかった19歳、おとなになるために必要なほとんどのことは、そのときの上司が教えてくれた。

その日わたしは、デザイナーから上がってきた修正後の原稿を見ながら、自分が入れた原稿の朱字がきちんと直っているかどうか確認していた。そして何ページか読んで、全然直っていないことに怒っていた。確かに朱字は多かった。でもこちらも直しやすいように丁寧に清書して出したし、わかりにくくならないように書いたつもりだ。

一度で直してもらえないと、直っていない部分だけをピックアップして朱字を入れて、また直してもらうという作業が発生する。ここですべてがきちんと直っていれば、すぐにクライアントに提出できるのに。

「なんでデザイナーさん変えないんですか」

休憩中だったかパソコン越しにだったか忘れたけれど、わたしは上司にそう言った。修正箇所が全部直っていなかったのはこれが初めてではない。

「うーん」

上司はたばこを吸いながら(当時はオフィスで喫煙していた)しばらく言葉を選んでいた……と思ったらそのまま黙り込んでしまい、そこで話は終わった。答えを聞けたのは、その日飲みに行ったときだった。

「さっきさ、吉川がデザイナーを変えればいいって言ったじゃん?」
「うん」(タメ口)
「そりゃさ、◯さんが修正いつも落としちゃうの俺だって知ってるよ? でも、それで急に仕事切られたら、◯さんどうなっちゃうと思う?」

◯さんはフリーランスの人だった。たしか当時40歳くらいでひとり暮らし。仕事がひとつ切られれば直接生活に関わってくる。そんなことはわかっている、と当時のわたしは思っていた。

「……でも、それが実力なんじゃないですかね?」(たまに敬語)

わたしがそう言うと、また上司はうーんと言う。

「そうなんだけどさ、人って完璧じゃないじゃん? みんな吉川が思うように動ける人ばっかりじゃないし、苦手なところもあるよね」
「えー、でもそんなこと言ってたら仕事になんないじゃん」(タメ口)
「そうかな。別にスケジュール的に間に合わないわけじゃないし、もう一度修正かければいいことだよね」

わたしはぜんっぜん納得できなかった。何それ意味不明、と思いながらお酒を飲み、それで忘れた。だってデザイナーは変わらないのだからもう言ってもしょうがない。ふーん、ホント人がよすぎるよアンタ、と思って終わった。

でも、今朝このことをふと思い出した。
今まですっかり忘れていた、というか頭の片隅にもなかったことなのに、本当にふと、このやりとりが蘇った。

わたしたちフリーランスは、ひとつの仕事が「つながっていくか」「そうでないか」で暮らしが変わる。今だからこそわかるけど、振り返ってみれば当時のわたしにはそれがちっともわかっていなかった。仕事なんてまた探せばいーじゃん、くらいにしか思っていなかったのだろうし、そんなのわたしが知ったことか、とさえ思っていたかもしれない。

もちろん、「そんなの知ったことか」が現実ではあると思う。この忙しいスケジュールみちみちの出版界で仕事に滞りがあるフリーランスを使い続けるなんて普通はしないだろうし、代わりはいくらでもいる。わたしより書ける人、仕事の効率がよい人、根回しがうまい人、朱字の少ない原稿を書く人、たくさんたくさんいると思う。

でも、なぜかわたしは誰かに使ってもらえている。
つまりそれは、どこかでこういう人たちが守ってくれているからなのかもしれない、よね。

そのデザイナーさんは修正はいまいちだったけれど、締切に遅れたことは一度もなかった。デザインを何パターンも一生懸命作ってくれる人だった。そういう他のいいところを、その上司はしっかり見ていたんだと思う。そしてわたしは今そう思っただけで、当時は何も見えていなかった。

また全然別の機会、クライアントに値下げを要求されて、外注するフリーランスのギャラを落としたらどうですかね、と言ったことがある。そのときも上司は首を縦に振らなかった。

「この価格は適正なんだから、ギャラを落として使うのは絶対にやめてほしい。フリーの人の値段を落とすくらいなら、がんばってクライアントに交渉してこの見積もりで通るようにしたらいい。それが会社員にできることでしょ」

そのとき上司はそう言った。

ふーん、て思っていたけど、いま改めて書くと泣けてくる。だってそのフリーランスの立場に、今わたしはいるんだもの。

だから何っていうわけじゃないんだけど……。もし守ってくれている人がいたらありがとう。わたしのできないところに目をつぶってくれてありがとう。できないことがなるべくないように心がけながら、今日もがんばっていきます。



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