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Y字路

アートの島直島に上陸

低いエンジン音の唸りが徐々に高まっていく。夏の終わり、僕は宇野港から出港する小さな定期船に乗って直島に向かっていた。

直島は、瀬戸内海に浮かぶ小島で、地中美術館、ベネッセハウスといった美術館のほか、草間彌生の南瓜に代表される野外作品が島の各地に点在する瀬戸内随一の芸術スポットである。瀬戸内海の景観や元々の集落の歴史を踏まえて、直島だけのために構想したアートプロジェクトが多数あり、島全体が芸術に溢れたまさにアートの島である。美術史学科美術史学部を卒業した僕にとって、直島は「いつかこの眼で拝みたい場所ランキング」の上位に常に君臨する特別な場所で、今か今かとこの日を待ちわびていたのだ。そこにようやく僕はやってきた。船のエンジン音が消えても、鼓動は高まるばかりだった。

島の船着場に到着し、まず出迎えたのは海の駅なおしま。広くて薄い鉄板屋根を細いポールが支える軽やかな平屋建てで、磯の香りがほのかに漂う。開放感のあるデザインはアートの島の玄関口にふさわしい。海の駅から程近いところに、早速草間彌生の赤かぼちゃがあり、そこからしばらく歩くと、無形文化財にも指定さている女文楽という女性だけで作り上げる人形浄瑠璃から着想を得て作られたというBUNRAKUPUPPETという巨大彫刻が鎮座し、その少し先にも直島パビリオンという、これまた巨大で幾何学的なオブジェが目に入った。

上陸してほんの数分の間でこの情報量だ。島全体にはもっと心を揺さぶるものがあるに違いない。僕は海の駅のすぐ向かい側にあるサイクルショップへ小走りで向かい、電動アシスト自転車と島の地図を入手した。早く島を見て回りたい、早く美術館に行きたい。はやる気持ちを抑えきれない僕は水を得た魚のように自転車を漕ぎ出した。美術館のある方向へ坂道をしばらく進むといくぶんか景色が開けた所があり、さっき渡ってきた瀬戸内海を展望できた。もう既に僕は直島の雰囲気に魅了されていた。目に映る何もかもが何かを訴えかけているように感じるのだ。全部に意味がある、見逃してはいけない、感受性の瞳を見開くんだ。僕は自分の中のセンシビリティーと電動自転車のギアを一段階上げて、坂道を登っていった。何もかもを吸収してやろうと意気込む僕の心はスポンジのように軽い。期待と興奮がペダルを踏み込む動力源となり、僕は風を切って進んでいった。

突如現れたY字路と看板

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しばらくして自転車を漕いでいると、前方にY字路が見えた。美術館はどっちだろう。サイクルショップの店員にもらった地図を見ても、このY字路まで細かく描かれていない。僕は一旦自転車を止めてみることにした。するとY字路の分岐点の左側の壁にこんな看板が立っていた。

「この先アート作品はありません “No more Art works beyond this point.”」

はて…。この先にアート作品はありません、か。確かにこれまで来た道と比べると左側の道路は舗装がなく、自転車では進めそうにもない。道路のカーブ具合から見ても、右側に進むのが正解な気がする。だから特に地図では明記されていないんだろう。そうか、この先にはアート作品はないのか。と、本来だったら、この案内板にただただ納得して、右側の道を選べば良いだけなのだが、この先アート作品はありません、とはっきり言われてしまうと、本当にそうか?という疑心が湧いてくる。

この先にはアート作品はない…のか?

この先アート作品はありません

なんだか気になる。そもそもアート作品というのは、鑑賞者の眼というフィルターを通して、立ち浮かんでくるものであるはずだ。それこそ、僕から見たらなんか特別でないあのかぼちゃでさえ、草間弥生の眼を通せばアート作品に変貌するのだ。どこかで読んだことがある。草間弥生がかぼちゃというモチーフに出会ったのは、彼女が小学生の頃。種苗業を営んでいた実家の採取場で見たかぼちゃに造形的興味と精神的なたくましさを感じたという。草間が「命を持って私に語りかけてくる」と語るかぼちゃは、彼女のその後の創作人生の重要なモチーフとなってきた。それが現にアート作品として、直島の玄関口にも存在していたじゃないか。

僕は、「この先にアート作品がない」というその看板の向こうを見つめる。本当にこの先にはアートがないのだろうか。僕の心を少しでも揺さぶる芸術体験はこの先にはないのだろうか。僕は深淵を覗き込むように、看板の先をしばらく眺めていた。一見何の変哲もないただの坂道だ。アートのない世界。芸術のない世界。少なくともその言葉からは、「そこはどんな世界なんだろう」という興味を掻き立てる何かが存在している。

観察すること、発見すること

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(画像引用:https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/824/)

ふと、また別のことを思い出した。芸術家の赤瀬川原平は、上れることは上れるのだがその先に出入り口がなく降りてくるしかない階段や、設計変更や補修工事の名残で塗り固められた壁から突如飛び出した開閉不可能なドアノブなどを街の至る所で見つけた。その存在がまるで芸術作品のようでありながら、極めて非実用的であることを「芸術よりも、より芸術らしいもの」と解釈して、それらを『超芸術』と呼んだ。超芸術をアート作品だと思って作った作者は存在せず、ただそこに存在していることを鑑賞者が発見することによって芸術になる。赤瀬川はそういった都市に点在する誰が何のために作ったのか分からないものの中に芸術性を見出し、それを写真にとって展覧会を開いた。つまり「発見する」という行為こそが、彼にとっての芸術体験だったのだ。

となると待てよ。この看板を発見して、あれやこれやといろんなことを想起している僕という鑑賞者が存在しているということは、この看板にはやはり何かしらの意味があるのだろうか。もしかするとこの看板こそが、アートとは何かを問うアート作品なのかもしれない。この先にアート作品がないと謳う以上は、この看板はアートのない世界を前にした僕にとっての最後のアート作品なのか?いや!むしろ!このY字路は、分岐を前にした者たちにとっての「試しの門」のようなものなのかもしれない。「この先にアート作品がない」という文面を批評的な眼で再解釈できた者だけに開かれる道を示していて、Y字路の左側の道には、分かるものにしか分からない芸術の世界が広がっている。この看板は来るものの感受性をふるいにかけ、芸術を単なる”映え”としか思っていない輩から本当の芸術を守るための門番だったのだ。なるほど、観光案内の地図に載っていなかった理由が分かった。僕はY字路で立ち止まることができた、そして看板を発見した。今、この看板は”命を持って僕に語りかけている。”

「あらゆるものがアートである。この看板も、このY字路も、そしてこの島全体がアートにまみれた芸術の島なのだから、心して進むのだ。」

僕はニヤリとした。危ない危ない。見落とすところだった。並の人間じゃ気づかなかったであろう。誰もが見過ごしてしまうなんの変哲のないこの道の先にこそ、芸術のエルドラドが待っているのだ。僕、もとい、真の芸術の探求者は自転車を置き、この先にアート作品がないというY字路の左側へと進んだ。明らかに人の通った形跡の少ない、轍もない、道なき道に一歩足を踏み入れた時、僕は芸術の門番にようやく認められた安堵感を得た。右側の道より、いくぶん勾配が急だ。それでも歩いた、僕は歩いた…。ただひたすらに…。

が、しかし、その先にこれと言って特筆すべきことはなかった。

僕は踵を返して、さっきのY字路の分岐点まで戻り、自転車に乗って右側の道を進んだ。ここはアートの島だ。寄り道している暇はない。

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