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夏休み、延長します。


夏休みの終わりが見えてきました。

学生さんや、学校へ行けないお子さんをお持ちの方にとっては、
だんだん心が重たくなってくる時期ですね。


うちの小学生の娘たちふたりも、学校が怖いです。
夏休み前は、週に2日ほど、1時間だけとか、がんばっても2時間とか、そんなペースで行っていました。

みんなみたいに朝から5時間目までなんて、とても無理なのだけど、この週に2日は行くということを死守していた感じがありました。



なぜなら、不安だったからです、私が。



週5は難しくても、せめて2日くらいは。

昨日もその前も行けなかったから、今日は行かないと。

なるべく学校に行って慣れさせたほうが良いのでは。

ちょっとずつでも行ったら少しずつ行けるようになるんじゃないか。

ずっと休んでしまったらもう二度と行けなくなるのではないか。


そんなことを考えていました。

娘たちは当然、学校へは行きたくないので、泣きますが、
それでもなんとか説得し、励まし(騙し?)、この2日は行っているという状況を無理して作り上げていました。

それによって安心していたのは私だけだと思います。



今年の夏休みは、いろんなことをしました。
ゲーセンで遊んだり、コンサートに行ったり、美味しいものもいっぱい食べに行き、おばあちゃんちにも行ったり(私は辛いが)、毎日スプラトゥーンをしまくり(フェス楽しかったよね、子どもたちは”ごはん”派でした)、一緒にヒロアカのアニメを見て、プールでもたくさん遊んで、そのおかげで日焼けがひどく、大変だったけど、
とても充実していました。
だからあっという間でした。

夏休みの間娘たちは、精神的にとても安定していました。


それで、思ったんです。





これでいいじゃん、と。



娘たちは毎日とても楽しそうでした。
学校がある間は、「明日学校こわい」と言って、夜寝る前は泣くことが多くありました。明日休みにしようと言っても、寝る前に怖い気持ちが出てきて、泣く、ということもありました。

それは私が心の中で、【学校に行けるようにならないと】という思いをまだ握りしめていたからだと思います。


現在4年生の長女は2年生の頃から学校にあまり行けなくなり、これまで紆余曲折、本当に色んなことがありましたが、その中で、【学校に行けるようにならなきゃいけない】という固定概念を私は手放せたように思っていました。
その詳細はこちらに書いています↓↓↓


ですが、この充実した楽しい夏休み期間を経て、気付きました。



いや全然手放せてなかったわ。



週5日あるうちの、3日は行けなくてもいいか、程度の理解だったように思います。

学校を休むことにさほど罪悪感をおぼえないようになっても、
家での子供たちとの時間を穏やかに過ごせるようになっても、
”学校に通えるようになることがゴールではない”とわかっていても、

私の意識はまだ学校に縛られていました。

それは具体的には、
娘たちが通う学校や先生がどうだとかいうことではなく、
私の中にある『普通であらねば』『社会に適応しなければ』『はみ出ないようにしなければ』という認識からくるものであったと思います。
それは私が子供の頃から植え付けられてきた価値観です。
それによって何十年も苦しめられてきた価値観です。


そんなものは自分にはもう不要だとわかっていたはずなのに、なかなか頑固なんだな、これが。

だけど夏休み期間中の娘たちの心からの笑顔が、私が固く握りしめていた不要な価値観を手放すことを、後押ししてくれました。


わたしが死守すべきだったのは、
週2日学校に通っているという既成事実などではなく、
娘たちの心からの笑顔でした。


先日、夜寝る前にこんな話をしました。
「夏休みはもうすぐ終わるけど、学校が始まっても夏休みみたいにしよう。」
学校を休んで、水族館に行ったり、一緒にアニメを見たり、好きなところに行って、好きなことをして過ごそう。
それでいいよ、と。

それは私の心からの願望でもありました。

泣きながら、がんばって、週に2日学校へ行く娘たちの姿より、
私は彼女たちの心からの笑顔が見たいのです。


それでも長女の中で、
「少なくとも週に一回は必ず学校に行っている」いわゆる”完全不登校ではない”ということは大切なことでした。
長女はこんなに学校を休んでいても友達が多く、友達と会い、繋がっていることは安心材料のうちの一つでした。
これまで適応指導教室やフリースクールなども検討してきましたが、長女にとっては友達と同じ学校に行くということがとても重要でした。

今は週に一度、スクールカウンセラーの先生と面談していることもあり、これからもおそらく週に一度は学校へ行くと思います。

でもそれ以外は、娘たちが行く気持ちがある時にだけ行けばいい、と今は思います。



子どもたちの不登校で、私の人生に対する向き合い方がどんどん変化して行きます。
急にガラッとは変わらないけど、彼女たちと歩みを共にして、少しずつ、軽やかになって行くのを感じています。


私が抱えていた不安や恐れは、
娘たちには必要ないのです。


彼女たちに必要なものは、
安心と、信頼です。


親としてそれを与えてやるには、
私自身が安心と信頼を両手いっぱいに抱えていることです。




お母さんが大丈夫だと思えば、子どもは大丈夫です。

なんの心配もいりません。




なので、我が家は夏休みを延長します。

いつまで延長するのか、わからないけど、この先ずっとかもしれなくても、
それでいいんだと、大丈夫なんだと、今は迷いなく言えます。



最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。





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