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幼少期編3 自分に自信がもてない

今まで、両親との関係性、姉との関係性について書いてきたが、その影響のためか、小さい頃は自分に自信がもてない子どもだった。

・自分の意見を言うと否定、批判される。

・意見をそもそも聞き入れてもらえない。

ということが多かったため、自分の考えを言えない、言わないようになっていった。

両親は共働きであったため、学校から帰宅後、姉と2人の時間を過ごすことが多かったのだが、自分の意見を押し通そうものなら、罵られ、殴られ、蹴られた。

だから、自分が間違っていなかったとしても、謝る。

謝れば、身体的にも精神的にも傷つけられず、全てが丸く収まるからである。

そして、両親に告げ口をしようものなら、後々その行為はエスカレートしていくことになるのである。

このような環境で過ごした結果、学校生活にも影響を及ぼすようになっていった。


相手に自分の考えを言えない弊害

小学生時代、相手に自分の気持ちを伝えるのが苦手だった。

授業中に発言したり、相手に対し感謝の気持ちを伝えたりすることはできるのだが、拒否感を示したり相手の意見を否定したりすることができなかった。

それを大人たちは、「よるちゃんは優しいからね」との一言で済ましていたような気がするのだが、そういうわけではない。

家庭内の生活の中では、そのようなことをすると、身体的にも精神的にも 追いつめられることになるため、できなかったのだ。

このような性格は、幼少期から現在にかけて大きく影響を与えることになる。


虐めの経験

小学4年生の頃、クラスが変わりいつも仲良くしていた4人グループの中に、新しく仲良くなった女の子が入ってくるようになった。

その結果、いつも一緒に行動していたにも関わらず、私は仲間に入れてもらえなくなった。俗にいう、女子は奇数だと上手くいかない、というやつだ。

大人になった今ではなんと馬鹿馬鹿しい、と思うのだが、子どもの学校と いう狭い世界の中では、一大事だった。

私、何か嫌なことをした?

どうして仲間に入れてもらえないのか。

私に対し、直接的に悪意を示してくるわけではないものの、何かをするときにおいて誘ってもらえず、入れてもらえない。それだけでも寂しく、辛かった。

そんなあるとき、別のグループの子達が声をかけてきた。

「よる、最近あの4人と一緒にいないよね、どうしたの?」と。

ずっと辛い気持ちを隠していたが、我慢できなくなり、私はその場で泣いてしまった。

それを見て、他の子達はいじめられているの?大丈夫?と心配してくれたが、これが間違いだった。

その子達は、私が仲良くしていたグループの子達に対し、

「あの子達って生意気な所があるよね」

「確かに、うざいなって思ってた」

と悪口を言い始めたのである。私は、その悪口に対し否定も肯定もせず、 ただ泣いていた。


翌日、仲良くしていた4人グループに呼び出された。

「よる、昨日私たちの悪口言ってたでしょ」と。

昨日、私が泣いてしまったときにいたグループの子達が、そう言っていたと。

ここで、「私は言っていない。なんなら悪口を言っていたのはその子達だ」と状況説明できればよかったのだが、そんなことはできず。パニックになっていたのもあるが、実際悪口を言っていた子達の言葉を否定できなかったのも事実であるため、

私はただただ、ごめんなさい、と謝ることしかできなかった。

その後、クラス全体から仲間外れにされ、クラスが変わる半年間、    私は虐められ続けた。

今となっては、本当にくだらないと思うが、その頃はとにかく辛く、しんどかった。

クラス替えの際、そのいじめの主犯格の子達とまた同じクラスになろうものなら、本気で死のうと思っていた。

結果として、クラスは同じにならず、私はその後仲の良い友達もできたため事なきを得た。

また、主犯格の1人の女の子とは、しばらく経った後謝罪をされ、今となっては何も憎んだり嫌ったり等はしていない。

ただ、その時の辛さや悲しみは、今も私の胸に残っているが、日常生活に害をなす程ではないため、月日の経過とともに消化できているのだろうと思う。


虐められる子と虐められない子

私の友達に、容姿が綺麗で頭もよく、いつも友達に囲まれている子がいる。その子の周りでは虐めの問題に悩まされることもなく、いつも平和だった。

幼心に、どうして私はあの子とは違うのか、と不思議に思いつつも、羨ましかった。

今もその子とは仲良くしているのだが、その子は人に悪意を向けられることがないのである。

もしかしたら、向けられてしまうこともあるかもしれないが、その子は自分の意見をしっかり持ち、思ったことをはっきり言える子であるため、理不尽、かつ嫌な思いをすることが少ないのかもしれない。

私が虐められている時も、その子は虐めの主犯格の子に

「もうやめなよ」と言って止めてくれた。

もし、私もその子のように最初から意見を言えたら、事態は拗れず、   少しはマシなものになっていたかもしれない。

実際、私は高校生の時にも虐めを経験するのだが、その時は小学生の頃より自分の考えを態度に示すことが多少できるようになっていたため、事態はそこまで拗れなかったように思う。


大人になった今でも、我慢しなければならない場面や理不尽の場面、たくさんあるものの、あの幼少期時代に比べると、非常に生きやすい。

自分の考えや信念をもち、目標を持って生きるのは大事なように思う。


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