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哲学、教育学系 教育工学分野で研究D1〜 「学ぶことは果実より花である」

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哲学、教育学系 教育工学分野で研究D1〜 「学ぶことは果実より花である」

最近の記事

研究をするということの原体験

最近、「原体験」についてよく考える。大学院生活のなけなし収入の一部をNetflixという某サブスクリプションサービスに払って、アニメをよく見ているからだろうか。というのも、よく見るアニメ-ハイキュー、宇宙兄弟、ヒロアカ、ナルトの主人公は大抵、幼少期あるいはかなり若い時に、その先の人生を大きく変えるような「原体験」なるものがあり、それに突き動かされていく…みたいなのを見すぎているせいか。原体験って何だろう。自分にとっての原体験って何だろうか。 求められる「原体験」なるものたし

    • 大学院で1年間学んでわかったこと

       大学院で過ごして早一年、気付けばもうM2になっていた。やっとこさ自分の研究テーマや、リサーチクエスチョンを設定でき、そこで利用する研究方法もある程度理解できてきた。航海でいえば、たどり着きたい島が見つかり、羅針盤も手に入れた。あとは、先人たちが積み上げた科学における「実証の手続き」に従いながら、島に向かって全速力で進んでいくだけだ。しかし、自分のリサーチクエスチョンに答えを見いだすまでのこの航海は、嵐や荒波など、何があるかわからない。だから、いったんセーブポイントとして、こ

      • 「学ぶことは人生においてとても重要!」の“学ぶこと”って何だろう?

         変化の激しい現代において、一生涯を通じて学ぶことは、誰にとってもの宿命になりつつある。さらに、その「学び・学習」はもはや学校教育の中だけでなく、仕事、余暇、スポーツなどのあらゆる場面で生起するようになっている。言い換えれば、学校を卒業してからも、新たな知識や技能、教養を身に付ける必要がある。なぜなら変化の激しい時代においては、過去に学んだ知識はすぐに陳腐化し、新しい知識やアイデアを生み出す必要があるからだ。今回のnoteでは、2017年に告示された学習指導要領のおける学校教

        • 僕がどんな大人になりたいか。

          いつもは本から学んだことや、知的なことをベースにブログを書いていますが、そんな僕も就活をする時期にきて、自分の人生や大学の後の進路を考えだす中で、また僕の一年間持っていた最高の塾の生徒たちを次のステージに送り出す中で、改めて僕がどんな大人になりたくて、どんな人生を歩みたいと思っているかシェアしたいと思います。 どんな大人になりたいかを一言で。僕が、どんな大人になりたいかを一言で表した言葉は、これです。 Be who you needed when you were you

        研究をするということの原体験

        • 大学院で1年間学んでわかったこと

        • 「学ぶことは人生においてとても重要!」の“学ぶこと”って何だろう?

        • 僕がどんな大人になりたいか。

          人生を豊かにするプレイフルシンキング

          誰かに何かを頼まれたとき、例えば上司に「新しい仕事」を任せられたとき、もしくは受験などの人生の課題に直面したとき、あなたは次のうちどちらを自らに問いかけるでしょうか? Can I do? 「できるかな?」 How can I do? 「どうすればできるかな?」 前者は「自分ができるかどうか」に焦点が当てられています。後者はできるかどうかではなく「どのようにするか=方法」に焦点が当てられています。私たちの人生をより豊かにするのはどちらでしょうか。 あなたは今していること

          人生を豊かにするプレイフルシンキング

          今日からソクラテスになろう

          あなたは路面電車の運転手で時速100キロの猛スピードで走っている。行く手に5人の労働者がいることに気づいて電車を止めようとするが、ブレーキは利かない。あなたは絶望する。そのまま進んで5人の労働者に突っ込めば5人とも死んでしまうからだ。ここでは、それは確実なことだと仮定しよう。あなたは「何もできない」と諦めかける。が、そのとき、脇に逸れる線路=待避線があることに気づく。しかしそこにも働いている人が一人いる。ブレーキは利かないがハンドルは利くので、ハンドルを切って脇の線路に入れば

          今日からソクラテスになろう

          「みんなの意見」は案外正しい

          イギリス人科学者フランシス・ゴールトンは、選ばれたごく少数の人間だけが社会を健全に保つのに必要な特性を持っていると信じていたので、血統に大きな関心を持っていた。世の中の人の圧倒的多数にはこうした特性が欠けていると証明するために、人生の大半を費やした人物とも言える。 ある日、見本市で雄牛の重さを当てるコンテストが行われていた。6ペンスで通し番号が刻印されたチケットを購入し、それに氏名・住所・重量の推定値を記入する。いちばん正解に近い人が景品をもらえるということになっていて、ゴー

          「みんなの意見」は案外正しい

          何のために学ぶのか?あなたはどう答える?

          僕は、塾講師をしています。大学生活の多くの時間を塾講師としてのアルバイトに費やしています。そんなある日、ある一人の生徒(男子高校生A君)が、僕にこんなことを言ってきました。 「先生は、何のために学校に行くと思う?」 僕は哲学が好きで、生徒に哲学的な話をすることが多いので、それもあってか、このような問いを持つことになったのだろうと思います。このブログでは、この問いに対する僕の視点をシェアできればと思います。 人は今日学んでも明日には忘れる。だから明日の僕のために今日の知を

          何のために学ぶのか?あなたはどう答える?

          明日を生きるためのキャリア論

          人は生涯を通じて、色んな「顔」を持って生きていく。例えば、いまの私ならこども、大学生、市民、余暇人などであろうか…。それらは、数々のキャリア論の中で、「役割」と言われている。それでも当然、皆が同じ役割を引き受けるわけではなく、またすべての役割を終えることができずに、生涯を終えることもあるだろう。いずれにせよ、その過程において、様々な困難/課題が立ちはだかる(現在の私であれば、進路探索)。そのような中で、私とあなた、ひいては私たちが目の前の困難/課題に立ち向かうために、もしくは

          明日を生きるためのキャリア論