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僕がどんな大人になりたいか。

いつもは本から学んだことや、知的なことをベースにブログを書いていますが、そんな僕も就活をする時期にきて、自分の人生や大学の後の進路を考えだす中で、また僕の一年間持っていた最高の塾の生徒たちを次のステージに送り出す中で、改めて僕がどんな大人になりたくて、どんな人生を歩みたいと思っているかシェアしたいと思います。

どんな大人になりたいかを一言で。

僕が、どんな大人になりたいかを一言で表した言葉は、これです。

Be who you needed when you were younger.
(訳:あなたが若かったときに必要だった人になりなさい。)

大学生活の中でのインターン先の人がFacebookでつぶやいていたのをみて、がっつり頂戴しましたww

なぜこれに共感したか、おそらく僕の塾講師としての経験が一番大きいと思います。僕は高校生の時、勉強が得意なわけではなく、また心の底から「おもしろい」と感じた教科は数多くありませんでした。しかし、塾講師として教えていく中で、自分の知らなかった勉強のおもしろさを知り、高校生の時に勉強していた際には気づかなかったことをたくさん知りました。そしていつの日か、僕は「自分が学生だった時、このような授業を受けてみたかった」と思える教え方を模索しました。これが上の言葉に共感した原点だと思います。

自分の経験をいかにして他者につなぐか?

僕たちは人生の中で、良いことも悪いことも数多く経験し、ときには自宅の外には一歩も出たくなくなるような理不尽な経験をすることもあるでしょう。特に嫌な思い出は自分の記憶の奥にしまい、忘却してしまう方が楽なのかもしれません。
しかし、僕は自分の将来の姿やどんな大人になるかについて、実はその記憶や経験が大切な一つではないかと思います。
自分が「あの時、このような人に出会いたかった」と思うなら、もしかしたら、そのような大人は社会に必要とされている姿なのかもしれない。
「このような言葉をかけてもらいたかった」と思うなら、その言葉を他の人にかけれる人になればいいと思うんです。

自分が見たり、感じたりしたことが必ずしも他人のそれと同じとは限らないし、また強要することはいけないことですが、きっと「社会に必要とされている人の姿」は「私が過去に必要とした人の姿」に近いものがあると信じています。それが一人で生きていけるわけではない、社会の中で生きている私たちの真実だと思います。

過去のジレンマから解放されること

何をしても「あの時こうすればよかった」「もっと早くそれを知りたかった」と思うことはありますよね。
例えば、「もっと勉強しておけばよかった」などです。
では、たとえば「あの時、勉強しておけばよかった」という「あの時」にタイムスリップして、自分自身に「もっと勉強しとけよ」と言ったら、自分自身は勉強を熱心にしたでしょうか。僕はそうは思いません。

大切なことは

今、そう思った人が、今からやればいい。

だと思います。
起きたことの原因を考えていても問題の解決にはならないし、また起きたことに対し何もしないのは、起きていることを肯定することになってしまう。なら、「次、どうするか?」という視点が「過去」というしがらみから解放する術なのだと思います。

今を真剣にかつ丁寧に生きる

ドイツの宗教改革者で有名なルターはこんな言葉を残しています。

Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.
(訳:たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える。)

僕たちは周りの雑音や社会の慣習により、なんとなく、ぼんやり未来が見える気がしてしまう。だから、今を将来の手段や道具として過ごすように思考が働いてしまう。でも、人生はそのうすらぼんやりした未来のためにあるわけではなく、「今」のためにあるはずです。

今日できることを今日すればいい。過去にとらわれず、未来に悲観せず、「今」を真剣に生きたかどうか、人生で大切にしたいことはこんな感じです。では

あなたはどうでしょうか?

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