見出し画像

大学院で1年間学んでわかったこと

 大学院で過ごして早一年、気付けばもうM2になっていた。やっとこさ自分の研究テーマや、リサーチクエスチョンを設定でき、そこで利用する研究方法もある程度理解できてきた。航海でいえば、たどり着きたい島が見つかり、羅針盤も手に入れた。あとは、先人たちが積み上げた科学における「実証の手続き」に従いながら、島に向かって全速力で進んでいくだけだ。しかし、自分のリサーチクエスチョンに答えを見いだすまでのこの航海は、嵐や荒波など、何があるかわからない。だから、いったんセーブポイントとして、この1年を振り返っておこう。

大学院(M1)で履修した授業

 M1では、自分のゼミ以外にも様々な授業を履修した。その中でも、面白かった授業をいくつか挙げてみよう。

対話術A(哲学対話入門)
フィールド調査法特講
システム思考
研究方法とアウトリーチのデザイン
人間科学方法演習
等々

 これ以外にもいくつかとっているが、これらはとても印象に残っている。まず「対話術A」は、相手の価値観や考えの前提を理解するために必要なコミュニケーションのあり方や心構えを学ぶワークショップ型の授業だった。特に、相手を傷つけるアグレッシブな自己主張ではなく、将又、自分の言いたいことが言えないというパッシブな自己主張でもなく、相手を傷つけずに、自分の思っていることが言えるようなアサーティブな自己主張の仕方を学んだ。
「システム思考」の授業では、初めにボードゲームを行って、その後にゲームを一緒に参加した者同士で、ゲームの様々な要素の相関関係・因果関係をマップに可視化した。それをすることで、ある事象をシステムとして捉えることを学んだ。

画像1


「研究方法とアウトリーチのデザイン」では、人文、社会、自然科学における様々な研究方法論についての本を輪読しながら、自分の研究を異分野の人に説明する能力を養成した。実際に、自分の研究に関するイベントも開いた。すべての授業が研究に直接役に立つとは限らない。しかし、2年間のうちにそこでしか得られないものがあると思ったので、学べるものはなんでも学ぼうという精神で駆け抜けたM1(履修)だった。

研究方法ってすっごい大事

 そんな中、一番大変だったのは、研究のテーマとリサーチクエスチョン(問い)を設定することだった。特に、問いを立てるための道筋に多大なる時間を要した。まさに、アインシュタインの以下の名言には共感の嵐だ。

「私は地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、59分を問題の定義に使い、1分を解決策の策定に使うだろう」
("If I were given one hour to save the planet, I would spend 59 minutes defininig the problem and one minute resolving it")

 自分の問題意識や問いを立てるには、実証するロジック、すなわち、研究の方法をある程度理解しておく必要があった。羅針盤の読み方を知らないのにたどり着きたいところに行けるはずがないのだから。

 研究には、大きく分けて量的研究と質的研究が存在する。量的研究では、実験や調査等で得た数値データを扱い分析する。ここでは、研究する者のバイアス(認識の偏りや先入観)を極力減らし、より客観的に事象を捉えようとする。一方、質的研究は、インタビューやフィールド調査などを経て、様々な言語や状況に関わる情報を収集し、その意味を数字に置き換えたりせずに検討する。まあ厳密には二者択一ではなく、混合研究も存在するが、ひとまず、そんなところだろうか…

画像3


 M1では質的研究の方法に関する授業ばっかり履修していた。なぜなら、数学・統計などが苦手だったので。実際、夏休みの前くらいまでは質的メインで行おうと思っていた。しかし、質的研究は、数学・統計の力を利用しない分、逆に決まりきった絶対的な方法は存在しない。さらに、研究プロセスも量的研究ほどリニアではないので、仮説を前もって厳密に生成することができない。そこに研究の難しさを感じ、夏休み以降は統計学を学び直し、結果的に量的中心で行くことになった。

問いを立てるのに1年かかった話

 研究方法を学ぶことは、料理における包丁の扱い方(みじん切りにするか輪切りするか)や、油で焼くのか揚げるのかという手続きをマスターすることとよく似ていると思う。油で揚げるということを知らない人が、エビフライをつくれるはずがないだろう。
これは一種の制約条件でもあると思っている。そもそも、リサーチクエスチョンは、自分が今持っているリソースを動員して、答えることのできる問いを設定する。だから、様々な統計学の手法を理解し、活用することは自分の研究の幅が広がる面もあるが、研究の方向性に一種の制約を課している。すなわち、「焼くのではなく、油で揚げる」と決めておけば、誰だって完成品の料理を少しは予測しやすくなるだろう。それを色々学んでいるうちに、早1年が過ぎた。
 その中でも常に考えていたことがある。研究テーマは、自分の興味関心そのものでもあるが、そのテーマについてすでに多くを知っているわけでもなく、知っていなければならないわけでもないと思う。重要なのは、「いまよりももっと知りたいという気持ち」だろう。だから、この1年間ずっと自分に一貫して問うてきた、「私は何が知りたいんだろうか?」と。

研究とは何か?

 論文検索サービスの1つのGoogle Scholarは、普段あまり使わないが、学部生の頃はよく使っていた。なぜなら、近代物理学を生み出したアイザック・ニュートンの名言をもとに作られた「巨人の肩の上に立つ」というワードが、なんかカッコよかったからだ。ここでの巨人とは、すなわち先人たちの知恵を指している。つまり、そのような先人たちの知恵をしっかり学び、その上に立脚して研究を行うことで、自分1人の頭で考えるよりも、遥か先まで見通せるだろうという意味が込められている。

研究とはなにか

 だから、これまでの研究者たちの知恵に敬意を込めて、自らの研究を進めていきたい。いつか、自分の研究がその先人の知恵の1つになれる日まで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?