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研究をするということの原体験

最近、「原体験」についてよく考える。大学院生活のなけなし収入の一部をNetflixという某サブスクリプションサービスに払って、アニメをよく見ているからだろうか。というのも、よく見るアニメ-ハイキュー、宇宙兄弟、ヒロアカ、ナルトの主人公は大抵、幼少期あるいはかなり若い時に、その先の人生を大きく変えるような「原体験」なるものがあり、それに突き動かされていく…みたいなのを見すぎているせいか。原体験って何だろう。自分にとっての原体験って何だろうか。

求められる「原体験」なるもの

たしか就活の面接とかでもよく聞かれたっけな。面接のシーンだけでなく、就活に向けて(就活の一貫で)、「自己分析」なるものをするときに、幼少期に何を体験して、どんな印象的な出来事が自分の中で残っていて、今の自分をどう形成しているかとかいう「原体験」なるものをずっと考えて、エントリーシートにも書いていた気がする。そこでいつも悩んでいた。

自分にとっての原体験って何だ?

ただ、そこで出てきたのは、いつも「んー、これかなあ」みたいな納得感半分もないくらいのことを挙げて、面接では結局色々な原体験が複製されてた気がする。

あと、ちょっと不満だったのが、面接とかでは、大学生活とか比較的最近の「原体験」なるものより、幼少期とか比較的昔の「原体験」なるものが重視された気がする(あくまで気がする、違うくても責任取りません)。つまり、「原体験」は幼少期であればあるほど価値が上がるみたいな、相関係数0.99(p. <0.01)だった気がする(線形モデル)。

いま思う「原体験」なるもの

いまは色んな人の支え合って、研究を楽しくできている。そこで研究の原体験を改めて考えてみたい。なんでこんな研究することに興味とか、好奇心をもったのだろうか。
いまなら就活とか関係ないから、相関係数も気にしないで最近も含めて考えれる。そんなとき、今日研究室に来る時にかなり納得感がある「これ」っていう研究することに対する原体験を考えついた。それが以下。

大学2回生くらいのときに、自分が将来「やりたいこと」がないことに悩んでいた。大学生活に慣れて、そろそろ就活とかも考えないと、と思っていたが、いかんせん「つきたい職業」とか、「やりたい仕事」が思いつかなかった。
身近にいる、こういうことを話せる学生の友達とか、大学の先生とか、社会人の人と話してもいまいち、このモヤモヤした気持ちは晴れなかった。そして、「人の人生の生き方」とかの哲学的な書籍を読んでみたり、「キャリア形成」についての理論の本を読んだりして、その流れで、現代の日本キャリア教育のことについて関心を持って、色々論文をあさっていたら、ある論文を見つけた。

出典:自分(参照日2022/11/12)

それはこの論文

タイトルを見た瞬間「これだ」と思った。この論文(著者)では、「何になりたいかという問いがしばしば問いとして子どもたちに投げかけられるが、そうした問いは実は発達段階を考慮すると妥当ではない可能性があるという問題提起からはじまる。そして、つきたい職業などの具体的な答えを誘発する「やりたいこと(What)」を問うのではなく、より抽象的な「いかに生きるか(How)」を問う必要があること」を述べている。
また、「子どもたちに<どんな職業につきたいか?>と聞いたとしても、そもそも、その職業が将来無くなっている可能性、whatの中身の存在可能性」にも言及している(詳しくは一次情報)。

出典:自分(参照日2022/11/12)

他にも心に残っている内容はあったけど、ぜひ皆さんに読んでほしいので、あと書くのが大変で枚挙にいとまがないので、割愛する。

これを読んだときにある2つの印象を受けた。そしてこれが研究するということに対する自分の「原体験」になった。

1つは、自分のモヤモヤしている問いに、暫定的な答えを提示している人がいること、つまり、自分が疑問に思ったり、問うたことを真剣に探究している人がいるということの面白さ。

というのも、研究はいつだってリサーチクエスチョンから始まる。そして研究の前提は、そうした問いを同じように思いついた人が、世界のどこかに必ずいる。だから、その問いについて「いまわかっていること」と「わかっていないこと」の整理をしようと試みる。

そうしたことをこの論文を読んだ瞬間に疑似体験したのが、研究の面白さとか、意義深さとか、言語化できないすごい感覚が、原体験となった。その当時は研究の事なんて、よくわからないので、そこまで深く思っていなかっただろうけど。

出典:自分(参照日2022/11/12)

この論文を読んで思ったことがもう1つある。それは、自分が研究にするなら、この論文のように必ず教育というトピックを取り入れたいと思った。その日から、塾講のアルバイトや大学、NPO法人のインターンなどすべてが、教育を研究するにあたっての自分の観察対象となった。
・どういった指導方法が生徒の教科に対する動機を高めるのか?
・大学の授業がどう変われば、みんな出席しようと思うのか?
・大学ってなんで行くんだ?
そうしたことを色々考えて、今にたどり着いている。
意識的にせよ無意識にせよ、この日常の教育現象を観察するようになったことも研究のスタートだったと思う。なぜなら社会科学の研究は観察をすることから問題を発見する。その感度を高めることに繋がったと思う。

出典:自分(参照日2022/11/12)

原体験は続く

こうした原体験があることに気づいた自分だが、きっとこれから色んな出来事を経て、違う「原体験」なるものが出てきそうだが、ひとまず当分は「研究の原体験はこれです」と語れそうだ。就活の面接では、使えそうにないが…(当分就活しないからいいか)

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