【324】学習や勉強の原則を幾つか書いてみる

もともと筋力トレーニング以外の運動などやっていなかったというのに体が割と柔軟なこともあって、アシュタンガヨガのプライマリーシリーズで(表面的に)ポーズをとるのにあまり苦労はしてきませんでしたが——過去の記事でそう書いてはいたのですが、問題となるマリーチアーサナは数回のトライの後できるようになりました——、シルシャーサナ(いわゆるヘッドスタンド)には苦戦しました。

シルシャーサナがどのようなポーズかということは、言葉で説明するよりも動画で観たほうがよさそうなものですので、リンクをぺたりと貼っておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=Wly-EgU76ZY&t=325s

その苦戦も終わりつつあり、ここ数日は足を上げて数分単位でバランスをとることに成功しています。今となっては、(もとからできた)三点倒立よりも安定を感じられるくらいです。

できるようになるまでは色々練習しましたが、その経験から、一般に技術を習得する際に必要になりそうな諸要素を見てみたいと思います。思い返してみれば大学受験のときにも知らず識らず実践していたようなことですし、様々な分野の勉強・学習に応用可能だと思われます。

今日はそんなことについて。

※この記事は、フランス在住、西洋思想史専攻の大学院生が毎日書く、地味で堅実な、それゆえ波及効果の高い、あらゆる知的分野の実践に活かせる内容をまとめたもののうちのひとつです。流読されるも熟読されるも、お好きにご利用ください。

※記事の【まとめ】は一番下にありますので、サクっと知りたい方は、スクロールしてみてください。

※なお、次のいくつかの記事と関係を持ちうる内容です。
【5】学ぶことは不可逆的に変わること(表現の手札を増やそう)
【26】オーディオの沼から学ぶ、多変数関数としての人生
【144】空腹や眠気や芸事は、翻訳を通じて学ばねばならない
【162】自転車に乗れなかった時のことを思い出せますか? 教えることのアポリア
【222】とうとうヨガで取れないポーズが出てきた!/高くそびえる壁に積極的な意味を与える


ひとつ。やりかたを教えてもらって(学んで)、その教えの解像度を上げて実践する。

これは大原則であって、がむしゃらに自己流でやっていても上達・習得は遠いままでしょう。本であれ、動画教材であれ、生身の教師であれ、なんでもよいのですが、少なくともある成果が認識されている限りは、その成果の背景にある技術や心理的態勢のほうも、然るべき人間の——適切な教師の——能力を介して伝達可能であるというなりゆきです。

教師の言葉は有用ですが、ときにはしっくりこないこともあります。あるいは言われている内容が自分という個別事例に適合的でないこともあります。そうした場合には、別の表現を作ってみたり、少しずらした内容を考えてみたり、それらの表現や内容を教師に検討してもらったりする必要があります。

「これでいけるかも!」と思って我流を入れ込むと、特に慣れないうちは、見かけ上の短期的な成果を上げることができても、長期的に見れば毒でしかないものを丸飲みしている、ということになりかねないので、一応は伺いを立ててみるということですね。

外部から教えてもらったものを基本的な方針にしながら、自分で納得できる表現を作って乗せて、実践してゆく、ということです。


ひとつ。複数の変数に分解して、ひとつひとつ試すこと。言い換えれば、対照実験の発想を持つこと。

シルシャーサナに関してはいくつも「変数」があります。

肩と耳の距離とか、地面に着いた両肘間の距離とか、手の組み方とか、組んだ手と頭の関係とか、頭と坐骨の関係とか、前鋸筋や下後鋸筋のちからの入り方とか。

それぞれについて、妥当な変域があります。肩をすくめるのは避けることになりますし、両肘間の距離は(両手を組んでいるからには)0から2キュビットです。

練習を行うときには、単純に繰り返すことで筋肉を鍛えるということもありえますが、技術面での向上は寧ろ、多変数関数にどういった値を挿入すれば都合よいか、ということを確かめる中で得られるようです。つまり、これらの様々な値をどうするかということで、最終的な出力=シルシャーサナが上手くいくか、どのくらい上手くいくか、が規定されるということです。

一度にいくつも変数を動かそうとすると、頭が混乱しますし、練習の方針もなかなか立ちません。どの変数をどう動かすとどう値が変化するか、ということは、ひとつひとつの変数を

なるほど、変数が互いに独立でない場合もあります。たとえば両肘の幅と手の位置関係は、一方を決めれば他方もある程度決まる、という関係にあります。この位置関係に応じて、どれくらい前鋸筋を意識できるかも変わってきます。

とはいえ変数を特定して、一度に動かす変数はひとつにする、というのは、基本的な方針として有用です。


ひとつ。段階的に練習すること。

上に見たことのコロラリーです。

シルシャーサナは、失敗して背中側に倒れてしまうと、目の届かない範囲に体を倒すことになってとても危ないので、練習の段階では、壁に背中側を向けます。

壁があると、背中側に倒れそうになってしまっても、足で踏ん張って復帰できるので、都合がよいのですね。
 
しかし、壁があるということで安心してしまうと、地面をスパーンと蹴って上がってどうにかバランスをとろうとする、というタイプの練習をやってしまう可能性があります。こうすると、上手く組み立てられない可能性がでてきます。いきあたりばったり・運だよりの練習になりかねない、ということです。本来は少しずつ下から組み上げて体を伸ばしていくのですが、一気に体を持ち上げてしまうと、たまたまうまくいくかたまたま失敗するかになってしまい、改善をはかることができないということです。

もちろんこうした練習は無意味ではありませんが、「とにかくやる」というかたちでばかり進めていると、上手くいったときと上手くいかなかったときの試行を比較し、上手くいくためにどうすればよいか見抜くのが極めて困難になりかねません。よほどカンの良い人でもない限り、上達は遠くなってしまうかもしれません。

練習は手本と試行の間の、あるいは試行と試行の間の比較を行ない、よく出来ているほうをなるべく採用していく試みです。そして比較とは、大いに共通点を持つもののあいだの相違点をあぶり出す作業です。

一般に、かなりの要素が共通しているということを前提にしなければ比較は困難ですし、あまり意味がありません。この意味で比較が困難で、レレヴァントでないということは、不確定な要素が多いということですが、比較ができなければ練習にはあまり効果がありません。    

練習においては、考慮すべき・揺らいでしまう条件は、一度にひとつにしたいわけです。それ以外の要素は盤石にしておきたいわけです。盤石なもののうえに、不安定な要素を乗せる。何をどのようなかたちで乗せればよいかを慎重に見当するために、段階を踏む必要がある。そうして新たな要素が特定されたら、さらにまた積んでいく、というわけです。

直前の・これまでの・既にできる段階に付け足される部分を小さく抑えなければ、ある限られた点のみを意識的にいじっているのでなければ、試行を重ねつつひとつの変数をどういじればよいか、ということについて、見当をつけにくく、だから、段階的に練習するわけですね。段階的にやるということは、「できないものをできるようにする」とはいっても、できないものはなるべく細分化して、一度にひとつずつできるようにしていく、ということです。

シルシャーサナで言えば、なるほど上で紹介した動画は一定の完成形のみを紹介していますが、練習においては、最初は足を曲げて・またカエルのように足を開いて、重心の低い、安定させやすい状態から初めてよいのです。まず頭頂と坐骨の位置関係をしっかり作る、ということが重要だということです。この後に頭頂から膝まででパターンを作ります。次いで、膝から下を伸ばすけれども地面と垂直にすることをただちに目指すのではなく、両足でやじろべえのようになんとかバランスを取ってみる。最後にようやく膝から足までも伸ばして倒立のかたちにする。……たとえばこうしたかたちで、練習を段階的にやってゆく、ということです。

資格試験とか受験とかで言えば、いきなり過去問や難関大学にあたるのではなく、寧ろ初歩的な問題や基本的な概念の整理から積み上げていくのが常道だよね、ということです。


ひとつ。とはいえ、最終地点を曲りなりにも真似てみるのはよい。

段階的な練習は大切ですし、ある程度の初歩がなければどうしようもないというのは真理ですが、この点ばかりを強調してしまうと、近視眼的になる危険があります。全体から見ると必ずしも適切でないことをやってしまう可能性があります。

ですから、最終形をいきなり見てみる・やってみる、というのも、悪くはないでしょう。

最終的にどのようなバランスになるのかをざっくり理解することができますし、

シルシャーサナも、一度上がってみて初めてわかるバランス感覚はあります。もちろん最初は綺麗に上がれないので、蹴上がって壁に足をついてから足を徐々に離す、という順序を踏むことになりますが、こうして一度、とにもかくにも倒立のかたちになってみると、正当な順序で出来てはいなくても、一定の発見があるものです。「あ、やっぱり前鋸筋を使えていないとバランス取れないな」とか、「下後鋸筋にも結構力が入るな」とかいうことを、かたちだけでも真似してみることで把握できるわけですし、その経験はひとつの指標として役に立つことになるでしょう。

レポートなども、とりあえず5000字でよいから、問いをたててそれに適切な論拠を引いて答える、というかたちでひとつ書ききってみることが大切になります。とりあえずかたちを作ってみなければ見えない改善点もあるわけです。これはさしあたって書いているレポートという個別例にのみ関わるのではなくて、一般にレポートないしは論文そのものを作る技術に関わります。

受験勉強で数学の問題を解くにしても、資格試験にしても、基礎が大切とはよく言われますし、だからこそ積み上げ・段階的学習が必要なのですが、やはり難しい問題を(ときに解答を見ながら)解きほぐしていくなかでこそ、基礎的であるはずの事項のより深い意味に気づくということもあるわけです。


……この調子で、まだ上手くキマりにくいブジャピダーサナとクルマーサナ、スプタクルマーサナも訓練して突き抜けたいと思います。

■【まとめ】
・技術であれなんであれ、学ぶためにはいくつかの原則がある。

・我流でやらない。自分なりの言葉に落とすとしても、そうした言葉でよさそうか、指示対象の点でいびつなことになっていないか、必ず先達に照会する。

・多変数関数としてとらえ、練習にあってはいち変数のみを動かすよう心がける。あるいはこれは対照実験の考え方である。

・段階的に練習すること。一度に学ぶことは一つ。自分がどこまでできているかを把握し、そこに一つずつ上乗せしていく。何をどのように上乗せすればよいかを、盤石な基盤のうえで幾度も試行して特定していく。

・さしあたっての最終地点を曲りなりにも真似てみるのはよい。全体の方向性や、積み上げるべき基礎の意味を確認できる。