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STAY TUNED.

 有楽町あたりは独自のタクシー乗車ルールがあって、若いころはそれを知らずに「なんて空車なのに乗せてくれないの!?」とぷんすかしていたが、もうそんなことは充分に知っているほど経験値も積んだ年齢となった。昨夜はどれくらいぶりか思い出せないほどの、金曜日の夜の銀座の街におり、精も根も尽き果ててずらっと並んでいるタクシーのひとつに開いた窓の外から声をかけた。
 「もう乗れないんでしたっけ?」
 「まだ22時まえなので大丈夫ですよ」と運転手さんが答えて、自動で横にドアがゆっくりとスライドした。乗り込むと大きく開け放たれた窓からやさしい5月の夜風がいとも美しく流れ込む。「下道でいきますか?高速に乗りますか?」といういつもの問いに、そのときとても解放感に満たされていた私は、「特に急いでもいないのでどっちでもいいのですが、運転手さん的に高速に乗りたいようでしたらそれでいいですよ」と答えた。これはどういうことかと言うと、一般に高速に乗った方が高速代が加算されるので避けることが多いのだが、自分が帰ろうとしているエリアに夜のその時間に下道で行ってまた都心に戻るのは渋滞に巻き込まれると非常に運転手さん泣かせとなることを知っていたので、気分がよかったこともあり運転手さんの好きなようにしてよい、と答えたのだ。

 「ありがたいですね。そうしたら高速乗らせてもらいます」と答え、クルマが夜の銀座を走り出した。銀座は本当にどこの街とも違うな、と思う。

 「だいぶ人は(街に)戻りましたか?」と、この運転手さんとは楽しい会話ができるかしら?という探りのためのような問いを少しわくわくしながら投げかけてみた。
 「そうですね。ひと頃よりはだいぶ戻ったんじゃないでしょうか」と答え、最近の2~3ヶ月の状況を丁寧に教えてくれたその様子で私はたちまちうれしくなった。これはきっと、乗車中の会話が楽しくできる方だぞ、と。
 その間にクルマは内幸町から霞が関あたりを走り、官公庁の建物を見るとつらかった仕事が思い出されて不意に胸が傷んだ。けれどあのあたりの都市景観は比べるもののない見事さで、不意に私の郷愁を誘った。

 運転手さんとその間も私はいろんな話をしていた。コロナになって以降、雑談をする機会が激減し、オンラインにつながれば「話すべき話」しかできない。それなので利害もなにもない、心やさしき紳士な運転手さんと会話をすることは私の小さな楽しみのひとつになっている。そのうちに話は、仕事観のようなテーマに移り、初めてコロナ禍でタクシー会社が出勤制限を受けたときのお話になった。

 「2ヶ月くらいですかねぇ。給料は出るけどクルマを出せない日が続きまして。運転手仲間はみんな喜んで、私も最初のうちはこれはラッキーだななんて思っていたんですが」それを受ける形で私が引き取った。

 「すぐに飽きましたでしょう?そんな生活」。
 「そうなんですよ笑。それで思いました。死ぬまで仕事をしていたいなぁ、こうやってお客様をお乗せしてお話をさせていただくことが自分はとても好きだったんだなぁってわかったんですよね」。

 「私も死ぬまで仕事していたいんですよ。なんの仕事でもいいから。それに、一期一会を感じていたくて。今みたいな、運転手さんと二度と会えることもないかもしれないのに、こんなふうに楽しくお話ができて、私こういう一期一会が大好きなんです」と言うと、「私もなんです。お客様と私どもは大抵二度とお会いできないことの方が多いのですが、だからこそこうしてお話できるととても楽しいのです。この仕事を健康で続けられて幸せです」とおっしゃった。

 途端に胸がつまって泣きそうになる。わずか20~30分に満たない間に、人と人の心がやさしく触れ合う。いったい自分が、運転手さんが、今日という日にどれほどの人とすれ違ったかと言えばそれは膨大な数であろう。その膨大な見知らぬ行人と、会話をするほどまでに絞り込まれたら確率はどのくらいになる?そしてさらに、気持ちがほんの少し通い合う確率は?

 渋谷の高層ビル群が眼前に広がる頃になると、この小さなドライブは終わる。「やっぱりこうやって見ると、以前よりオフィスビルの電気がほとんどついていないんですねぇ」。

 いつものようにクルマを停車してもらい、料金を支払いながら、この数十分に渡る旅を共にしてくれたこと、心たのしくやさしい気持ちにしてくれたことに心のなかで感謝をしながら、今日一日のうちで一番の心からの笑顔でさようならをした。

 アスファルトから薄く雨の匂いがして、肌にあたる夜の風はあくまでやわらかくしっとりとしていた。

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