秘すれば花

自分の思考整理、内の表現発露を目的に使います。

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マガジン

  • 母との暮らし

    長い長いひとり暮らしの果てにある日とつぜん始まった、76歳の母との生活。 介護ではなくおんな二人、母娘の新しい同居生活の取り立ててなにもないお話です。

  • 東京の名もなき欠片

    世界中でもまったく異質で稀有な都市、東京の空気、色、乾いた感傷をつづります。~An unnamed piece of Tokyo~

最近の記事

年で洗はれたあなたのからだは

 このごろは梅雨前のもっともすがすがしい季節と、冬前のうららかな季節とが、きわめて短くなってしまいことさらに貴重と感じる。「風薫る5月」というけれど、最近5月もまあまあ真夏日になったりするからもしかしたら本当に「いま」だけが限られた恩恵の頃なのかもしれぬ。  母との新しい生活が始まって早くもひと月が経ち、私の日常はすこぶる健康的になった。日付が変わる前にベッドに入るうえ、無駄食いができなくなったので大変に規則正しいのだ。これは健康になるだけでなく悲願のダイエットが叶うであろ

    • 冷酷または宿命という名の美

       本当だったら封切り後、すぐさま観たかった『DUNE2』をやっと鑑賞してきた。しかも今まで私の映画鑑賞パターンは上映時最終回オンリーで、あえて人の少なくなった時間帯に行くのだったけれど、いまはまだ母を夜一人おいて外出するのも気が引けて、どうしたもんかとウンウン悩んだ結果、平日の仕事の予定が少ない真昼間に鑑賞する、という荒業を選択。いくらなんでも仕事をしている身なので、『DUNE2』の3時間という長丁場に行方をくらますのは冷や冷やものであったが、どうにも仕方なく決行したのだった

      • 母と暮らす

         新年度が怒涛。というよりも年度末が怒涛でその通り過ぎた風力がまだあおっているというのが正解かもしれない。  詳細は割愛するが、急遽母親と暮らすことになった。介護とかではなくまだぜんぜん元気。しかもこれが非常に私にとっては僥倖ともいえることだったのだ。  まず、母のことが大好きであるということ。さらに、実はここしばらくの間、かなり生活が荒れてしまっていてひとりで暮らす限界を感じていた。  自分のためにはがんばれないから、仕事に全精力を集中していると生活を整えたり健やかに保

        • ノーラはいま

            本でも漫画でも、何度も同じものを繰り返して読む傾向にあるんだけれど、数年ぶりに「ぼくの美しい人だから」を読み直した。古い文庫本なのだが、もともと入手したときも中古しかなかった記憶だ。それで、昨晩ひといきに読み、目覚めて数時間のあいだずっと、「なんだっけ…なんという名前の人だったっけ…とにかくあの人はどうしてるんだろ…」というような旧い知り合いのことを漠と考えていたのだが、ふと気がついた。本の世界の住人を、まるで実在する人のように懐かしく思い起こされているのだ、という事実に

        年で洗はれたあなたのからだは

        マガジン

        • 母との暮らし
          2本
        • 東京の名もなき欠片
          183本

        記事

          香彷徨遍歴仮名手本

           「ああやっぱりそうなのか」と、ある試みにおける見込み違いの結論を得た。自分は香水を、多く経験してきたあとはシグネチャーとなる香りひとつにこだわりぬいて、その香り=自分として認識されるようになることを夢みいていた。それはモンローのNo.5を例に出すことさえ憚られるが。  しかし冒頭に書いたとおり、自分にはおそらくまだ絶対量の経験が不足していたようだった。気分によって日によって使い分けるということをしないようになりたかったが、だめだった。「だめだった」つまりはその香りをどの方

          香彷徨遍歴仮名手本

          ただ刹那に通り過ぎていくもの

           どんな人間になりたいですか?私はすこーんと突き抜けからっとした人間になりたいのです。というからには実際が、じめじめくよくよした人間だという自覚があるわけです。  ただそれは、表面的にはそう見えないよう努めてふるまっているために、そのような印象はほとんど持たれていないこともわかっており、そこは奇しくも自分ブランディングが成功しているのかもしれません。ただ時折、真にからっとしたひとに遭遇するとその取り繕う必要のない潔さがまぶしく、文字通りくらくらとすることがあります。光が潔く

          ただ刹那に通り過ぎていくもの

          美しくビターなファンタジー

           今週も最高に仕事しまくってもぎとった週末、土曜日にとことん惰眠を貪ると決めていたのに燦燦と輝くおひさまに、ついアクティブな気持ちが芽生えてしまった。映画「哀れなるものたち」の最終回(と言っても18:30からと早め)のチケットを予約し、つらつらとネットニュースなど斜め読みしていたら眠気の波がやってきた。それなので、外出のための目覚ましアラームをセットして意気揚々と昼寝を決め込んだ。  眠り足りておのず目覚めると、なんと17時であった。16:30には起きてダラダラしたくをする

          美しくビターなファンタジー

          逃避のための文章

           日曜の21時を過ぎてやっとこさPCの前に自分をセット。逃げに逃げた休日の仕上げである。これから来週のための仕事をしなくてはならない。  今週末は金曜に思いがけず長時間の残業を会社でしてしまい、帰宅が深夜2時を過ぎた。けれども金曜の夜の解放感を損ないたくないので、就寝した頃には庭(※大家さん宅の)に小鳥がさえずりはじめていた。遮光カーテンのすきまから漏れ出る新しい朝を見届けて、限界を迎えていた眠気がこと切れた。  自分は「眠る」ということが何気に人生の重要事項なんだと思う

          逃避のための文章

          凡庸さに受け入れられる

           1年半ほどが経って、いま私の髪は肩下を超す長さにまで伸びた。22年の年明け、耳を出す短さに突如カットして以来こんなに長く伸ばせたのは飽き性の自分にはすごいことだと思う。それと同時に2つのことを髪の長さが示唆しているように思えるのでそれを書いておく。 ◇◇◇  まずやはり、時間経過の証であること。そういや新たな美容院探しの過程でもあったな。中年も熟練の年になると、髪をただ伸ばすのはものすごくお金がかかる面倒なことだとわかった。昔のように洗いざらしにできない、クセの出た髪、

          凡庸さに受け入れられる

          ふとした時に書き留めておきたいことがあるのに私用PCを持ち歩かなくなったのでずっと心を残しながら生活してます。週末に少し向き合えるといいなあ

          ふとした時に書き留めておきたいことがあるのに私用PCを持ち歩かなくなったのでずっと心を残しながら生活してます。週末に少し向き合えるといいなあ

          カウントダウン4日

           28日、仕事納め。年末恒例の広告代理店時代の先輩とランチ忘年会を終えてから出社。先輩は昨年よりうんと肌が輝いてイキイキしており、一見脈絡のないような話が止まらないので私は何度か「あったかいうちに食べましょう!」とカットインして、彼女を器に向かわせる必要があった。特にその日はカウンターだったので、料理が冷めていくのをシェフに見せることが憚られた。やはり熱い料理は温度も味のうちだから。  15時くらいに出社したが、実のところ、前日までにすべての仕事を終えていたので会社に行く必

          カウントダウン4日

          くるみ割りのファンタジー

           念願が叶って、中2と小6の姪っ子(引率の姉も)をバレエ鑑賞で東京に招待することができた。もちろん、姉家族の住んでいる地域でもバレエを鑑賞する機会は充分にあると思うが、こうしたことに支出をする選択についてはまた別問題である。なにしろ、それ以外に子どもを育てあげるお金が膨大なんだから、舞台鑑賞が優先されることは難しい。そこで独身の自分が気まぐれのようにして招待してみる、というイベント事に映れば、これはなんとかなるのではないか、と思った。単純に若い感性がみずみずしいうちに、本物の

          くるみ割りのファンタジー

          暮れ行く日々

           先日美容院に行った。ここだけは年末らしい書き入れ時の様相を見せるなか、その日最高気温が20度越えというなんとも12月をにわかに信じられない状況にうすぼんやりとシャンプーなどされていたとき。  長身の初めて担当してくれたシャンプーの方(以前はインターンと呼んでいた記憶だけど、、)とすき間を埋める会話をこれまたうすぼんやりと交わしていた。いや、交わしていくのだ、と思っていたら、青年はまだ20歳になったばかりくらいの年頃と会話から想像された。こういう時期特有の便利な会話として「

          暮れ行く日々

          青の祭りにハマる

           青の祭りの只中にいる。  ときどき偏執的に特定のものを求める気質がある。それで数年前には思い返せば「白いシャツ・ブラウス」の祭りであり、そして「ネイビーのトラッドなジャケット」の祭りであった。この記事が3年前で文中に「昨年あちこち探して回ったネイビーのジャケット」って書いているから、祭り自体は4年前だったようだ。ああそういえば、「Pコートの祭り」なんてのもあった。  こんなことをとりたてて書いているのには、そうだ。またしても祭りが来たからである。今回はまさしく「青の祭り

          青の祭りにハマる

          石のようなもの

           今年で最後、そう決めていることを彼らは知らない。知る由もないので来年、そしてまた次の年も、その誘いがなくなってふと「あ、そうか。なくなったんだ」と思うのかしれないし、あるいは無くなったことすら気が付かないのかもしれない。できるなら後者がいい。そんなふうに終わりたい。  なにもそんな大仰な話ではまったくないのだけれど。  数年来声をかけて年に1度、集まる会がある。これはメンツのうち1人の子の初めての就職を祝うため、2人だと気まずいので指導対象者のもう1人に声をかけ、3人で始

          石のようなもの

          新しい刺激を求める段階

           先週末、2回に分けた夏休み旅行を敢行してきました。本当は前回の日光をいつもどおり2泊したかったのですが、母を旅行に連れ出す計画が合わず、日程を分けて母が出られる範囲の場所にしたのでした。  前回母だけでなく自分も感激したおもてなしの宿に再訪し、母は非常に喜んだのですが私はなんだか感動がうすれてしまい、そのことに驚き。結構いつも、気に入ったところやメニューを繰り返す性質で、同じ満足が得られるという事実を大切にするタイプなのに、今回は物足りなくなってしまっていた。新しい刺激に

          新しい刺激を求める段階