六本木ヒルズライブラリーがなくなって
自分にとってこれほど切実にサードプレイスが重要になるタイミングで、長年なんとなしに利用してきたサードプレイスが閉館になってしまうという事態に、形ばかりは次なる場所の契約で対処したものの、思いのほかあの場所が自分にとって大切なものだったようで、心にすきま風のさしこむようなさみしさを感じている。
先だって、渋谷の最新施設であるサクラステージにやっと足を踏み入れ、案内されるままに最上階フロアのBarに行った。38階から見下ろす渋谷のまち、そして望む都市景観を前に同行者は喜んでいたものの、同じ高層エリアから見下ろす夜景というものをくだんの場所と比較してしまってつらい。視野に収まるエリアの問題ではなかったのだ、とばかみたいだが気づく。
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少し冒頭の話に戻ると、自分にサードプレイスが必要となったのは無論、母と暮らすようになったためだ。もともと非常に個人主義な人間でパーソナルスペースを有形無形ともに欲するタイプであるからだ。あの場所はほぼ365日、(年末年始に数日?閉館日があった記憶)ほぼ終日(8:00~23:00)開館していたので、土日であろうとどこかに出かけ、帰宅の前に少し立ち寄って新聞など広げ一度リセットするのに向いていた。
館内は小さく音楽が流れ、それがジョアン・ジルベルトだったりするので趣味にもあってよかった。見渡す限り大きな本棚に図書がならび、隈研吾さんの設計によるその場所には静謐な時間が流れていた。
東京タワーを間近に右側には海やレインボーブリッジを望み、夕刻になると飛行機がばんばん飛び交っていくのを眺めているだけでも心が凪いだ。
来る日も来る日も、かなしい日もうれしい日も、なんでもない日であっても、変わらずに迎えてくれた場所。それがもう、いまはない。
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私は面倒くさい人間だと思う。独立まえの高校時代においても、両親がさみしがるのが不憫で早くひとりになりたいのにリビングにいた。「21時までは…」とか、時間を決めて。土日も友だちとばかり遊びにいって家にいないことを悲しむと思って、極力断って月に1,2回に抑えていたと思う。人と暮らすとつらくなるほど気をつかうので、人生のある時期の決断が理由は異なるにしろひとりで生きていくことを選び、それが性に合っていた。一人のさみしさや孤独のほうが、人と暮らすことよりも気楽であったからだ。
あの場所が閉館し、別の場所を契約したのだが、そもそもが土日は閉館しており使用できないうえ、契約プランの問題ではあるが平日も18時で締め出されてしまう。いまは契約先に赴く日が週2,3日、へたしたら4日ほど出勤したりするので、さほどサードプレイスにお金をかけるのはためらわれたためだ。しかしそうすると本当に使い勝手がわるく、やむなくきょうなどはドロップインでツタヤシェアラウンジにいる始末だ。むしろ、こっちの方が諸々最新のニーズに沿って運営されていて居心地がよいという、ね。。
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夜景が人の心を癒すのは、灯りの数だけ人の暮らしがあるからだと思う。
窓一面に景色を選び、区画することで建物に価値が生まれるのだろうけれど、朝と夕の空と海の色を一挙に味わえたあの場所がとても恋しい。
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