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こころに愛を


このnoteを読んでくれた方に質問です。

大切な人はいますか?
愛している人はいますか?

もし、すぐにパッと思い浮かべられなかった方にもう一度質問です。

大切にされたことはありますか?
愛されたことはありますか?


連日、新型肺炎・コロナウイルスの報道が至るところでされています。
世界中に感染が広がっている中、いろんな噂が流れて世界的に混乱も起こっています。亡くなっている人もいます。いまでも感染が広がっています。

そんな出来事について、なんの医学的知識も知見もない状態ならば意見を言うのはやめようと思っていました。
だれかが発した何気ない言葉が、いまや世界的に広がるくらいに世界中の人々が不安に感じる世の中なんだということを日々痛感しているからです。


ただどうしても、ひとりでも多くの方に伝わってほしい思いがあるので書いています。



『マスクは感染予防に効果は薄い』


それを聞いて、「それならマスクをする必要がない」という発言を聞きました。マスクを装着していない人の理由にも同様のことが挙げられます。意味がないから、だと。

また、他国にて日常的にマスクを付ける習慣がない人たちにとっては「マスクをつけている=すでに感染している」という認識をして攻撃しているケースも散見されています。

この考え方を、すこし思い直してほしいのです。


マスクを買い占めた方は「マスクを装着したら自分に感染する可能性が減少する」と思っての行動かもしれません。
そして、効果が薄いとわかったら「つけなくてもいい」、と。

自分だけ安全なら、それでいいのでしょうか。
自分だけ感染を防ぐことができたならば、それで問題はないと言えるのでしょうか

どうして自分が感染していないと思えるのでしょうか。
どうして隣の人が感染しているかもしれないと思うのでしょうか。



自分が感染しないためではなく、隣の人に感染しないように行動をしてみてほしいんです。
たとえ、自分自身が感染している可能性がゼロに等しいとしても、自分を守るのではなく今となりにいる人を守ってほしいんです。

ひとり暮らしではない方は、仮に自分自身を守れたとしても一緒に住んでいる人が感染した場合は濃厚接触者となります。
どんなに家の外で、己の身を守ったとしても意味が薄れてしまいます。

ひとり暮らしをしている方でも、テレワークではない場合かならず人と関わり合います。徹底的に消毒をするようにしても、人と話し、だれかが触れたものに触れます。
その経路から感染者が出た場合。勤め先で感染者が出た場合。
自分自身の身だけを守ることに、本当に感染拡大を減らす力があるのでしょうか。


トイレットペーパーや生理用品、その他売り場から姿を消した商品を買い占めることも自分自身を思っての行動かと思います。

もし聞いた噂がデマではないとしても、トイレットペーパーがない生活は生きていけないほどなのでしょうか。
不便は生じるかもしれません。それでも、必要以上を求めるということはだれかにしわ寄せが来て不便さを強いられるということです。

そのしわ寄せが、もしかしたら今あなたのとなりにいる人に来ているかもしれない。目の前の人かもしれない。
もしかしたら、あなたが大切だと思っている人に向かっているかもしれない。
あなたを愛してくれた人に向かっているかもしれない。


こんなに感染が広がっている最中、「病は気から」なんて言葉は言えません。

それでも、病は人のこころまでも冒していきます。

不安ですよね。
こわいですよね。

いつ自分の周りに感染者が出るかわからない。

余裕だってなくなりますよね。

そんな時だからこそ、ひとりでは立ち向かえないんです。
ともに乗り越えていく力が必要です。
不安な気持ちを吐き出したり、そんな気持ちを一緒に抱えたり、挫けそうな気持ちを支え合うことができる相手が必要なんです。


それは普段から関わっている人たちだけではなくて、名前も知らないいまとなりにいる人かもしれないんです。

こんな時だからこそ、見知らぬだれかを思いやる気持ちを忘れないでほしい。

医学的に根拠はなにもないです。
それでも、不安や焦りや恐怖に飲み込まれて起きている現状を見てほしいのです。
思いやり、優しさ、愛情がここにはあるのでしょうか。

ひとりでも多くの人に、その気持ちを思い出してほしくてこのnoteを書きました。



わたしは宮城県生まれ、宮城県育ちです。
2011年3月11日、東日本大震災を経験しました。

当時の住まいは海沿いではなかったため、津波の被害はありません。
それでも周辺は治安が悪化し、ひとり暮らしをしていたためとてもこわかった。信号機すらついていない夜道は、文字通り真っ暗でした。
その暗闇を利用して、お店が盗難被害、車のガソリンは抜かれて、レイプ被害も起きたなど、いろんな話を聞きました。

その時に助けてくれたのは、「人」でした。

当時住んでいた場所はプロパンガスだったのでガスは通っていたし、ペットボトルの水も常備するように心がけていました。
カップ麺などの非常食もあったので、ライフラインが復活するまで食いつなぐことはできたはず。
そんな恵まれた状況でも、とても不安でこわかったんです。

また次いつ地震が起きるのか分からず、次地震が起きたらどうなるかも予想がつかない状況。
ライフラインの有無や、情報量の少なさだけに留まらず見えない不安に潰されそうでした。

そんな時に家にまで来てくれた人、近所で会えるんじゃないかと探していてくれた人がいた。
その人たちの行動や言葉に救われて、気持ちが落ち着いたので被害が大きな場所へと手伝えることはないかと出かけました。

その被害が大きい土地に住んでいる旧友に偶然出会うことができて、家が流された旧友の友人や職場の方など複数人での生活をしました。
その中には家が流された人、職場が浸水した人、親族が亡くなった人。それでもみんなで過ごすことですこしずつ笑顔になることができたんです。
人と人が支え合うことの偉大さを身を持って感じました。

津波の被害に直接遭っていないわたしでさえ、あんなに安心することができた人同士の輪。



震災時とはまた状況はちがいますが、こういう時だからこそ一人で戦うのではなく手を取り合いたいです。

いま一度、自分自身の行動を振り返る機会になれば光栄です。
そしてわたし自身も、この気持ちを忘れたくないと思っています。



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