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シン・イルミネーション探訪

この記事は、天文系同人サークル『アインシュタインクロス』さんのAstro Advent Calendar 2022に参加しています。アドベントカレンダーということでそれっぽい話題をひとつ、と思いまして、今日はイルミネーションから話を始めてみます。

イルミネーションの起源を求めて

イルミネーションは今やこの時期の飾りの定番ですが、その起りはどこにあるのでしょうか。Wikipediaウェザーニュースの記事で語られている通説によると、森の中で見上げた星空に大いに感動した人がそれを再現しようとしたのが始まりだとか。LEDや電球などなかった16世紀ごろの話だそうで、木にろうそくの火を飾っていたようです。山火事リスクが高い……! 乾燥する日本の冬では間違っても真似しないようにしましょう。ちなみに個人的にはこの説が歴史に照らして正しいかは怪しいと感じています。というのも上述のWikipedia記事には該当箇所に引用がないからです。こういう俗説(と言っておきましょう)は、裏を取られることなく引用を繰り返され取り返しがつかないほど広まってからデマだと発覚する、なんてことも多いので気をつけましょう(天文関係ではインドの宇宙観に関する誤解なんかが有名)。余談はさておき、この説の動機はよく理解できます。しかし、枯れ木ごしにたくさんの星を見る機会は星好きでも意外と少ないかもしれません。街中ではなかなかイルミネーション感が出るほどの数の星は見えてこないし、星を見に行くとなったら(写真用の構図を探すのでもなければ)視界をさえぎる木々は避けがちなので。というわけでこの記事では、私が深夜に冬の山に分け入り、木々ごしに星を観てイルミネーションの起源を追体験した経験をもとに感じたことを記録していきます。そこから星空とイルミネーションの美への理解が深まったりするとかしないとか。

冬の真夜中の森をゆく

木々に咲く星を見るのなら、冬を待たねばなりません。当然ながら、葉っぱが邪魔になるからです。近くに枯れ木を見つけられたら夜にそこに行けばよいのですが、低地では落葉する木々ばかりではありませんので山に入るのが手っ取り早いです。私はもともとイルミネーションの起源を見てやろうと思って夜の山を登りに行ったわけではないのですが、去年の冬に山梨県大月市の百蔵山(1003m)、そして今年の冬に箱根の神奈川・静岡県境にある丸岳(1156m)に登りました。冬の、低いとはいえ深夜の山に入るというのはなかなか危険に思えますが、十分な備えがあれば登山初心者でも楽しむことができます。丸岳のほうはなぜか登る直前に小田原でうっかりビールを飲んでしまってタイヘンでしたが。詳しくは後述しますが私は「闇遊びの達人」が企画したとあるイベントで登ったのでした。

達人の手ほどきを受けながら、まずは闇の山を歩く術を学んでいきました。達人の推奨する歩き方は、それほど明るくないライトを少しだけ点けて前方を確認し、すぐに消してまた闇の中を進む、これを繰り返す、というものでした。これにより目をなるべく闇に慣らしたまま進もうというのです。傍から見れば灯りがちらちらと点滅して見えることから「ホタル歩き」となんとも風流な名を与えられていました。もちろん、ただ安全に進むだけが目的であればずっと灯りを点けて進めばいいだけなのですが、ここでは闇を楽しむことも目的の一つなのです。闇に目を慣らしておくことは、星を見るためにも重要です。

登山口を越えて本格的に山に入ると、人工の灯りは自分のライトを除けば遠くに見える道と街のものだけになります。はじめ頭上は葉を落とさない木々で覆われ、登山道はかなり濃い闇に包まれていますが、その中をホタル歩きで進んでいくと葉っぱの隙間からのぞく夜空の驚くべき明るさに気づきます。月のない夜空でさえ、はっきりと葉っぱのシルエットを映し出してくれるのです。雲があると場所によっては都市に照らされていっそう明るく感じます。開けた場所で休憩したときには雲というか霧が街側に広がり、以下の写真のような景色が広がっていました。木々のシルエットの濃さが街と空の明るさを浮き彫りにします。

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↑百蔵山から見た大月市方面

休憩中にじっとしながら目を閉じると、そこに広がるのは静寂の世界……などでは全くありません。沢の流れや一陣の風が木々を揺らす音。遠くからはごうと高速道路の音が響き、時折シカやムササビなどの野生動物の声もします。枯れ葉の落ちる音はひらひらなどというやさしいものではなく、カラカラと音を立てながら枝から枝へ転がっていきます。冬の山も意外と賑やか

山頂で見た真・イルミネーション

いつもより五感を使えている感覚に酔いしれながら標高を上げていくと植生も徐々に変化していき、それとともに闇の密度も変化していきます。落葉樹が多い尾根などに入ると驚くほど歩きやすくなりました。夜空そのものが明るいために、葉を落とした木が増えて頭上が開ければ足元も明るくなるのです。慣れた目であればライトもいらないほど。もし月が出ていれば、その存在感に圧倒されることでしょう。もうここらはイルミネーション区のはじまりです。水を飲むために空を見上げたとき、どこかで聞いたホントのイルミネーションってまさにこの光景だ!と即座に理解できました。参考までに、KAGAYAさんの撮られたすばらしい「木漏れ星」をご覧ください。

16世紀のアイツが見たのもきっとこんな光景だったのでしょう。今では木々に灯る星々を見てイルミネーションみたい!と言ってしまいそうですが、これは満天の星空を見てプラネタリウムみたい!と言うのと同様の逆転現象というわけです。開けた場所で見るよりも星の数は減っているのに、影絵が賑やかに描きこまれることで不思議なことに全体としてより華やかな印象を受けます。影絵が描けるのは、繰り返しになりますが背景の夜空そのものが明るいからこそです。「夜空そのもの」の光とは、散乱する都市の灯りだけではなく、地球大気の発光、太陽系の塵の輝き、銀河系の無数の星の重なり、またそれを散乱する塵、宇宙の始まりからこれまでに誕生したすべての銀河からの光を含んでいます。それらと地球に芽吹いた生命とが宇宙の片隅でなす風景が、イルミネーションを生んだのでした。

百蔵山を登った時は、道中霧に覆われていたのが山頂に着くやいなやすっきりと晴れわたりいくつもの流星が見え始め、「あちら側」にでも着いてしまったのかと錯覚しました。流星に関してはふたご座流星群の極大日前だったので織り込み済みだったのですが。持ってきたカラの水筒に、駅で買ったホット缶コーヒーをいれて持っていったのですがこれが大正解でした。冬の観測におすすめです。

山頂でふたご座流星群を堪能した後、下山したころにはほぼ夜明けでした。片目で笑いかけるような細い月と金星がとてもきれいでした。上の写真から40分も経たないうちに撮った以下の写真では、もうこんなに月が金星から離れています。月ってめちゃくちゃ動くんです。余談。

天文学者的夢の新・イルミネーション

さきほどのKAGAYAさんの星空の写真と都会のイルミネーションを比べると、本当の星空が光量でいえばどうしても劣ります。街中では、他にもさまざまな光があるためにイルミネーションも負けじと明るく輝こうとするのですね。現代のイルミネーションはもはや原点である星空からはだいぶ離れて独自の芸術表現になりつつあり、また別の感動を与えてくれます。しかし星空に学べばイルミネーションはまだまだ進化できると思うのは私だけでしょうか。心を動かすことに関しては星空のほうが数千年先輩なわけですし。

暗い場所で見る星空になぜこんなにも自分は感動するのか。単に珍しいとか畏怖とかいろいろあり得そうですが、即物的にいうとさまざまな明るさと色の星が混ざり合って夜空を彩っているという点は見逃せないと思っています。他方、現代のイルミネーションは光源の色はともかく明るさが画一的であるために表現に限界が生じているのではないでしょうか。もちろんコスト面の問題はあるのでしょうが、明るさとLEDの間隔が違うワイヤーを組み合わせれば大した工夫もなく実現できそうです。ある明るさの星が夜空にどれくらいあるか、を数えたものを天文学では「光度関数」と呼ぶのですが、実際の星の光度関数に従うイルミネーションを人はやはり美しく感じるのでしょうか、気になるところです。「夜景」もまた美しい人工の灯りですが、あちらはこうした意味では感じ入り方がより星空に近いように思います。光度関数の背後には星形成の複雑な物理があるわけですが、それはまた別の話。

さらに欲を言えば、またたきの表現も加えるとぐっと「ぽくなる」はずです。というとイルミネーションを星空に回帰させたがってるように思われてしまいそうですが、純粋にそのほうがきれいに見えると思うのです。またたきとは上空大気の乱流やら何やらで起こる現象で、研究者にとっては厄介なものですが星空の神秘性の一端を担う重要な要素だと思います。大学時代に天文部でプラネタリウムを作った時は電気系担当の部員が一等星の「またたき回路」の製作に苦心していたのを思い出します。他の星とまたたきを同期させてしまうとものすごく不自然なので、光源数の多いイルミでは自然な実装にはひと工夫いりそうです。あ、あと天の川みたいに肉眼で見えない微細なLEDも無数に配置して奥行きを出し、ダストもばらまいて数百年に一度超新星爆発を起こすようにできたらもっと楽しくなりそう。イルミ師(?)の方がもしこれを見ていたらぜひご一報を!

闇遊びの達人に学ぶ布教法

ところでこの記事、アインシュタインクロスさんの企画の一環ということでこれを読みに来る方の中にも何がしかのオタクが多いことと思います(偏見)。そこで最後にこんな話を。私が参加したミッドナイトハイクは、日が沈んでからの街や里やの遊び方を知り尽くした闇の案内人・中野純さん(twitter: @_NakanoJun_)の企画によるものでした。あの、夜の遊びってそういう意味じゃないです。星や夜空にまつわる文化を知るのも好きな私としては、闇遊びの達人とはいったい!?と好奇心を鷲掴みにされ、著作やら講座やらに顔を出し始めて闇登山企画を知ったのでした。この中野さん、筋金入りです。知れば知るほどホンモノの人です。散歩の達人の記事を何かひとつ適当に読んでみればきっとわかります。一体何度の職質を乗り越えてきたのでしょうか。私は在野の天文アウトリーチャーとして、そのへんの人に宇宙に親しむおもしろさを伝えられたらいいなといつも思って生きているのですが、中野さんの闇の一族のリクルートスタイルは私の思う理想形です。押し付けてくるわけでもなく、ひたすら闇に親しんでいる、何よりそれをめちゃくちゃ楽しんでいるのがよく伝わってくる、文章も圧倒的におもしろい。なんかよくわからないけどめっちゃ楽しそうな様子を見せるというのは、一緒に楽しめる仲間を自然に増やすという面ではものすごく効果的だと思うのです。そうでないならド深夜に山に入るなんていう軽く反社会的な(!)イベントに毎度10人ほどが集まるなんてこともないでしょう。というわけで私も引き続きnoteやらtwitterやらでこの宇宙のすべてを存分におもしろがり、共有できる仲間を増やしていきたいと思います。

長々とお読みいただき本当にありがとうございます。去年はイルミネーションを観に出かけることができなかったという方も、今年は諸々の情勢が許すことを願いましょう。許さなければイルミネーションの原点に立ち返ってみるのもよいかもしれません。それではよきホリデーを!

※なお夜の冬の山はわりとまじめに危険もいっぱいなので、マネする際にはくれぐれも野生動物、滑落、遭難等への備えをお願いします。


追記:最新のイルミネーションは果たして本当に光源の明るさが一様なのか、ちゃんと見に行って調べました。こちらの続編記事で詳しく書いていますのでご覧ください!

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