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過去に縋るための思い出じゃない


ひとつの記事にはならなかった下書きの供養。


湖と海


私は海よりも湖が好きだ。海はずっと見ていると怖い。あまりにも壮大すぎて美しい以上に恐ろしさを感じてしまう。波の音を聞いていても安らぐという感覚はない。のまれてしまうような怖さ、大事な人を失うのではないかという恐れをどうしても拭えない。

果てしないという点では空も同じなのに、空を見上げて怖いと感じることは稀で、解放感や自由を感じることの方が多い。

こんなことをゆらゆらと話して「どうしてなんだろうね。果てしなさは同じくらいなのに」と言ったら「想像できることに限度があるものは、怖いよりも憧れの方が強くなるんじゃないかって思う」「海は自分の足で行けるし向こう側も海底も大体想像がつく、遠いようで近いでしょ?でも空はわからない届かない、想像じゃ追いつかない」と言った人がいた。

とても腑に落ちた。

私はそのときぽかんとしてしまい「すごく、そっかって思って。驚いた」と言葉に詰まると「同じこと、ずっと考えながら生きてたから」とその人は笑っていた。「海はなんか、死を連想させるしね」とも。

湖を見るたびにその会話を思い出す。

湖は静かでいい。波も穏やかで見ていると心が安らぐ。

退院してはじめての外出も、彼に湖へ連れて行ってもらった。「気持ちいい?」と彼が聴いてきた声に優しさだけではなく不安が混じっていることがちょっと悲しかったけれど、「すごく」と答えたらゆっくり笑顔になったからほっとした。

大事な人と見る湖はいつにもまして綺麗だった。日が沈むまでぼうっとみていた。

憧れ

友人が飲み会の最中に「悪口とかじゃなくてさ、特別顔が良いわけでもなくそこらへんにいるような顔しているのに普通に自信がある人っているじゃん、そういう人みてると、なんていうか私がどれだけ努力したところで何も叶わないんだなって思うんだよね」と言った。

「愛されてきたんだろうなって感じるから?」と聞き返したら「そ」「過去とか環境のせいにしたくないけど、どうしたって根っこの人格は決まってんのよもう」「こういう自分が一番カスでどうしようもないゴミだけどね」と言っていた。

私が「なんで?」と聞き返さず、そう聞き返せたのは、同じようなことを考えたことは何度もあるからだった。

全く同じことを考えていたわけではないけれど、「誰からみてもかわいいな綺麗だなって思われる圧倒的に良い容姿を持っているのと、容姿は特別よくないけど大きなコンプレックスを感じず自信を持っていられるのと、どちらが幸せなんだろうな」と考えたことは何度もある。

当然どちらも欲しいけれど、私やそう嘆いた友人が喉から手が出るほど欲しかったのはきっと後者だ。どれだけ手を伸ばしてもあと一歩どうしても届かないもの。

然るべきときに然るべき人から然るべき愛を受けて育ってきた人を育ちが良いというのだろう。だからどれだけ着飾ろうが努力をしようが、届かない、叶わない。

温かい家族、素敵な家族、そういう環境下で愛されてきたことを感じる人と接していると、時に呼吸が浅くなるような苦しさがある。直射日光を浴びているような眩しさではなく、曇り空からじわじわと紫外線を浴びているような眩しさ。眩しくて苦しくなるだけなら関わらなければ済むだけの話しだったけれど、私はどうしたってそういう人たちに憧れてしまうから、近づいてしまう。

だからこそ、私は彼に惹かれたのだろうし。

私が周りの大人を憎んでいる頃、彼は周りの大人に憧れていた。私が怖いものに怯えて目を瞑っている間に彼はその澄んだ瞳でいろいろなものを見て吸収していった。そんなふうだ。

けれど、彼にしか見えなかったものがあるように、私にしか見えなかったものだって、私にしか出会えなかった人だって確かにあるはずだ。

未だに怖いものが多い私が「大人になってもこんなの、情けないな克服を試みるか」と言ったら彼は「怖いものを克服するっていうか海は怖いけど湖は好きみたいに、自分がいいなって思うものを見てればいいんだよ」と言った。

「(私)は怖いものも多いけど、綺麗だな、いいなって思うものも同じかそれ以上にいっぱいあるじゃん」と。

「苦手教科を頑張ってどうにかしようとするんじゃなくて得意な教科をもっと頑張って伸ばせばいいって言われているみたい」と言ったら彼は笑って「そんな感じ」と植物の葉に触れていた。

自分にないものを持っているから惹かれる。見れなかった世界を見せてくれる人に心を動かされる。あと一歩届かない。でも、私が生きてきた世界が、彼のような人が生きてきた世界に劣っているわけじゃない。

眩しい人は眩しいまま、灯火であり続けて欲しいと思う。

元カレの家族


彼と私の実家に帰ったとき、家に戻る前に近くのカフェに寄ってから帰ろうとお店の中に入って席につくと、元カレのお姉ちゃんが隣の席に居た。長いことあっていなかったけれど、声でわかった。相手も気づいたけれど私が彼氏といたので、気を遣ったのか互いに話しかけることはなかった。

カレとはいろいろあったけれど、お姉ちゃんをはじめ、カレの家族にはとてもよくしてもらっていて、特にお姉ちゃんとはよく話しをした。歳が離れていて当時私たちが高校生のとき、カレのお姉ちゃんはちょうど今の私と同じくらい、26か、27歳くらいだったと思う。

カレから「久しぶり」と連絡がきたときは特別思い出がフラッシュバックするということはなかったのに、カレのお姉ちゃんの声を聞いたら忘れていたことを一気に思い出した。

私とカレが喧嘩しているのを察して甘いものを私にだけ買ってきてくれたりしたし、カレが寝ちゃったあとに二人で夜中まで話したりもした。「(私)ちゃんはお酒飲めそうだよねえ」と言われて「いつか一緒に飲みましょ」と言い合った。お兄ちゃんしかいない私は、そうやってかわいがってもらうことが嬉しくて、カレの家に行きたいと思うのはカレの家族に会いたいからでもあった。

高校生でまだ子供だったから、感じたことのない家族の雰囲気に憧れていたのもあるんだと思う。

カレの実家で飼っていた愛犬が、カレと私が一緒に帰るとカレよりも私の方に突進してきて「家族は俺だろ!こっちこい!」とカレが悲しんでいたことも鮮明に思い出した。ドッグランでカレや家族と一緒に騒いだこととか、歳上だったので私より先に上京したカレに会うために東京まで会いに行ったことか。

私はカレと別れた当時、カレと離れることも辛かったけれど、少しだけのカレの家族に依存していたところがあったので、そのことが、家族や愛犬にももう会えないのだということがひどく悲しかった。

忘れていたことを、カレのお姉ちゃんの顔や声に触れた瞬間、次から次に思い出した。鮮明に勝手に脳が再生していた。

彼が「どうした?具合悪い?」と聞いてきた声で自分がぼうっとしていることに気づいた。彼が「出ようか?」と言ったので言葉に甘えて頷いた。一瞬学生時代に身体ごと持っていかれたような不思議な感覚がしたけれど、すぐに戻った。

お店を出るときにカレのお姉ちゃんがいたあたりを振り返ってみると、お姉ちゃんも私の方を見ていた。私は顔だけでなく、身体ごと向き直って深く頭を下げた。

カレとの別れ方が最悪だったので、カレの家族とも突然話せなくなってしまった。10代という大事な時期にとてもお世話になったというのに、お礼を言うこともできなかった。だから今更だけど少しでも届けばいいと思った。

「あの時はありがとうございました」

頭を上げるとお姉ちゃんは笑って小さく手を振ってくれていた。

頭を下げた私を隣で見ていた彼は不思議そうにしていたけれど、小さく頭を下げていて、お姉ちゃんもカレの方を見て同じように頭を小さく下げていた。

お店を出たあとで彼に「知り合いだったの?」と聞かれ、私は「うん」「昔すごくお世話になった人」と答えた。彼は「そっか」と言い、私の頭を撫でていた。

なんとなく、別れて時間が経ったあとでばったり会ったのが元カレじゃなくてお姉ちゃんだったということを必然に感じた。

一周忌


あなたがこの世を去ってから、もう一年が経つようです。

彼女と会い「嘘みたいだよね、もう一年だって」と話しました。情けないけれど、未だに遺影を見ると涙腺が痛みます。でもね、あなたがくれた思い出はずっと私の中で生きているから大丈夫。大丈夫だって思います。

彼と「もう一年だ」と話していたら彼が泣き出したので驚いて戸惑いました。だって一年前、彼はこんな風に泣かなかったのです。だから余計に驚いたのです。どうしたのと聞いたら彼が首を振って「いや、大丈夫大丈夫」と言っていたのでそれ以上は聞かなかったのですが、彼のなかでもいろいろな葛藤があったのかなと思いました。あの時期、私は少し虚ろだったのできっと心配をかけてしまったとも思うのです。

大好きな春だけど、あなたを失ってから春という季節に寂しさも混じるようになりました。けれどあなたは、桜を見てから亡くなったのだと思うと、寂しさもふわっと消えていく気がします。

あなたが私に手渡しするはずだった最後のチョコレートですが、冷凍庫に入れていて時間をかけてようやく食べ終わりました。「悪くなるよ」と怒られそうですね。最後の一個を食べるときは努力をしてもやっぱり涙は止まりませんでした。でも、やっぱりさようならより私が伝えるべきだった言葉はありがとうだと思うのです。

最後に交わした言葉はきっと別れ際の「またね」だったと思います。当たり前にまたねがあると思っているのが人間の悪いところでありいいところです。彼が朝玄関を出て仕事にいくときは「今日も無事に帰ってきますように」と心の中で思ってハグをしています。突然大事な人がいなくなってしまうのは、もうたくさんだって思うけれど、どうなるかなんでわからない。だから今最大限大事にしよう、大切にしようって思うのです。

ああまた空を見て思い出す人が増えてしまった、そんな風に思っていたけれど、空を見てそこにあなたや祖母、先生がいるのなら心強いな。そんな風にも思います。

これ以上書いていると泣いてしまいそうなので、最後にします。

今年ももう時期、茹だるような夏がきます。あなたが教えてくれたそうめんの食べ方を、彼にも教えようかなと思っています。

私は元気に生きています。


私が降らせる大輪の花の中でどうか笑っていてほしい。

じゃあ、またね。


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