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実家という場所と今の暮らし


実家の植物たちもわしゃわしゃ


訳あって急遽久しぶりに実家にきている。夜には帰るから日帰りなのだけど(なかなかハード)、半日自分の家ではない場所にいるだけで少しソワソワする。

「冷蔵庫にスイカ冷やしてあるから食べたら。メロンもあるよ」と母親から連絡がきていたのでお言葉に甘えてスイカを食べた。私はメロンよりスイカが好き。

実家にいると言っても家族は不在でひとりなのでおうち居るときとやることは大して変わらず。母親の本棚から小説を引っ張り出して読書をしたりぼうっと植物を見たり雲の流れを追ったりしている。

ついさっき、コーヒーを淹れて飲みながら冷蔵庫にあった鱈を使ってムニエルを焼いた。白身魚っておいしい。

学生時代はよくここで料理をしたりお菓子を作ったりしていたけれど、今となっては自分が住む家の台所が馴染んでしまい、実家の台所の居心地は良いとは言えない。ただ、実家の台所は広くていいなあ、とは思う。台所の広さだけで自炊のモチベーションは変わる気がする。

今彼と住んでいるおうちの台所はかなり狭いってわけではないけれど広くもない。けれど窓があることや後ろのスペースが広いから特別不満もない。

なんと言っても私の「そんな物件なかなかないよ…」と不動産が頭を抱えるような条件を満たす物件はここ以外ないような気がしている、と思っているからたぶんずっと引っ越せない。

年が明けてから引っ越しを検討して物件探しをしたり、いくつか内見しにいったけれど、結局今住んでいるところ以上に条件を満たすところはなかった。

大家さんがとても良い人だから引っ越したくないというのも大きい。

私の実家はとにかくどこにいても明るい。昼間は日当たりがよく、夜の明るさはLEDの人工的な青白い明るさだ。実家の電気はやけに明るく、私にはそれが少しばかりしんどい。

昔から小さい明かりで作業していると、強制的に電気をばちばちと広範囲につけられていた。


実家にいた頃、自分の部屋より窓が広くて庭が見える廊下が好きだったけれど、そんな風に電気をつけられるから、それが嫌で結局自分の部屋に引きこもっていた。もう私の部屋はないけれど。

平日の昼間の実家はひとりになれたし静かで好きだった。学校に行く気を失ってしまうほどその時間は好きだった。

今、その頃を思い出している。

実家で生まれ育ったのに、そこに10年以上いたのに、それが嘘みたいに落ち着けない。元から居心地が良いわけではなかったけれど、帰る場所ではあったし眠る場所だったはず。

けれど実家で寝付くことはもう困難で、一番眠れるのは今住んでいる家だ。でもこれは家庭環境どうこうに関わらず、実家を出て何年も経つ人の多くは感じたことはあるだろうし、良いことだと勝手に思っている。

暮らしをつくるというのは、きっと自分で自分の心地良い場所を育てていくことだと思うから。

住めば都って、その街だけを指すのではなく家に対してもそうだと思う。

自分の物がある場所、自分が時間を費やす場所、自分が起きて寝てを繰り返す場所、それが自分の生きる場所、落ち着く場所、帰る場所になっていくのかもしれない。

実家の匂いはすでに懐かしいと感じる匂いで、音も景色も、思い出の一部になりつつある。昔の自分の影がちらつき、寂しいような気もするし、今の自分にほっとしたりもする。

夏の実家は春夏秋冬の中では一番すきかもしれない。大自然のなかにあるからそう思うのか、緑に包まれているからそう思うのか、過去を懐かしむからなのか、はたまた夏に幸せな記憶があるからなのか、定かではないけれど。

実家という育った場所でさえあっという間に過去になり、思い出になる。なのであれば、今過ごしている場所や時間も大切にしなきゃな。

さて、どうせだから明るいうちに実家の広い湯船に使って疲れを取ってから帰ろうかな。実家は無駄に敷地が広くて近所迷惑を考える必要が一切ないので(田舎の特権)、窓を開けたままお風呂で熱唱できたりする。台所の広さと同じくらい羨ましい。

手土産に持ってきた赤ワインを冷蔵庫に入れておいたから喜んでくれたらいいな。


もう7月が終わるなんて嘘みたいだね。

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