私を満たす私だけの時間
特別、気持ちの良い日だ。
家中の窓を開けて換気をすると対角上に流れる初夏の風が私を毛布で包むように囲ってくれる。
片手に持っていた淹れたてのコーヒーが冷めてしまうことなど気にもとめずただしばらく立ってその風と小鳥の囀りを聴いていた。
やさしい日。
陽はあたたく、それでいて風は心地良い冷たさで頬を撫でる。目を閉じると身体を満たす安寧にやっぱり私は自然に救われているんだな、と体感する。
手付かずで溜まっていた急ぎの仕事を片付けてパソコンを閉じ、服の袖をぎゅっと捲り上げる。いつの間にか肩のずっと下まで伸びた髪の毛は、髪留めで簡単にまとめる。
掃除をするときはいつも音楽を流すけれど、今日は何の音も必要なかった。
新しい1日を知らせる風の音、若葉が揺らめく木々の音、小鳥の鳴き声、ずっと遠くから少しだけ聴こえる鐘の音。
十分だ。
年末年始並みに気合いを入れて掃除をした。洗えるものはすべて洗濯機に入れて回した。洗濯機が元気に動く生活音と自然の音が重なって命の厚みが増したような気になる。
いつも、もうそろそろ捨てようと思っていたバスタオルは、適度な大きさに切って少し縫い、雑巾にしてしまう。そうして徐々に溜まっていった雑巾に水を含ませ、手に力を込めて強くしぼる。
力のこもった手が、ちょっとだけ熱く感じられて、それがなんだか嬉しくて、少し誇らしくなる。
つくられた音ではない音に聞き耳をたてて、廊下、リビングの床を雑巾で拭き、空拭きもおこなう。掃除はだいすきだ。私も恋人もかなりの綺麗好きでいつも綺麗にしているから見違えるほど綺麗になるわけではないけれど、
それでも掃除をした後はすべてがリセットされて0になった、まっさらな状態を感じられる。頭が、心が、クリアになる。
少しだけ休憩をするために、壁に背中をあてて窓際の植物に目をやると、風に揺らされていて、とても気持ちよさそうだった。
そのゆらゆらとした様子を見ているだけで笑顔になれる。次第に、夢へと誘われ、
静かに落ちる。
寝不足が続いていたせいか、あまりにも心地良かったからか、とても深い眠りに落ちたような気がする。
壁にもたれかかったまま数十分ほど寝ていたらしい。
スッキリとした頭で掃除を再開し、ちょうど終わる頃に洗濯機の音が鳴る。バルコニーの網戸を開け、外に洗濯物をかける。
数時間前に淹れたあまりのコーヒーは、そのまま飲んでもよかったけれど、なんとなく今日は豆乳を入れて飲む。
「うちでは珍しいビター感です。ミルクに負けない香ばしさがありますよ」と焙煎屋さんが言っていたなあと思いながらひとくち飲むと、ほんとうにおいしかった。
ミルクと割ろうと思って淹れたわけではないから、濃く淹れてもいないのだけど、それでも、豆乳のコクとコーヒーの香ばしい苦味がちゃんとおいしかった。
恋人に「ミルクに合うってほんとうみたい」
と帰ってきてから話せば良いような内容のLINEをする。心地よい風の中で目を瞑ると、恋人に名前を呼ばれたときと同じ安らぎがある。
私は、私の生きる場所を、何度も確認する。
心がつらいとき、特別なことはしないでできるだけ同じ毎日を過ごす。人と会う回数は増やさないし、用がないのに外出したりもしない。量は減っても毎日と変わらないごはんを食べて、いつものチョコレートを口に入れて、ベッドメイキングもする。
ただ、いつもと同じように私の毎日を、ただそのままありのままに生きる。
そうして、
決して早くはないけれど、少しずつだけれど、それでも確かに泣く時間は減り、笑う瞬間が増えていく。
ゆっくりと、大丈夫になっていく。
読みたい本はたくさんあるけれど、心が抉られてしまうようなものにあたるとどうしても感情が揺さぶられてしまうから、今よりずっと昔の時代が舞台となっている本を選んだりする。
単行本を撫でたときの手触りが気持ち良い。本を読む手に重なる太陽の光が眩く、その下で美しく悲しい文章がが照らされている。
風を浴びながら、本を読んでいると、また眠りに誘われる。
私の毎日は、繰り返される。
恋人に「お休み、行きたいところはある?」ときかれて「木漏れ日の下」と言ったらリビングにある植物たちがつくる木漏れ日を見て不思議な顔をしたのがおかしくて
「もう少し、おおきくて広い木漏れ日の下に」
と返してみたら、
恋人はとても優しい顔で笑った。
みずみずしい若葉は、風と光をたくさん受けて、やがて凛々しく逞しい青葉へと成長する。
透き通るような若葉の色が街を彩り染め上げるこの限られた季節が、とても好きだ。木漏れ日の下で、青空と若葉のコントラストをずっと見ていたい。
「たぶん、暑くなるね」
と、恋人が私に差し出した水が入ったグラスの光の反射が、やけに綺麗だった。
そう。
今の私を、私は私が望むように、自然体で生きていけたらいいなと思う。
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