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「クラッチレバーはいつも海色」切り抜き

「千マイルブルース」収録作品です。
得意な、北海道を舞台にしたロードノベルです。
本編は原稿用紙で30枚ほど。
切り抜きますので、ご購入の参考にしてください。
なお販売時には、変更されている箇所があるかもしれません。


 函館湾から続く、まるで蛇腹のように現れる小さな岬を楽しむ。しかし松前を過ぎ、『追分ソーランライン』の看板を見かけるようになると、上空がどんよりとしてきた。こいつは、江差えさしから厚沢部あっさぶのキャンプ場に向かったほうがいい。にび色の雲をにらみながら、俺は加速した。

 話し相手をつかまえたように上機嫌の飲兵衛オジサンが、ゲップをひとつ吐いてさらに続けた。
「あと可笑しかったのはねえ、バイクに漢字が書いてあんのに、ナンバーが平仮名なんだよ。笑っちゃったなあ」
 俺のウインナーを突く手が止まる。津軽海峡で捨てたはずなのに、どうやら見えない鎖でつながっていたらしい。
 俺はオジサンに向いた。
「……もしかしてそれって、『隼』と『なにわ』?」
「なんだ、知ってるんじゃない。ワタリさん。関西弁のさ」
 そういえば、俺も函館から時計回りで進んでしまった。

 江差に戻り、229号線を北上する。風の町寿都すっつを抜け、積丹しゃこたん 半島から余市よいちに入り、駅前の『海鮮工房かきざき』に入店する。安さに満足し、駐車場のソファーでまどろんでいると、またもや空が濃くよどむ。慌ててバイクに跨る。今回の旅は、どうやらこの繰り返しになりそうだ。

 するとなぜか、モヒカン君が遠くを見つめていた。
「……彼には、ぜひもう一度会ってみたいですね。ショーペンハウアーのペシミズムを完璧に実践していましたから。自分は、どちらかというとセネカのストア的人生観に影響を受けていまして……」
 宇宙人かコイツは? 俺はモヒカン頭の宇宙語を遮った。
「で、どこに行くと言っていた?」

「ところで、なぜ彼を捜しているのですか?」
 俺は上体を起こし、棒切れで、地面に北海道の地図を描こうとした。しかし面倒になり、大きな丸を描いた。
「たとえばだな、ここに輪があるとする。俺は、いつの間にかこの上を歩いているんだ。しかし、俺はここから脱したい。自由になりたいんだ。そのためには、その男に会わなければならないんだよ」
「おお!」
 モヒカン君が、目を丸くしてのけぞった。
「ど、どうかしたか?」
「なんて人だ、あなたは。そんな、おっかない顔をしているのに……」
「へ?」
「つまり、輪廻りんねから自由になることを目指しているのですね! すなわち解脱げだつ! バラモン教にさかのぼる、インド哲学ではないですか! そうか、彼と哲学を論じ、検証するのが目的ですね!」
「はあ……」
「いやあ、今日もまた、私は偉大なる旅人に出会ってしまいました。ああ、私も昨夜の彼にぜひ再会し、哲学を語りたい!」
 俺は、疲れた。いいかげん、もう切り上げたい。
 興奮しているモヒカン君の目を、俺はじっと見つめた。
「……君は、会える。なぜならそれが真理だからだ。さあ、テントとバラモン教に帰りたまえ。すべてはそこから始まるのだ。そして、ホルモンを食うのだ。バラモンにはホルモンなのだ。これも真理だ。では、おやすみ」
 勝手に感動しているモヒカン君を放り、俺はテントに入った。明日には俺も哲学者として、このキャンプ場で彼に語られているのだろう。

 網走から知床峠を羅臼に抜け、標津しべつ厚床あっとこ 厚岸あっけし へと進む。釧路の和商市場でメシを食い、浦幌うらほろで日が傾き、長節ちょうぶし湖キャンプ場で野営する。見事に誰もいない。
 翌日、豊似から襟裳えりも岬に行き、エンドレスで流れる森進一に笑う。食堂で襟裳ソバをすすりながら地図を開くと、苫小牧がそう遠くないことに気がつく。いや150キロ近くあるのだが、距離感がマヒし、遠いとはまるで感じない。俺は、そこを旅の終点と決めた。

 男が、右手を出してきた。
「また、どこかで」
「ああ、どこかで」
 俺たちは握手した。別れとは、いつだってこんなものだ。軽くて深い。互いに二度と会えないことは、充分承知している。

また掲載しすぎのような気がするが……。


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