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#1. 「葬儀の日に初めて見た父の背中には無数の傷があった。」マレーシア人の元外交官の友人が話してくれた彼の両親の壮絶な人生

デイビッド(仮名)とは、日本人の友人の紹介で知り合った。初めて会った日は、ほんの数分の短い立ち話だったけれど、お互いの自己紹介が済み、わたしがマレーシアに10年に住んでいて、日英通訳だと知ると、突然こんな質問をした。

「君は憲法9条の改憲についてどう思う?良かったら意見を聞かせてください。」

いきなり、何の準備もなくこのような質問され、しかも英語で自分の考えを伝えるとなると、緊張してドギマギした。

「賛成か反対かで答えるならわたしは反対です。(理由はここでは割愛します。)」

デイビッドは、紹介してくれた友人によると、退役した外交官で、現在は政治学者として名の知られた人なのだそうだ。

「デイビッドさん、逆に質問してもいいでしょうか?かつて日本に占領されたことのある国として、日本が再び武力を持つことに抵抗はないのですか?」

わたしの質問の意図を察して、デイビッドは目を丸くした。

「わたしは長く外交の仕事に携わっていたけれど、あなたのような日本人は珍しい。日本人のほとんどはその話はしたがらないのだと思っていましたよ。」

これがデイビッドとわたしの最初の出会いだった。

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それから数週間後、またデイビッドに偶然ばったり出会った。

駐車場から手に荷物を沢山抱えてあまり前が見えない状況で、いきなり声をかけられびっくりして、荷物を落としそうになった。

「やぁ、元気そうですね。また今日は大荷物なんですね?」

「はい、今日はミャンマーからの難民の子供たちに英語を教えるボランティアに行っていたのです。」

「ミャンマーのどの民族ですか?」

「ミャンマーのチン州から逃れてきたチン族です。彼らが自治をしている学校で、チン族はキリスト教徒なのですが、チン族以外にも、カレン族やビルマ族の子供たちもいます。またミャンマー以外のアフガニスタンやパキスタンやシリアの子供たちも数人います。宗教にかかわらず困っている人なら誰でも受け入れるのが彼らの方針のようです。」

「わたしもキリスト教徒です。偶然ですが、わたしがカナダに駐在していた頃に、チン族の難民コミュニティのリーダーと教会経由で知り合って、当時まだキャメロンハイランドにあった難民キャンプを案内してもらったことがありますよ。あれから十数年が過ぎましたが、今は立派に自治で学校まで運営しているのですね。大したもんだ。」

デイビッドは、目を丸くして驚いていた。

「当時わたしが目撃したのは、粗末なテントに雨漏りがするような衛生状態も非常に悪い太陽の光が全く当たらないジャングルの中の湿地に大勢暮らしていて大変な状況でしたよ。

次回君が行く時に、わたしたち夫婦も、ボランティアにぜひ参加させてください。」

これがデイビッドとの2回目に交わした会話だった。

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翌週、ボランティア先まで、デイビッドが運転する車で向かった。その日初めてお会いした奥様のシンシア(仮名)は、とても上品で笑顔が素敵な優しい女性だった。

マレーシアの人口の10%ほどを占めるインド系のバックグラウンドを持つ二人。インドの厳しいカースト制度に則って、親が決めた見合い結婚をする人がほとんどだった時代に、大恋愛の末に結婚したという二人は、70代の今もとても仲が良く、どこへ行くのも一緒なのだという。シンシアは大学で英語を教える教授だそうで、このボランティアにはうってつけの人だった。

また、カナダでデイビッドが知り合ったという亡命したチン族のリーダーは、チン族難民の子供達にとってはヒーロー的な存在で、そのコミュニティでは誰もが知る人物だったと、後で知った。

常に資金難と先生不足に直面しているこの難民の自治の学校に、デイビッドとシンシアのような方をお連れすることができ、わたしは心底嬉しかった。デイビッドとの偶然の出会いに心から感謝した。

歴史を学ぶ過程で知った旧日本軍とビルマとの関係、マレーシアで交流しているチン族難民の子供たちへの想いについては、こちらにまとめました。乱文長文ですが、もしよろしければどうぞ。

行きと帰りの車の中で、デイビッドとわたしは、奥様のシンシアを交えて初めて会った日の会話の続きをした。

「わたしはペナン(Penang)、妻はアロースター(Alor Setar)の出身です。わたしたちマレーシア人の多くは、日本の占領が始まり終戦を迎える3年半もの間、非常に困難な時代を過ごしました。あなたは、わたしの話に関心を持ってくれているので、今日は戦争時代をペナンで過ごした若き日のわたしの父と母の話を聞いてください。」

デイビッドは、ハンドルを握りながら、静かに語り始めた。

続く

歴史的背景のおさらい
 1941年12月8日に、旧日本軍が英領マラヤ(現マレーシア)の北東部、タイの国境に近いコタバルに敵前上陸し、太平洋戦争が開戦(同じ日に米軍の真珠湾攻撃があった)。日本の兵士たちが英軍と戦闘を繰り返しながら南下し、シンガポールを陥落させるまで2ヶ月しかかからなかった。その戦いは壮絶を極め、多くの民間人が亡くなった。
 1942年2月のシンガポール陥落を境に、3年半もの間マラヤは日本の占領下に置かれ、それまで統治していたイギリスと連合軍(英・蘭・豪)側のの兵士に限らず民間人も強制収容所へ送還され、過酷な肉体労働を課された上、多くの死傷者を出した。イギリスの歴史上最も屈辱的と言われる敗北だったと言われる。
 

トップ画像はWikipedia『マレー作戦』より

イギリス領マラヤのクアラルンプールに突入する日本軍部隊

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