Matahari @マレーシア

マレーシア在住歴14年 | かつてマレー半島を日本が占領した時代の証言を聞いて伝える活…

Matahari @マレーシア

マレーシア在住歴14年 | かつてマレー半島を日本が占領した時代の証言を聞いて伝える活動をしています | フリーランス日英通訳•バイリンガル司会•ライフコーチ•ライター | テニスと猫様と神社をこよなく愛する40代 | ルーツは福岡 生まれは横浜 育ちは山口県防府市 |

マガジン

  • Before Too Late / 東南アジア日本占領時代編

    Before Too Late 手遅れになる前に [東南アジア日本軍占領時代編] かつて 日本が占領したマレー半島で紡ぐ「赦しの糸」 マレーシアのクアラルンプール在住12年の筆者が、私たちが知らなすぎる東南アジアの旧日本軍が占領していた頃の歴史について、現地の人々の視点からお話を聞き、英語と日本語の両方で調査したことをベースに、真実を紐解いて行きます。 太平洋戦争開戦から80年。次々に当時を知る生存者がこの世を去る中、二世や三世の方々のご協力を得てお話を聞いています。 2022年後半・・・ コロナ禍で中断していた慰霊ツアー、再開しました。 YouTubeチャンネル始めました。 https://www.youtube.com/channel/UCGuSlktG66tkmLdBfaHYEHA 心に寄り添う質問を選び、言葉にならないお話を引き出せるように心がけています。

  • Before Too Late / 現代編

    Before Too Late 手遅れになる前に [現代編] なぜか縁あってマレー半島に12年住んでいる筆者が、この地で子育てしながら体当たりでやって来たお仕事や日常生活を通して重ねて来た出逢いや思い出に残る対話を振り返り、マレーシア人や外国人に教えてもらった混迷を極めるこの世界を力強く生き抜くためのサバイバル法や知恵、明るい未来を手繰り寄せるためのヒントを、全力でお伝えします。 手遅れになる前に。

  • YouTube チャンネル Before Too Late

    2022年8月より随時アップロード予定。 これまで証言にご協力いただいた方とのエピソードや、わたしMatahariとお仕事をご一緒させていただいた方へのインタビューなどを不定期でお届けする予定です。 Before Too Late - YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCGuSlktG66tkmLdBfaHYEHA

  • Before Too Late 番外編 祖父たちの軍歴調査編

    2010年から14年マレーシアで暮らして来た筆者が、太平洋戦争中に日本軍がこの地を占領していたことを知り、興味を持って調べて行くうちに数多くの出会いや出来事がありました(noteマガジン 【Before Too Late 東南アジア日本軍占領時代編】にまとめています)。 このマガジン【Before Too Late 番外編 祖父たちの軍歴調査編】では、その経験を通して、筆者が自らの福岡出身の祖父たちの軍歴を調べる事に興味を持ち、その過程で家族に起きた心境の変化や気付きについて綴っています。全部で5話まであります。 かなり長い赤裸々なある家族の再生のストーリーです。もし読んで下さったなら、是非ともご感想をお聞かせください🙂

  • 小説「あの丘の上の楽園で会おう」

    この作品は、日本占領期のマラヤにおいて、筆者と対話を重ねた本人やその祖先が体験した内容の証言や歴史的事実をもとに、小説的に構成したものである。登場する作中の主人公とその家族、友人などは架空の人物である。 太平洋戦争は、数多くの悲しみと愛のドラマを生んだ。 生存者が次々にこの世を去る中で、戦争を知らない世代の筆者が日々出逢う人々との対話の中で、後世に残すべき物語を小説のスタイルで綴っていく。

最近の記事

noteマガジン 軍歴調査編

今年5月末に書き投稿した、筆者の祖父たちの太平洋戦争中の軍歴調査を通して家族が絆を取り戻したストーリー(全5話)に、たくさんのご感想が届いております。ありがとうございます。中にはサポート(ご寄付)をして下さった方まで。 記事をシェアしてくださったり、さらなる情報提供を時間や労力を惜しまずしてくださった方もいらっしゃいます。 必要な人に届きますように、と心を込めて書きましたが、逆に私に必要なことが書き終えて1ヶ月過ぎた後も届き続けております。 心からの御礼を申し上げます。

    • 最終回 #5 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

      matahari@マレーシアこと江頭陽子です。 #4では、軍歴照会のため祖父の戸籍謄本を取り寄せて初めて知った若くしてビルマで戦死した祖父の長兄の軍歴から知り得たことについて書きました。 それから、予期せず靖国神社に三世代で参拝した2016年頃からの私の家族との関係やキャリアに起きた大きな変化について、「ミエナイチカラ」の存在を感じるエピソードをたくさん盛り込みました。 この最終回では、#1の中で(- 母娘の長きにわたる不和のきっかけとなった衝撃的な出来事について)でお約

      • #4 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

        matahari@マレーシアこと江頭陽子です。 この記事は、さらに続ききます。 めちゃくちゃ長い(汗)この私たち家族の物語に、ここまでお付き合い頂いたあなた、本当にありがとうございます。 #5で着地させる(しかも今月中・・・今日?!)予定なのですが、次々に想いが溢れ、もう収拾がつかない感じになっております。もしよかったら、いつ終わるかわからないこの物語に、最後までお付き合い頂けますと幸いです。 そして何か感じることがあればご感想なり身近な方にシェアいただくなりしていただ

        • #3 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

          さらに、ストーリーは続きます。 #2には、母が若い頃に生き別れた祖父の軍歴を取り寄せるため、本籍地を調べに祖父が暮らした街、福岡県直方市(のうがた)を訪れ、そこで出会った見ず知らずの親切な方々のおかげで祖父の本籍地が判明した、というなんとも導かれたとしか思えないエピソードについて書きましたが、#3はその続きです。 奇跡の連続で祖父の本籍地が判明。戸籍謄本取得のため訪れた直方市役所で起きたもう一つの奇跡。#2に書いた通り奇跡的な出会いを経て、わたしたちは祖父が暮らしていた家

        noteマガジン 軍歴調査編

        • 最終回 #5 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

        • #4 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

        • #3 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

        マガジン

        • YouTube チャンネル Before Too Late
          6本
        • Before Too Late / 現代編
          13本
        • Before Too Late / 東南アジア日本占領時代編
          60本
        • Before Too Late 番外編 祖父たちの軍歴調査編
          10本
        • 小説「あの丘の上の楽園で会おう」
          2本

        記事

          #2 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

          続きます。#1には、祖父たちの軍歴を取り寄せるに至るまでの人生について、かなり赤裸々に書きました。こちらからどうぞ(最初にお断りしておくと、めちゃくちゃ長いです汗) 2023年2月、ついに軍歴(陸軍)を保管している福岡県庁福祉労働部保護援護課を訪れる3年越しの訪問がいよいよ叶う段階になりましたが、もちろん当時の福岡県庁のご担当者は移動され別の方になっていました。驚いたことに、当時の記録がきちんと引き継がれていて、メールでスムーズにご対応いただきました。 いよいよ福岡県庁福

          #2 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜

          #1 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を、軍歴を通して辿る旅を経て「本当の絆」を取り戻した私の家族の記録〜

          [注]最初にお断りしておくと、これめちゃくちゃ長い上にしかも続きます(汗)家族のことを赤裸々に書いていますが、家族の許可取っています。 matahari@マレーシアこと江頭陽子です。 ご無沙汰しております。 しばらくnoteを更新出来ておりませんでしたが、おかげさまで様々な出会いを通して「マラヤの日本占領期の歴史を伝えるストーリーテラー活動」は依然として続いております。目の前にいる人たちに伝えることは出来ても、なかなか腰を据えて「書く」という作業に向き合えない日々を送って

          #1 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を、軍歴を通して辿る旅を経て「本当の絆」を取り戻した私の家族の記録〜

          マレーシアはコロナ期から完全復活?【KL在住の筆者の近況報告】◉日系企業団体の活動が活発化。本業の日英通訳司会のお仕事が増えて来ました。◉「マラヤの日本占領時代」がテーマのお話し会にスピーカーとしてお招き頂きました。

          Matahari@マレーシアこと江頭陽子です。 あと数ヶ月でマレーシア在住14年を迎えます。 気付けばこのnoteを3ヶ月も更新出来ておりませんでしたが(汗) 皆様お元気でしょうか?! しばらく更新出来てなくてごめんなさい(筆者の近況) かなりの間このnoteはストップしてしまっていましたが、昨年9月頃からマレーシアにおけるフリーランスの本業の仕事(日英通訳やイベントのバイリンガル司会)慌ただしくなって来ました。 現在のクアラルンプールはどこへ行っても人・人・人でごった

          マレーシアはコロナ期から完全復活?【KL在住の筆者の近況報告】◉日系企業団体の活動が活発化。本業の日英通訳司会のお仕事が増えて来ました。◉「マラヤの日本占領時代」がテーマのお話し会にスピーカーとしてお招き頂きました。

          旧日本軍のマレー上陸作戦から82年。母国を離れマレーシアで13年暮らして来た筆者が思うこの地で生きる私たちに出来ること。

          皆さま、こんにちは。Matahari@マレーシアです。 本日12月8日は、1941年の旧日本軍のマレー上陸作戦と真珠湾攻撃から82年。 英領マラヤ (BRITISH MALAYA) の北東部の海辺のタイ国境に近い街コタバルに、イギリスに事前通告せぬまま旧日本軍が進軍。英領のアジアの植民地だった小国を恐怖に陥れた。 この時、コタバルに上陸したのは、わたしのルーツがある福岡県を本拠地とする「第18師団(通称菊兵団)」の一部の兵士たちだった。 同じ日、タイのシンゴラとパタニ

          旧日本軍のマレー上陸作戦から82年。母国を離れマレーシアで13年暮らして来た筆者が思うこの地で生きる私たちに出来ること。

          小説 「あの丘の上の楽園で会おう」 第一章*ペナンのジャングルを逃げ惑った美しい若き日の母

          第一章 「ペナンのジャングルを逃げ惑った美しい若き日の母」 目を覚ますと、まだ日の出前だった。いつものように賑やかな鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。もうすぐ日が昇るという知らせだった。 夏子はキッチンで湯を沸かし、熱いコーヒーを淹れた。マグカップを持って、リビングを通り過ぎ、バルコニーのいつもの椅子に腰掛けた。目の前の大木が夏子を静かに見下ろしている。 大都会の真ん中の丘の上に建っているこの古いコンドミニアムには、一年半前に引っ越して来た。都会にも関わらず緑が多いこと、木

          小説 「あの丘の上の楽園で会おう」 第一章*ペナンのジャングルを逃げ惑った美しい若き日の母

          小説 「あの丘の上の楽園で会おう」 序章

          突然、わたしたちの住む星を襲った感染症のパンデミック。 外に出ることを一切許されずに過ごした数ヶ月。 未来の見えない不安を感じる日々の中で、ここに取り残されたわたしたちは対話を重ねた。 誰にも話すことのなかった、わたしたちの家族の喪失と再生の物語を。 なぜ、わたしたちはこの時代のこの場所で出逢ったのか。 その答えは誰にもわからない。 一つだけわかることは、わたしたちには語るべき物語と知るべき物語がある。 伝えたい、伝えなくてはいけない。 知りたい、知らなくては

          小説 「あの丘の上の楽園で会おう」 序章

          もし、広島原爆ドームを解体して、米国のウォ◯マートを建てるなんていう計画があったらあなたならどう感じますか?

          matahari@マレーシアです 突然ですが、あなたに質問です。 もし、広島原爆ドームを解体して米国のウォ◯マートを建てるなんていう計画があったらあなたならどう感じますか? そんなことが起こるわけがない 馬鹿げた質問だ と、日本人なら誰もが思うのではないか、そう感じたあなたは、まともで道徳的な人ですね。私もそう思います。 この問いには、その人それぞれの歴史に対する認識や考え方が色濃く反映されます。日本人で広島原爆ドームどんな場所かを知らない人はいませんし、その保全のた

          もし、広島原爆ドームを解体して、米国のウォ◯マートを建てるなんていう計画があったらあなたならどう感じますか?

          【証言集】 旧英領マラヤ(現マレーシアとシンガポール)を日本が占領した時代(太平洋戦争時)の現地の方からお聞きした証言集

          matahari@マレーシアです。 マレーシアのクアラルンプールに住んで13年になります。 本業の日英通訳やイベントのバイリンガル司会の仕事を通して、さまざまな業種の方とご一緒する機会があります。 このような仕事柄、国籍や人種を問わず言葉の壁を取り払ってプライベートのお付き合いに発展することもよくあります。 そのような暮らしを通して、信頼関係を築いた人々から集めた家族の物語を、自分の言葉で伝えよう、とこのnoteマガジンに書き始めました。 noteマガジン - Befor

          【証言集】 旧英領マラヤ(現マレーシアとシンガポール)を日本が占領した時代(太平洋戦争時)の現地の方からお聞きした証言集

          お久しぶりです。またぼちぼち再開しようと思います。

          皆様ご無沙汰しております。 matahari@マレーシアです。 しばらくnoteの更新をお休みしていましたが、その間も忘れていたわけではありません。 時々これまでの活動を振り返りながらも、今は書くときではないのでは、と意識の外に追いやるように過ごしていました・・・。 そんな中でも、じわじわとフォロワーさんが増え続け、読者さんから有難いメッセージを頂戴することも度々ありました。 この間、わたしは何をしていたかというと、日本に一時帰国したり、さまざまなご縁でお会いする人々

          お久しぶりです。またぼちぼち再開しようと思います。

          2023年夏 戦争を知らない親世代の私たちに出来ることについて考える - 広島原爆資料館を訪ねた日のこと

          Matahari@マレーシアです。 しばらくこちらのnoteをお休みしていた間、わたしは日本にいました。 今年12歳を迎えたアメリカと日本のハーフの息子と二度目の広島へ。 広島に行くことを伝えたら一緒に行きたいと言ってくれた同年代のお友達家族に連れて行ってもらいました。ありがとう! 前回はたしか息子は7歳。まだ幼かったので資料館には行かず原爆ドーム前に行き平和の鐘を鳴らしたことを覚えています。そして、かつてこの場所で何があったのかを、原爆ドームが見えるベンチに座ってお話し

          2023年夏 戦争を知らない親世代の私たちに出来ることについて考える - 広島原爆資料館を訪ねた日のこと

          英語で伝えるヒロシマ被曝体験 86歳の小倉桂子さん

          お久しぶりです。 Matahari@マレーシアです。 しばらく投稿が滞っておりました。現在わたしは日本にいます。 コロナ中は3年以上全く帰れなかったのに、今年2023年はすでに三度目の日本一時帰国となりました。きっとこれも何か意味があることなのでしょう。 わたしの帰国の時期は、7月下旬から3週間ですが、日本はとにかく暑いです。マレーシアは赤道直下で年中暑いのですが、これはまた違った暑さです。ジリジリジリジリ焼け付くような不快な暑さ&熱さ・・・。ほとんど外に出ることなく過

          英語で伝えるヒロシマ被曝体験 86歳の小倉桂子さん

          福岡県鞍手郡「兵士・庶民の戦争資料館」を訪れた日のこと

          Matahari@マレーシアです。 本日は、4月から5月の5週間にわたり日本に一時帰国をし、家族のルーツを辿る旅に出たわたしが出逢った様々な人や場所の中から、特に印象に残ったエピソードの一つをお届けします。 「家族のルーツを辿る旅」に出ようとおもったきっかけ。 わたしはマレーシアに2010年に移住し今年で13年になる。 コロナパンデミックで帰国が叶わない時期が3年以上も続いたが、ようやく帰れることになり、ずっと温めて続けていた家族のルーツを辿る旅を決行することにした。

          福岡県鞍手郡「兵士・庶民の戦争資料館」を訪れた日のこと