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「霊感さん」のための未来を考える。

◆「霊感」を説明するための言葉が圧倒的に足りない


先日、HSP(Highly Sensitive Person)についての本を読んでいたら、多くのHSPの当事者は、HSPという言葉を知ったことで気持ちが楽になったという旨のことが書いてありました。

生きづらさの要因である外的な刺激が軽減されることは難しいかもしれませんが、それまで正体不明で説明のつきにくかった症状に、適切な診断の言葉が与えられて、輪郭が明確になることで、思考も整理されるということなのだろうと思いました。これって、当事者にとっては、かなり大きなことだと思います。


例えば、「霊感」と呼ばれる感覚も、HSPのケースと同様に、説明する言葉が十分に与えられていない人間の性質の一つではないでしょうか。


昨今のエンタメを見ると、ホラーゲームや怪談関連のコンテンツがもはやニッチな文化とは言えないくらい流行しており、多くの人が心霊などの超常現象や能力に関心を寄せていると感じます。ただ、その超常的な体験を説明するための言葉が圧倒的に足りず、現実に追いついていないと私などは感じます。

当然、科学で解明され得ない体験に対して、合理的な説明を求めること自体が難しいわけですが、もう少し体系的かつ一般化し得る言説があるといいのにと思うのです。


◆超常現象やオカルトが普及しにくい理由


では、なぜこうした霊的またはオカルト的なものについての言説が一般的に普及しにくいのか。


まず、霊体験の多くが主観的な体験であることが前提としてあります。しかし、同じ主観的な体験でいえば、喜怒哀楽のような感情の体験は主観的なものですが、広く共有されているといえるでしょう。

では、それ以外にどんな要因があるのか。複合的な理由が考えられるので、いくつか挙げてみたいと思います。


各国の宗教観や文化の違いが与える影響


・反社会的な存在である詐欺霊能者や詐欺占い師、カルト集団などの蔓延

→特にオウム心理教の無差別テロ事件以降顕著だと思いますが、カルトとオカルトが混同されたり、霊的、オカルト的なものが忌避される大きな要因の一つでしょう。


・メディアが「本当か嘘か」という「0か100か」の議論に終始してきたことによる弊害

→実際は、世の中には単純な二分法で説明できないことばかりです。例えば、「お化けはいるともいないともいえない」のような曖昧な態度よりも、言い切った方が説得力があるという風潮はあると思います。


人間の心理の問題

→いわゆる否定派・懐疑派といわれる人の心理。もっというと、解明されること自体を頑なに拒む人の心理。これらは、科学主義・合理主義社会の構造も視野に入れて考察する必要があると思います。


・そもそもオカルト自体の性質として「チラ見せしては、追われると逃げる」という特異な性質がある

→まあこれはあくまでも傾向ですが、そういう性質があるように感じます。

などなど。


まだ他にもあると思いますが、このように複合的な理由が、霊感に対する世間の理解度の向上を妨げているように思います。

その結果、霊感を持つ人が周囲から冷ややかな目で見られがちであることも、霊感を持つ人の生きづらさを生む要因の一つだと思います。霊感があることを、ごく親しい間柄の人にしか言えないという人も多いのではないでしょうか。

この生きづらさが軽減されない以上、霊感を一般化し得る言説が広く普及することは難しいように思います。


◆「霊感さん」と呼んでみる


そこで、冒頭で述べたHSPのケースのように、霊感にももっと適切で一般化されやすい言葉が与えられれば良いのでは?と思うのです。

心理カウンセラーの武田友紀氏がHSP当事者のことを「繊細さん」と呼んだように、霊感を持った人のことを「霊感さん」と呼ぶのもいいかもしれません。

今、書店へ行けば、ジェンダーギャップなど社会的不平等や格差に関する書籍を目にする機会も、かなり増えたように感じます。霊感を持つ人もいずれ社会的少数者として認知されれば、「霊感さんが前向きに生きるためのマニュアル」的なタイトルの自己啓発本が書店に並ぶ未来が来ることもあるかもしれません。

、、まあ、これは、そうなったら面白いなぁという単なる妄想です。

「何をバカなことを」と思われるかもしれませんが、実は、この状況をブレイクスルーし得る方法として考えていることが一つあります。


◆霊的な能力が権威化する構造に目を向ける


先程、霊やオカルト的なものが忌避される背景の一つとして、反社会的な存在である詐欺霊能者や詐欺占い師、カルト集団などの蔓延を挙げましたが、これは実害がある分、最も深刻な問題だと思います。

当然、人を騙すのが絶対的な悪であることは自明ですが、もっと根本的な原因として、霊的な能力が権威化する構造に目を向けるべきです。

つまり、霊的な能力があることを特別視する人が存在するせいで、能力者が権威化するのです。霊的な能力があることを特別視する人がいなくなれば、それを使って人の上に立とうとする人も必然的にいなくなるはずです。

そうは言っても、霊的な能力が特別であることに変わりはない、と思う人も多いでしょう。これは私の見解ですが、そもそも霊感は誰にでも元々備わったものなので、本質的には程度の問題なのです。ただ、主に無意識の領域で働く性質のものなので、自覚するのに少しコツが要るのだと考えています。


◆霊感は単なる感覚機能の個体差だと捉え直す


そこで、霊感を、単なる感覚機能の個体差のようなものだと捉え直せばいいのです。

人間に先天的に備わっている感覚機能は十人十色です。

味覚が人より繊細な人もいれば、嗅覚が動物並みに敏感な人もいます。霊感を特定の人間に与えられた特別な能力と捉えるのではなく、その人の特性の一つとしてニュートラルに捉える方が自然なはずです。

それでもやはり、「霊を視た」と言われて、それを信じていいかどうか分からない、信じられない、という人の方が圧倒的に多いのではと思います。

しかし、例えば他人が不味いと思う食べ物を自分は美味しく感じたり、他人が良いと思う音楽を自分は不快に感じたりする現実に対して文句をつけたところで、これほど不毛なこともないと思います。なぜなら、それを経験している人にとってはそれが現実であり、「それは現実じゃないよ」と指摘したところで、言われた方が心に傷を負うことはあっても、互いにとって理想的な世界になることは永遠に望めないからです。

互いが傷つけ合うことなく共存していくためには、一人一人が、自らの感覚機能を通して認知する世界を「現実」と認識していて、その集合体がこの世界の在り方なのだということを認識する必要があるのです。


◆「霊感さん」が生きやすい世の中へ


話を戻しますが、霊感を、感覚機能の個体差と捉え直すことで、多くの人が、霊能力者に対する認識を「ちょっぴり霊的な感覚が繊細なだけの人たち=霊感さん」と変換することができれば、「え?霊感?普通だよね」という空気が世間に醸成されます。


その結果、霊的な能力があることを特別視していた人たちもいなくなります。これにより、詐欺霊能者やインチキ占い師の価値は必然的に急落し、カルト集団へ引き込む道具として霊感が利用されることも無くなるはずです。


そうなれば、霊感を持つ人の感じる生きづらさも多少は軽減されるはずですし、これからもっと霊感を持ちたいという私のような人間にとっても希望を持てる社会になると思うのです。


そのためにも、私たちはまず霊感について説明する言葉を、もっとたくさん探すことが必要だと感じています。その言葉探しが、私がこのアカウントを通じてやりたいことの一つでもあります。



ここまでお読み下さり、ありがとうございました!


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