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探究をカリキュラムの中核に

この記事では、教育について様々な提言をしているが、その中でも、今回は探究について取り上げる。

これは、自分たちなりの問いを立て、自分たちなりの仕方で、自分たちなりの答えにたどり着くことである。

今の日本では、大学に入ってから探究型の勉強を行うことができる。

卒業論文などがその例である。

とはいえ、大学でも機会は少ないと感じる。

そして、高校までの勉強は、ほぼドリル型の勉強である。

与えられる問いには、決まった答えが存在し、それをひたすら暗記し続けるというものである。

私は、この教育を全否定するわけではない。

暗記した用語や事象について、興味があるのなら、それは決して悪いことではない。

しかし、子どもの多くは、テストのために勉強をしているのである。

そして、教師や親もそのように考えている。

テストで良い点を取り、偏差値の高い大学に入学し、大企業に就職する。

そのために、勉強するのだと。

これでは、学ぶこと本来の面白さに出会うことができないと思う。

自分が興味を持ったことについて、なぜを追求していくことで、新たな学びを得ることができる。

このような新たな発見により、学ぶことを楽しいと感じることができる。

テーマについては、何でも良いと思う。

野球が好きな子どもだとしたら、なぜ野球は9人でやるのか?、ベースの数は4つなのか?、遊撃手の名前の由来は?など様々な疑問が湧く。

この答えを知ることで、世の中の色々なことを知ることができると思う。

新たに知ったことにまた興味を持って調べたら、また新たな発見に出会えると思う。

このように学びは連鎖する。


これに付随して、今の教育は、現在社会に活きるように教えることを心懸けるべきだと思う。

理科なら、ただ元素記号を覚えさせるのではなく、この元素はこんなところに使われているなどと教えれば、子どもたちも興味を持つと思う。

歴史なら、天保の改革は、200年前の世の中に戻そうとした改革なので、現代に例えるなら、1820年である。

突然、明日から税金は米で納める、ほとんどの人は農民になれなどと言われたら、意味が分からない。

そのようなことをしようとしたと教えたら、より天保の改革のヤバさが身近に感じることができる。

このようなことは簡単ではないが、国家主導で徐々に進めていって欲しい。


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