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【認識変更への最初の一歩】同じ現象に対する反応は人それぞれ・無意識、自動的に起きている解釈への反応

2024.6.14
こちらの記事を書いて3年以上が経ちましたけれど、これまでに書いた記事の中で、私にとって特に大切なことがここに書いてありますので、度々トップに上げて、たくさんの方に読んでいただきたいと思っています。

記事を書いたのは2021年3月ですが、このことに気づいたのは2016年頃。そこから私のこの世界についての理解が大きく進みました。考えてみれば当たり前の内容なのですが、「人それぞれ」について具体的な体験から理解できたことは、私には大きな気づきになりました。

過去記事に「人間の最大の誤りは思考を信じていること」という心理学者の言葉があります。

より高い視点(次元を上げた視点)を持って、一人ひとりが独自の幻想の世界(自分が信じている通りの世界)に生きていることに気づけると、今までの人生とは違う世界に生きられます。

違う考えを持つ人に対して、腹を立てたり、見下したり…そうしたことは、「私は事実を知っている」という錯覚と思考という狭い世界の中で解釈しているから起きてきます。

目の前に見えていることですらそうなのですから、人からただ聞いただけ、読んだだけとなると、更に事実とは掛け離れて来ると思います。

これはスピリチュアルだとか量子力学など関係なく、目の前に起きている世界での体験や観察から理解できることです。


人が外側の世界を見る時には、それぞれが持っているフィルターを通して見ています。今回はこのフィルターについて書きます。このフィルターについては多くの人が語っていて、「人によって事象の見え方が違う」とよく言われています。この記事では、それは具体的にどういうことなのか、私なりの解釈で書いています。

今回例に挙げた話は、架空の物語ではなく、私自身の体験や現実にこのような反応をする人がいることを観察した上で書いています。

ひとつの事象に対する人それぞれの反応に気づいたきっかけでもあります。

私の場合、自分を知ることで、日常が大きく変わったわけではないのに、知った先に違う世界が開けました。そして、心が以前よりずっと自由になっています。

このフィルターに良い悪い、正しい間違っているはありません。

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今ここに「路上で泣いている小さな男の子を、女性が大声で叱っている」…という場面があります。

Aさんは、その場面を一瞥して、とくに心的な反応もなく通り過ぎていきました。(・・)

Bさんは、「小さい子のお世話は大変だよね〜。お母さんも疲れてるんだ。頑張ってね。叱ったあと、お母さんも凹むんだよね。分かる分かる。」と思いながら通り過ぎて行きました。(´∀`)

Cさんは、「泣いてる、泣いてる。小さい子が泣いている顔って可愛いなぁ…。口がへの字になって、顔が可愛く崩れて、うちの子もあんなだったっけ。」と自分の子育てを懐かしみながら通り過ぎて行きました。(´∀`*)

Dさんは、「この子眠くてぐずってるんじゃないかな。あんなに泣いているんだから、叱るより優しく抱っこして言い聞かせてあげたらいいのに。」と考えて通り過ぎて行きました。(-_-)

Eさんは、いつか誰かのブログで読んだことを思い出して、「この母親は自分を抑圧して生きているから、子どもがぐずるんだ。子どもはこれがトラウマになって生きづらくなるんだよ。」と母親に対して不快な感情を抱きながら通り過ぎて行きました。( ̄^ ̄)

Fさんは、「こんなところで大声出すなんて非常識だ。こんなことでは家で虐待でもしてるんじゃないの?」と、日頃ニュースで見ている虐待の話を思い出して、怒りを感じながら通り過ぎて行きました。(~_~)

ここに在るのは「泣いている小さな男の子を、女性が大声で叱っている」という事実だけです。

でも、人の心の中で起きる反応は様々。無意識で自動的に起きている反応です。

何故反応が違うのかは、その人がその時までに経験してきたこと、見たこと、聞いたこと、取り入れた情報や知識、信念、思考の癖、思い込みなどが違うからです。

「子どもを叱ってはいけない」
「母親がいつも笑顔でいれば良い子が育つ」
「子どもの時のトラウマが生きづらさに繋がる」
「公共の場で大声を出してはいけない」

などなど。

また、過去に自分が叱られた時の記憶、子育てで体験したことの記憶などもあります。関係のあるTVのニュース、どこかで聞いた話などが記憶に残っていることもあります。

これが、私が時々書いている「フィルター」です。

人はいつも自分独自のフィルターを通してしか世界を見ることができません。

この場面をすぐに忘れてしまって何の意味も持たないという人。後から記憶を反芻して、その時の不快感や怒りを繰り返し感じて、ある意味、その記憶に感情を支配されてしまう人。それぞれです。

記憶の反芻を続けていると、良くも悪くも強化されて行きます。叱っていた女性はどんどんと悪者に仕立てあげられることもあり得ます。

脳内の映像が、「子どもを叱っていた女性」から「鬼のような形相で子供を怒鳴りつけていたとんでもない母親」になるかもしれません。

こんな風に、一日中あらゆることに対してフィルターを通して反応しているので、人それぞれ、同じ場所で同じ物を見たり聞いたりして過ごしたとしても、その生活のクオリティは全く違っていきます。

ましてや、10年、20年…となると、人生そのものが大きく変わっていくだろうことは、想像に難くないですね。

自分を知るとは、まずは自分がどんなフィルターを持っているのかを知ることだと思います。

フィルターを持っていることが悪いのではなく、どのフィルターが正しいということもなく、ただ気づくだけ。それでだんだんと世界の見え方が変わっていきます。

そして、他人には他人独自のフィルターがあるので、人それぞれの感じ方、考え方は違うのが当たり前であると知ると、それでまた世界の見え方が変わります。

怒りや不快感を感じる時ほど、自分の持つフィルターを知るチャンスです。自分が不快に感じていることを、そうは感じていない人もいるということに気づいて、その違いはどこにあるのだろう…と考えてみると発見があります。

虐待まで想像してしまって怒っているFさんには、まさか泣いている子どもの顔を見てほっこりしている人がいるとは、思いもよらないわけです。

お母さんが疲れている
子どもが眠い
トラウマ
抑圧
虐待

全て想像です。

見えている事実に想像を加えてフィルターを通して無意識で自動的に解釈している幻想の世界です。

自分の脳の中だけで展開している世界です。

これは、今起きているあらゆることについて言えます。

私たちは、多くの場合、事実ではなくてその解釈に反応しているのです。

その反応は無意識的・自動的に起きていて、その反応に応じた言動が起きています。

「自分を知る」というのは、この無意識で自動的な部分を意識上に上らせるということだと私は思っています。

在るのは、ただ「路上で泣いている小さな男の子を、女性が大声で叱っている」という事実だけです。

それに対して、人それぞれの体験や反応が起きていて反応に良し悪しはありませんけれど、それに苦しさを感じているなら、体験や反応の仕方を変えることは出来ます。


以上、私の体験から思ったこと、分かったことをまとめてみました。私はこのことに気づいたことがきっかけで、人生が変わり始めました。



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