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【自分を知る】Aさんてどんな人?私たちが見ているのはスクリーン上の思い込みのAさん

⚫︎はじめに

鏡の法則というのがあって、心理学ではミラーリングと言うそうです。自分が見ている世界はあたかも鏡のようであり、そこには自分自身が映っている…と言われています。

また、私たちが見ているこの世界をスクリーンに例えて、その仕組みが説明されていることもあります。

心・意識おたくの私が、これまでの観察や経験、学んだことを基に自分なりにスクリーンを用いて説明してみます。

⚫︎見ているのは事実ではなくスクリーン上の自分の無意識

私たちが人や現象を見る時に、私たちと対象の間にはスクリーンが立てられて、そのスクリーンには、思い込み映写機によって無意識の世界が映し出されます。

無意識とは、自分では自覚していない思い込みで、下の過去記事にある脳内の小人とか、エゴの思考というのも同じことだと思います。

例えばある人(右の女性)がA さん(左の女性)を見る時、見ているのは本当のAさんではなく、思い込みスクリーンに映っているAさん。

映写機は脳内にあると思ってください。スマホで見ている方はタップして拡大して見てください。絵も字もへたっぴなので、無断転載を禁じます。(笑)


ですから、どんな思い込みを持っているかによって、映されるAさんは違ってきます。

「Aさんて、優しいよね」
「Aさんて、皮肉っぽいよね」
「Aさんて、世話好きだよね」
「Aさんて、人を見下してるよね」
「Aさんて、人の気持ちがわかるよね」

そこにあるのは、見る人それぞれの無意識が作り出したAさん像。

ですからスクリーンに映っているのは、Aさんそのものではなくて自分の無意識であり、無意識に存在していないものは映りません。(ですから、鏡の法則で「相手に映っているのは自分自身」と言われます。)

つまり、このイラストの女性が見ている相手は「あなたの中に自己否定がありますよ」ということを教えてくれている訳です。

スクリーン=自分(の無意識)を映す鏡。

スクリーン=思い込みのフィルター。

このスクリーンは自分の周り360度に張り巡らされています。

そのスクリーンに映っているのは、全て自分独自の解釈の世界。



⚫︎学歴社会はどこにある?

社会的な事象もこのスクリーン上にあります。

以前にも書いたことがありますが、例えばもし、「この世は学歴社会」という信念を持っている人がいたなら、その人のスクリーンに映る世界は学歴社会で、その人はその学歴社会の中で必死で高学歴を得ようと生きていくことになります。(それが悪いわけではありませんが。)

学歴によって自分や他人の価値を測る人生になります。

自分の人生は学歴が高いから(低いから)こうなんだ…という解釈をします。

ところが、現実は、入り口に於いては学歴が大事なフィールドもあれば、学歴は全く意味のないフィールドもあり(寧ろそちらの方が多いかもしれません)、学歴が意味を持つことはあっても、人生の全てが決まるわけではありません。

また、逆に高学歴を見下す人もいますが、それもその人の独特の意味づけで、学歴はどこまで行ってもその人がどの学校に行ったかの記録でしかありません。事実の記録なので、本来は良いも悪いも、高いも低いもありません。

意味づけしているのは、その人その人。多くの人が同じ幻想を見ていると、それは社会現象にも見えるでしょう。


思い込みの学歴社会の中で将来の夢を描いたり、ああすればこうなるだろうという計算や腹づもりで動いても、なかなかその通りには行きません。

何かに成功することはあっても、そこに幸せはなかったりもするでしょう。 

でも、他人がいくら「ここは学歴社会じゃありませんよ」と言っても、本人は確かに学歴社会を映して見ているので、本人が気づかない限り、他人がそれを変えることはできません。

学歴に拘りのある人は、学歴社会を見続け、学歴社会を生き続けます。

学歴社会はあくまでも一つの例なのですが、仕事柄様々なケースを見てきて思うことです。

思い込みや勘違いから抜け出すと、自力で頑張らなくても、自然の力が働いて自然の流れに乗ることができるようです。

人間が思い込みを基にあれこれすることが世の中をややこしくしていて、実は自然の流れに任せていると全て上手く行くようになっているのが宇宙の本来の姿…という考え方があります。

私は体験的にこれを実感しています。
もう少しお付き合いください。😊

⚫︎思い込みヘッドホン

ひとり一宇宙。

宇宙が大袈裟なら、ひとり一現実。(でも、宇宙でさえ、一人ひとりが脳内に持っているイメージに過ぎません。)

それぞれが思い込みの幻想の世界に生きている…と言われる所以ではないか…と私は思っています。

相手が言っている言葉にも、自分独自の意味づけをして聞いています。(絵に描いた「思い込みヘッドフォン。🎧)

絵にあるように、ひとが親切に言ってくれた言葉を悪意に捉える思考の癖があると、責められたと思い込んで傷つく…なんてことがあり得ます。

これは、ほんのちょっとした日常の至る所で見られる現象です。

例えば、ある夏の日、来訪者が「今日は暑いですね」と言ったら、単なる「暑い」という事実を語ったと捉えて「そうですね」で終わる人がいれば、「クーラーつけて😓🙏」と言われたように捉える人もいれば、「暑いのに何でクーラーつけてないの⁉️😡💦」という非難に聞こえてしまう人もいるかと思います。

これは実際、私があるお宅を訪問した時に、挨拶がわりに「暑いですね〜」と言ったら、相手の人が「あっ…ごめんなさい😅クーラーつけますね…」と慌ててクーラーをつけようとしました。

今度は私の方が「あ、いえいえ、クーラーなくて大丈夫です。すみません…😅」と謝り合いになったことがありました。(日本人あるある)

⚫︎同時に存在している別の世界

よく、自分の見方を変えたら(自分が変わったら)、他人が別人のように変わった…という話があります。

意識について関心を持っている皆さんは、このような話を何度か読んだり聞いたりしているはずです。

「意地悪だった同僚が、何故かある日突然優しくなった」のような話ですね。

私も何回か経験しています。

えっ⁉️この人こういう人だったの❓…と、びっくりしたり😲感動したり😭…。

「この人はこういう人」というネガティブな思い込みを基にした言動が原因で人間関係が拗れているなんてことが、巷では頻発しているのではないかと思われます。

そして、世界的な現象も、元を正せば同じことだと思っています。

だから、同じ現象に対して異なる見解が生まれ、同じ現象の中でそれぞれが異なる体験をしています。

感染症の流行の中、マスクを二重にしても不安な人もいれば、マスクをしないで平気で人混みを歩く人もいます。(どちらが正しいかという話ではなく、全く同じ現象の中で、そのような人それぞれの「体験=反応」が起きているということです。)

私たちはこうして、ある意味、日々思い込みによる現実創造をしています。現実創造とは、現実解釈ということかもしれません。

スクリーン(フィルター)が外れた時、思い込みワールドから、別のワールドに移行したかのように変化が起きます。(自然の流れに乗れたということ。)

別のワールドはどこか遠いところにあるのではなくて、この場に重なり合って存在しています。

これは、先程の学歴社会の例で言えば、同じ日本にいても「ここは学歴社会」だと思って生きている人と、「特に学歴は重要ではない」という人生を生きている人が共存していますね。

こちらからあちらの世界へは、時に一瞬で移動できます。

思い込みに気づいて世界が変わった時に、次元を移行したと表現する人もいます。

別のワールドも単に別の思い込みワールドかもしれませんが、360度スクリーンを張り巡らせて見ているので、少しずつスクリーンが外れると、世界の見え方はどんどん変化していきます。

このように考えると、同じ世界にいるようで、一人ひとり違う世界にいることがわかります。違う世界と言っても、場所が違うのではなくて、見ているスクリーンが違うだけ。  

⚫︎最後に

見ているものは思い込みのスクリーン上の映像で、聞いた話・読んだ話は誰かがそう言っているというだけの二次、三次の情報。

真実って何でしょう❓❓🤔

正しいって何でしょう❓❓🤔

「私の考えが絶対に正しい」とはどういうことなのでしょう❓❓🤔

他人の考えを「改めさせよう」とはどういうことなのでしょう❓❓🤔

心・意識おたくの私は、いつも【自分を知る】の実験やら実践をしながらそんなことを考えています。(暇だな〜と思われそうですが…😄💦確かに、暇です😄)

でも、実験したり実践してきたおかげで、嫌いだったり憎んでいた人が自分の無意識であると分かり、よくスピリチュアル界隈で言われる「他人や自分を許しましょう」も、そもそも許さないといけないことなど起きていなかったと理解できました。


今、みなさんの無意識はどんな世界をスクリーンに映し出していますか❓😊

はじめに書いたように、これは私の世界観です。みなさんそれぞれの世界観とは違うかもしれません。

同じだよ〜という方がたくさんいらしたら嬉しいです。思い込みに気づいてゆる〜く生きようという方が増えると、更に嬉しいです。

では、ひとまずここで中間報告を終えて、本日のスクリーンを閉じますね。😊

共感された方もされない方も、長文の最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


思い込みについて、こちらの記事もよろしければお読みください。 私が一人ひとり別の世界を見ていることに気づいたきっかけについて書いています。
誰もが自分は正しいと思って生きていますが、それは自分の世界だけでの正しさなので、その正しさで争うことの無意味さが分かります。

思い込みや【自分を知る】について、様々な角度から書いた記事をこちらのマガジンに集めてあります。

「闘わない、争わない」を別の視点から書いています。思い込みを作りやすい媒体、メディアについて。↓


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