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読み返したいnote

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2019年5月の記事一覧

noteコンサルを受けました

コンテスト受賞者の特典で、noteコンサルを受ける機会をいただいた。 受けるのは任意で迷わず申し込んだ。 今後、noteをどう活用したらいいのかを相談したかったから。 noteを始めてから1年と少し。noteはほぼ趣味で、楽しんで続けられている。けれど、そこから一歩進みたいと思っていた。 私の出来ること、すきなこと、やりたいことを仕事に繋げるのはどうしたらいいのか、何も実績がないのに、何を重点的に書いたらいいのか? 誰に相談できるわけでもなく、一体どおしたらいいんだろー。と

「言い方が悪い」について、夫と私の言葉の意味のすれ違いの考察と話し合い

夫と喧嘩した。 翌日、話し合いができた。 話し合いの焦点は 夫が普通の会話の中で突然キレ始めるのをやめてほしい。 という内容だった。 ※この内容はあくまでも夫を観察してきた妻側、私という個人が感じた内容を私が言葉にしたものなので夫側からはわかりまへん。 ・ 夫が怒り始めると私は驚いて「突然怒って不機嫌になるのはやめてほしい」と伝える。 夫は「言い方が癇に障った。そんな言い方をされなければ怒るはずがない。」と返してくる。 私は、確かにきつい物言いをしがちな人間だ

忙しくて、 難しくて、 重い。

約1年ぶり、結婚式を担当する。 深夜までやっているカフェに入って、二人のイメージに合うインスツルメンツを探し、大音量でヘッドフォンを聴きながら、二人のヒアリングを思い返す。0歳から今日までのストーリーと、「なぜお互いを選んだのか」に、二人の人生の価値観や、人生に求めるものが詰まっている。私はもう彼らのことを、この世で最も知っている人間の一人だと思う。親ですら家を出て行ってからや仕事のことはわからない。親友ですら出会うまでのことは知らない。同じ2時間という時間があっても、ここま

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

ぼくは作品が有名になってほしいとおもったことはあるけど、自分自身がタレントや文化人のように有名になりたいとおもったことは一度もない。講演会やイベントなど人前は苦手だし、取材などで写真を撮られるのも苦手だ。撮られる側になってみてわかったことだけど、写真を撮られるのというのはストレスだ。 それでも病気になってから“有名にならなければいけない。”とおもうようになった。有名になって女性にモテたいとか、お金を稼ぎたいとか、名声がほしいとか、健康な人が考えつくような欲のために有名に

わかるのに時間がかかるから、わかるために書くんだという話。

わたしは、わかるのに時間がかかる。 「わかる」の理解度や深度は人によってちがうし、わかりたいと思う範囲にもよるので他人と比べることはむずかしいのだけど、自分ではそう思う。 先日、書くことについて、「なぜ書くんですか」「どういうときに書くんですか」「どうやって書いていますか」などと聞かれて考えた。 わたしはもともと書くことを仕事にしていないので、取材をして書くとか、テーマに沿って書いた経験がほとんどない。誰にも頼まれずに勝手に書くというのはたしかにどうかしていると自分でも

サラリーマンこそ「ジブリ大博覧会」へ行ってみてほしい

週末、福岡で「ジブリ大博覧会」を見てきた。 掛け値なしの本心で言わせてほしい。最高だった。 精工に作られた迫力満点の王蟲や、すべての子供たち(いや大人たちも)が狂喜乱舞する、ふかふかネコバス。灯りをともしながら空を舞う飛行艇。これらももちろん素晴らしかった。 けれど私の心を撃ち抜いたのは、壁一面に展示された、色の褪せかけたFAX用紙たちだった。 そのFAX用紙は、映画のポスターに入れるキャッチコピーをめぐる、糸井重里さんと鈴木敏夫さんとの往復書簡だ。 ジブリの名コピ

自信の仮面は滑稽ではない。

先日 一冊の本、 『敏感すぎて生きづらい人の明日からラクになれる本』 に出会い、 自分がHSPということがわかりました。 (HSP:High Sensitive Person「とても敏感な人」  世の中の5人に1人がHSPと言われています。) それからは肩の力が少し抜け、 あ!あれはこういうことだったのか。 と過去あった出来事で気づくこともちらほら。 自分に自信がないのは、本当にずっと昔からで、 むしろ年をとるに連れ、呪いにかかったかのように どんどん どんどん 自信

覗かないでおく、ということ

旅先で出会った人と、思いがけず深い話をすることがある。お互いの悩みを打ち明けたり、過去の傷について聞いたり、将来の相談を受けたり。 それはたぶん、お互いのことを知らない同士だからこそ話せるのだと思う。 自分に対する先入観も持たれていないし、過去のことも知らなければ未来の責任を負う必要もない。そんな気軽で薄い関係だからこそ、腹を割って話せる。ふだんは見せない自分の姿を、さらけ出すことができる。 逆に言えば、近い関係であればなんでも洗いざらい話せるかというと、そうでもないと

「毎日一歩経由、ランナーズハイ行き」

ここ数ヶ月以上「言葉を綴る」に関してめちゃくちゃに不調だった。というよりは集中できなくて。 「集中力を持って言葉を書く事」が苦しくて、1行書いてはTwitterをやったり、1行書いては音楽を聴いたり、3行書いてはハンターハンターを観たりと、気が散ってしまう(netfrixは沼だ)。 そしてタラタラ綴ったその言葉達からは、何の魂も、伝えたいメッセージも感じず。何だか自分の心の前にある薄っぺらい壁をベタベタと色や飾りで装飾して塗り固め「さあできましたよ。綺麗でしょう?」と、他人に

律儀であること

先日飲んでいる席で、仲良くしている方から「転職することにしました」といきなり目の前で報告されました。以前そういった進退についての相談は受けていたので「やっぱり」と思うと同時に素直に「おめでとう」となりました。帰り道、メールで「みなさんに知れ渡る前に平山さんには報告しようと思って」とわざわざ連絡をくれました。 友人から突然「少し会いませんか?」の連絡。他愛もない会話で1時間半程度話した後、帰り間際に「結婚することにしました」と言われました。そのときは動転してしまったのだけど、

衰えるのではなく、広がっていく

懐かしいものが出てきたよ。 今週、姉から家族写真や年賀状の写真が大量に家族LINEに送られてきた。 兄と2人でキャイ〜ンをしてる写真、「ことしも、げんきにやりましょう」というなぜか上から目線で書かれた姉への年賀状、母親と2人で縁側に座ってる写真。 そこには懐かしさだけではなくて温かさが感じられる写真たちにホッコリするのと同時に、「もう20年も前なのか」とも思う。 この頃に比べて、カラダは大きくなり、ヒゲが生え、シワができ、字は当時と違う歪み方に落ち着いた。つまり、歳を

大丈夫だから、続けることを諦めないで

朝6時47分、22歳の私は地元の駅で電車を待っていた。 「会社に行きたくない」 そんな憂鬱な気持ちを抱えながら電車に乗り、新潟駅で乗り継ぎ、もう一駅。約1時間15分の道のりを平日の5日間(売上が低いと怒られたときは週6日)、毎日毎日通っていた。 * 2013年2月17日 「本日からお世話になります、○○○です」 声を震わせながら発した言葉。これからどんな未来が待っているか想像すらつかず、挨拶では緊張で頭が真っ白になった。 私が入社したのは、とある求人広告会社。営業職

【令和ver】朝起きて、夜寝るまでの「最高の1日」を考える

朝。まだ薄っすらと辺りが暗い時間に目が覚めた。服をすり抜けて肌に触れる空気はひんやりと肌寒いけれど、不快ではない。部屋の時計に目をやると、6時を指している。今日は思ったよりもよく眠ってしまったな。ふわ、と大きなあくびを1つしてから、布団が少し重い事に気づき視線を落とした。茶トラとサビ色猫たちが私と同じく大きなあくびをすると、迷惑そうな目をちらりと向け、もう一度丸くなった。その様子を見届けてから、湿気を含んだ木の床に足を下ろす。隣ですーすーと寝息を立てている彼を起こしてしまわぬ

「ヘイフラワーとキルトシュー」

映像や衣装のかわいさに定評のあるスウェーデン映画、「ヘイフラワーとキルトシュー」を観た。 もとは無料のnoteでしたが、立ち入って個人的な話を書いていたためいったん有料にします。また時期がきたら無料に戻すかもしれません。

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