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いじめとトラウマ いじめられる側に問題がある?

いじめというのは、残念ながら、この社会からはなくならない。
いつの時代も。


形は違えど、子どもの世界だけでなく、大人の世界ですらあるくらいだ。

今日は、いじめを経験したものの1人として、思うことや考えを書いてみたい。


わたしがいじめを受けていたのは、主に小学校入学〜4年生くらい。
幼少期は家庭でも親から精神的ないじめを受けていたから、
わたしにとっては暗黒の時代と言ってもいいくらいだ。



不思議なことに、いじめられた内容を
30年以上経った今でも鮮明に思い出せるのだ。




理科の時間(今でいう生活の時間)、
ヘチマの水やりをしていた時に、
いじめグループの女子が、
いきなりスコップで頭を叩いてきたこと。

学校の裏山(地元が超田舎だったため、学校の裏に林みたいなのがあった)
に連れて行かれて、陶器の破片のようなものを頬に突き刺されたこと。
いじめグループに囲まれて、
その時の殺気じみた空気に
ものすごく恐怖を覚えたこと。


仲良く遊んでいたと思っていた女子グループに
わたしに聞こえるように悪口を言うなど、
訳もわからず裏切られたこと。

体育の着替えの時間にクラスの女子全員から冷たい視線で睨まれたこと。
(補足 当時、学校で指定された制服カラーなどの基準があり、いじめのボスがわたしの服装に因縁をつけ、あいつの服おかしくね?といいふらしたのから発展)


この辺は、クラスの女子から受けたいじめの
ほんの一部の記憶。

昔は、今より子供会の活動も活発で、
田舎ゆえに近所どおしの交流も蜜だったのもあり、

同じ地区の上級生のボスにこれまた目をつけられて
朝登校の時に通せんぼされたり、
地区のイベント行事などでもいじめを受けた。

思い返してみると、どのエピソードも、
わたしから相手に何か意地悪をしてじゃなく、
嫌われることをしたからというのではない。

ただ、全くの何の理由もない一方的な攻撃だった。

だけど、わたしはずっといじめられるわたしが悪い。そう思って生きてきた。


そもそも、人にいじめのエピソードを話すと、

「そんなの、嫌だって言い返せばいいじゃん!」

「あんたの気のせいじゃない?被害妄想だよ。」

「いじめる方もだけどさ、あなたにも原因あるんでしょう?」


こんな反応が多いように感じてきた。
じっさい、わたしじゃなくても、
いじめに対する世間の反応も。


いじめを受けた人の痛みの気持ちを理解することよりも、
表面的な原因探しに注目しがち。


個人の受け取り方、解釈の仕方のせい、

弱い自分がダメだから

性格のせい

私も、いじめを受けた傷にプラスして、
というかそれ以上に、
世間や人からのこういう無理解の言葉や態度に
さらに傷ついた。




あたしなら強く言い返せるけどなあ、とか、
いじめた側の言い分もきいてみなきゃわからないじゃん?
それはいじめられるのも仕方ないと思うな、など、

言い方悪いかもだけど、
こういう正義ぶった大人たちの言動に正直憤りを感じる。


そして、なぜか、いじめを受けた被害者よりも、
加害者側の味方についたり、人権が守られるという理不尽さ。


さっきのスコップで頭を叩かれた事件の時も、
当時の担任教師に訴えた時、
いじめグループが叩いてないと主張したら(そりゃするよね)、

「あの子らは叩いてないと言ってるぞ」と
なぜか怒られた。
あのときは、信じてもらえなかったのが
ほんとショックだったな。


ちなみに、この担任の先生、2年間受け持った先生だったけど、
最後には、いじめを認めてくれたし、
わたしが成人する頃、謝罪の手紙を送ってきたけど、
その時は、あんた信じてくれなかったやん!
そのせいでいじめがエスカレートして苦しかったんだから!
の気持ちが大きくて先生に返事を書けなかった。
それくらい傷ついたってことね。
(その先生には体罰的なこともあったから余計そう思ったのかも)


先生もだけど、やっぱり、
こういう時親に味方になってもらえないのはつらい。

「無視されてつらい」
「〇〇されて悲しかった」

いじめを受けると、いじめられた事実を打ち明けるのは勇気がいるもんだ。


なのに、

つらい気持ちを話しても、

「お母さんはね、学級委員になったり勉強頑張って見返したのよ!
あんたも見返しなさい!」


一番の味方でいてほしい母からは、
つらいね、大丈夫、お母さんだけは味方だよ。
そんな言葉とは裏腹で、

人は敵だ。いじいめられたら負け。
結局は、いじめられる側が悪いという考え。

先生や親、わたしの痛みの声に耳を傾ける大人はいなかった。
そして誰にも守ってもらえなかった。


当時を振り返ると、
親に愛されず、心をいじめられながら育つ

自己表現できなくなる、うまく話せず口数も少ない

表情も元気がなく暗い印象に見える

いじめのターゲットにされやすい
強いて言えば、虐められやすかった原因はこういう感じ。


だけど、だからといって、いじめていい理由にはならないし、
いじめられたのは当然というのは間違っている。



もし同じ状況だったとしても、
先生や親が味方になって守ってくれる、
いい友達に出逢う、そのおかげで救われたり、
元気になれたり、楽しい学生生活を送れました、みたいな話も聞くから。


つまり、運というか、
悪条件の環境が重なった部分も大きいのではと思う。



環境のせいにするなというヤツもいるけど、
でもわたしは思う。
やっぱり、環境は一番大切なんだと。


どっちにしても、「いじめ」は心に傷を残す。

まわりの人の理解で、その傷は「かさぶた」のように軽傷で済む場合もあるし、
わたしみたいに、親の虐待といじめが合わさって、ナイフで刺されたような重傷化する大きな傷になる場合もあるだろうし。


この傷はいわゆるPTSDのようなトラウマになり、その人の人生を蝕むことすらある。



人が怖くて信じたくても信じられない、
友達や恋人も作れない、もしかしたら結婚もできないという人もいるかもしれない。
大げさな話じゃなくマジな話で。


それなのに、
過去のことだから前向きに考えればいい
というような精神論で簡単に片付けられやすい
世間の空気。

全くと言っていいほど理解されていないことに憤りと絶望を感じるときもある。


それに、
加害者:被害者が10:1のような構図で、
やっぱり多い方、力が強く見える方に味方をする、そっちの言い分の方が正しいみたいなの強い社会。


そうすると、どんどん、弱い立場の側は発言しにくくなる。

間違っているのを、間違ってると言えない社会の空気。


ニュースに取り上げらるようないじめの事件とか
いつも見て思うのは、
学校や大人がちゃんと子ども守れてねーじゃんと思うこと多いんだよね。


いじめの話題は体験者として、つい、熱く語ってしまうのだ。
長くなるのでまた機会あったら書きます。


長い文章、最後まで読んでくれた人ありがとうございます。

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