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【短編小説】 伊佐治くん

同じクラスの伊佐治くんはよくおなかが鳴る。
授業中、伊佐治くんはよく寝ているがそのときもおなかが鳴っている。
というより寝ているときだけおなかが鳴る。
人間よくここまで睡眠中におなかを鳴らせるものだなと感心するほどである。伊佐治くんが目をつむり夢の中にいて、現実問題その腹部から取るに足らない微妙な音をだだ漏らしていても、クラスの誰かが指摘したりそのことについて話すことはなかった。
だがしかし、「あ、伊佐治くん また おなか鳴ってる。」と口にはしないもののクラス全員の共通認識としてそれが行き渡っていると誰もが思っていた。

ある日のこと、いつものように伊佐治くんのおなかが鳴っていると突然、
「グララララ・・・・・」「グロロロロ・・・・・」
「バキッバキッ・・・・」「バコォ・・・・」
と明らかに胃の消化運動音ではない音がした。
それはまるで親指大の小さな悪魔が来たるべき悪魔大決戦に向けて伊佐治くんの胃の中で戦争の準備をしているようでもあった。
 どうしよう・・・・・ただごとではない気がする。と私は周りを見る。
しかし周りは気にしているようにも気にしていないようにも見えた。
 だれかに言おうか・・・・・でも僕の思い過ごしかもしれないし・・・・
 そもそも普段のおなかの音だってみんなには聞こえていないのかもしれない。
 俺たちが言葉にせずとも持っていると思っていた暗黙の了解は、実は自分だけのものだったのかもしれない。
クラス全員が個々に持つ小さな共通認識が揺らぎ始めたその時。

伊佐治くんがいきなり咳き込み始めた。だがそれも声をかけるかかけないか微妙なところだった。
またしてもクラス全員がどうしようか迷っていると、「ゴホン!」伊佐治くんの口から一匹のハエが出てきた。皆が啞然としているなかそのハエはスッと飛び立ち、窓の外へと消えてしまった。
伊佐治くんは目が覚めてしまったのか何事もなかったかのようにノートをとり始める。
授業が終わってもそのことについて話すものは誰ひとりとしていなかった。
皆が自分だけが見た不思議なことだと思っているし、なにより誰かに話すには取るに足らないものだと思っていたからである。

翌日、伊佐治くんはまたいつものようにおなかを鳴らして寝ていたけれど、あの奇怪な音が聞こえてくることは二度となかった。

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