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ぼくは世界からきらわれてしまいたい

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像としての身体と、衝動を宿す肉体。それらの乖離に葛藤する売れないモデルのお話。テーマ上、性描写が多いです。
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2021年3月の記事一覧

ぼくは世界からきらわれてしまいたい #31

マリを待つあいだ、ぼくは街で慈善行為を行うことに決めた。けれども肉体の衝突というのでは芸がないように思えた。さらに人々の準拠する道交法に照らした場合、互いが動いているなかでの衝突というのは双方に責任が生じうることも考慮せねばならない。衝突された側の人間にも、意識の隅にほの暗い疚しさがともる、そういうことも大いに考えられる。

ぼくはホームレスを思い、いかにしてあの無防備さをぼくのうちから引き出すこ

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #32

※性的な描写を含みます※

マリは築年数の浅い女性専用マンションに住んでいた。エントランスのロックを外した彼女を追って、内部に入っていく自分の存在が、住民にとってなにか不穏なものであるという思いが生じ、それはぼくのうちの渦にとって糧となった。

並存の地平をのぞかせるために、他人の部屋ほど適切な場所はないと、ぼくはマリの部屋で気がついた。生活のかたちに配置されたもろもろの事物は、住む者の意識と疑い

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #33

※性的な描写を含みます※

昼休みの放尿と、退勤後の路上喫煙のあと、マリの部屋を荒らすことがぼくの習慣になった。ぼくはマリの部屋で目についたものをマリの体内に挿入し、家のいたるところでセックスをした。事物は調度としての顔を失っていき、持ち主の定かでない、体液の染みついた雑多な不用品の集積となっていった。

マリを辱めながら、ぼくは待っていた。マリが自らを100%の被害者として認知する瞬間、そこで発

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #34

※性的な描写を含みます※

ぼくはそれから、異常性を装うセックスをしなくなった。当然、並存の次元においてマリを脅かそうとする欲望が消えたわけではなく、毎回ぼくはマリの肉体を蹂躙する方策について思案しながら彼女の部屋に向かうのだけれども、もはやその部屋はぼくにとって侵入する対象ではなくなりつつあった。散乱する事物はかえって正確にぼくの座る位置を定め、ある収まりのよさの感覚が、そのたびぼくのうちで渦を

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #35

事務所から久々にオーディションの連絡があった。

マネージャーの励ます声に、ぼくはマリの声を重ねていた。自立を促す母に対するような投げやりな思いを抱きながら、背骨の中心に確かな緊張を感じる。その緊張はぼくの核を抜け落としたまま、ぼくの像を形成するように思われた。

まっとうな人間!革命の衝動を忘れ、社会的生に埋没していく自らのイメージは、ぼくのうちから使命感の残骸をとり集め、惨めな人工物としての渦

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #36

帰りの電車でもぼくは行きと全く同じ芸を披露した。

「なー、それな」そう言ったあたりで後ろから肩を叩かれ振り返ると、フクロウのような眼をした、けれども頬のこけた男が切迫したように鼻先に人差し指を押し当てていた。

ぼくは事物を眺める目を繕いながら、「ア?イマデンシャ、エ、ヨクネ?」と続けた。男は目玉をこぼれ落ちるほど広げて、鼻に当てていた手でぼくの腕を掴み、スマホをぼくの耳から引き離した。

「何

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #37

「今日はどこかで食べていきませんか?」

マリから行動を提案されるのははじめてだった。ぼくはその積極性に心が弾むようにも感じたけれども、一方でその意図を推し量ろうとたじろぐ思いがあった。

マリの瞳は強い光を帯び、その視線はなにか、ぼくの方にまっすぐ伸びてくる平均台のようで、ぼくにTの字となってそれを渡ることを促しているように感じられた。それは不快な緊張をぼくにもたらした。

「家でよくない?」

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #38

※性的な描写を含みます※

「夜の公園って独特ですよね、ちょっとこわい」

茂みのつくる無数の影のすべてに、脅かすものの可能性が棲みついている。端的に夜の公園は、並存の次元を求める特定の人間に対してのみ開かれているのだった。

冷えた空気のなかで伝わるマリの手のひらの熱が、蛍光灯のように自身に集る羽虫を呼び込んでいた。ぼくは手を放して足を止めた。数歩進んだマリがこちらに振り向こうとするところを、網

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #39

翌日、着替えを終え一階に降りていくと、女たちがこちらを一目見て、視線からぼくの存在を廃棄するみたいに目を背けた。

マリは強い酸に塗れた情動を真空状態で密閉しているみたいに、かたくなに閉ざされた表情のまま、ぼくと目を合わせようとはしなかった。女たちにとって、並存を許容できない何事かが、ぼくのうちに見出されたのだと思った。

強力な磁力に縛られたぼくのもとに、アオマブタが近寄ってきて、致命的な光線を

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #40

翌日の朝早く、スマホの震える音に目が覚めた。

画面にはマリの名が表示されていて――ぼくは明るい像がまだ存立しうるかのような、呆けた期待にみちびかれるまま電話に出た。

「署名してほしいんですが」

「署名?」

なにか彼女と契約することがらがあっただろうか? まさか婚姻届ではあるまいし……ぼくの整理が追い付かないことに痺れを切らし、彼女が声を発する。

「同意書、中絶の」

静かに低く響いた声は

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #41

「なんですか」

マリの低い声が物質的な壁となってぼくの心臓を囲う。けれどもぼくはそこから明るい像へと通じるわずかな通路を、用意されているはずの豆粒ほどの受け皿を、その声のうちに探り当てようとした。

「産んでほしいんだ」

「は?何を言い出すかと思えば」

結局ぼくは壁を強行にこじ開けようとしたわけだった。もっとも隙のない正面を選んでしまったように思い、これは分の悪い戦いになるだろうとぼくは直感

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #42

その後、ぼくはひとつの夢を見続けた。

血と肉壁の圧し潰してくるイメージ――どす黒く古い血液と、鮮血とが入り混じって、無数の渦状の模様を浮かべるゼラチン質の洞窟のなかを、裸足のぼくが、拒絶とも受容ともつかないグニャリとした崩落と反動の感触を踏みしめながら、出口を求めてさまよう、そういう夢だった。

幾度となくぼくは確信をもって出口に進んだ、けれどもそのたび、ぼくの行く先の肉壁は狭められ閉ざされてし

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #43

「これから手術なので、病院にきてください」

あらかじめなに一つ期待していなかったような、抑揚を欠いた声で、数日後マリはぼくに告げた。

待合スペースに座るマリの姿勢は垂直な糸に吊られたみたいに正しく、彼女の内側に彼女ではないものが宿っているということをぼくに忘れさせるほど、彼女の皮膚は冷たく硬い質感を浮かべていた。それは精神上、彼女がすでに中絶を終えていることを意味しているように思えた。

無言

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #44

ホームを通過した特急電車の風圧に、ぼくは現実的な自身の肉体を思い出した。それは脆弱で、八つ裂きにされるのがこの身であっても、じっさい同じことなのだと思った。けれどもそれは現実となることがなく、胎児は現実に刻まれていく。そこにはなにも、必然的なものがないように思われた。

物体と物体が偶然衝突することで、それらを構成していたものが分解され飛散し、それで済んでしまえばいいのに、そこには意味が加わって、

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