効率性や生産性を浴び続けるからこそ、無駄が恋しくなる
人と違ったことにモヤモヤしているかと思います。複雑で申し訳ないです…!
『なにこれ?なものや無駄なものは買う必要があるのかについて』
『これからもファストフードやファストファッションは求められていくのか』
みをほさん
もう2つあるのですが、それらは別記事にしようかなと。
いずれもあまり考えたことのないテーマで、非常に悩まされた。
「無駄」と「ファスト文化」は相反するもののような気がしたので、思い切ってまとめて書いてみる。
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気づけば、様々なモノ・コトがファスト化していた。
食べ物やファッション然り、最近では娯楽や学びもそうかもしれない。
「ファスト映画」が問題になったのも比較的記憶に新しい。
本の要約動画の再生回数が多かったり、切り抜き動画の流行もファスト文化の広がりを感じさせる。
おそらく、これからも様々なモノ・コトがファスト化していくのだろう。
技術の発達がそうさせるのかもしれないし、僕らが今よりもっと効率やスピードを求めるかもしれない。
自分自身はというと、この文章をファストフード店でコーヒーを飲みながら書いている。それも、ファストファッションを纏いながら。
ファスト文化なしでは生活を考えられないほど依存している。
ただ、だからこそ、“ファストじゃない営み”に価値を感じるようにもなった。
紙の小説を読んでみたり、一駅分歩いてみたり、生き急ぐキャリアをやめてみたり。
効率やスピード感から離れる時間も、自分には必要だと実感できた。
「無駄」が恋しくなる。
実際、無駄なことほど意外と無駄ではなかったりする。
そもそも、本当に効率を突き詰めるなら、僕は「今生きる意味」を説明できない。
どうせ死ぬのに生きるなんて無駄なのだから、無駄“も”あっていいし、無駄“も”楽しめた方が良いと思う。
効率やスピード、合理性や必要性だけを求め続けるのは、きっと苦しい。
無駄を愛せないのは、もっと苦しいかもしれない。
▼今回モヤモヤをくれた人
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