余命宣告を受けて愛すべき人がいるならば、今のうちにしておいた方がいいこと
突然ですが
あなたには愛すべき人がいますか?
伴侶、子供、親、恋人、なんでもいい。
ともかく自らが「愛おしい」と思える人がそばにいますか?
人は独りでは生きていけないから、必ず誰かはいるはず。
もし本当にいないと断言できるのなら、これを最後まで読んでからもう一度考えてみたら、見つかるかもしれません。
こんなこと書いている私でも、死にゆく自分に対して今出来ているのは、生命保険で葬式代くらい出そうってことくらいなんですけど、今回書きたいのは、
自分が余命宣告を受けてしまった時、最期まで寄り添ってくれるであろう相手に対してしておいた方がいいこと。
流儀でしょうか。
私は
30年前に恋人を事故で失い、8年前に夫をガンで看取りました。
もちろん、「死」と闘っている本人が一番大変なのでしょうけど、
消え行く命を最後まで看取るって、ほんと、大変なんです。
変わってやりたくても出来ない歯がゆさのなか、
余りにも辛くて「こんな日々がいつ終わるの?」と思わず考えてしまった罪悪感で自己嫌悪になったり
かと言って相手には笑顔で接しなければと無理やり笑顔を作り、家族の前では強くあらねばと去勢を張り、それでも生きていかなければいけないから、仕事もこなす。
励ましてくれる人にはお礼を言わないといけないという義務感でありがとうと言ってしまい、また落ち込む。
充分頑張りすぎるので、ボロボロになります。
看取ったら看取ったで、かなしみに浸る暇なんてなくて
葬式屋の手配、相手の友人への連絡や役所への死亡届、火葬場の空き時間を逆算した葬儀のプランニング、銀行が差し止められる前の金銭的処理、病室の片づけ。
葬儀後の香典の計算と葬儀屋への支払い、香典返しの手配・・・
未だに記憶が抜け落ちてるとこがあるくらい。
一時期「終活」がメディアに話題になって、葬儀場ツアーなんて流行って、生きてるうちに棺桶入ったりとかしてましたけど、私からすればどうせ自分焼けて灰と骨になるのに、そんなん体験してどうすんの?って思う。本当の「終活」ってそうじゃなくて、それよりもやるべきことがあります。
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読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。