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ちょうどよく生きられるウツ

私は躁鬱病(双極性障害)を抱える25歳です。

ちょっとウツなぐらいが
自分にはちょうどよく感じることがある。

ウツを罰として感じてるからだろうか。
それとも病気持ちという弱者でいたいからだろうか。


私にとってのウツ

今日はちょっとウツ。

こういう日が私にとって
一番過ごしやすいように感じる。

「こんなに元気じゃだめなんだ」とか、
罪悪感を感じなくていい。

苦しい、死にたい、光がない、
そんな絶望からは数歩離れてる。

ちょうどいいとこ。
安心できる距離感のウツ。

そう感じるのは、
私がもう3年も闘病しているからだろうか。


ウツ病になったのは

私がウツっぽくなったのは5年前から。

5年前というと学生時代、
卒業制作をしていた時期だ。

自分のつくる作品に迷い悩みすぎて、
一日中家でも学校の授業中でも涙が止まらず、
ずっと泣きながら過ごす日も珍しくなくなっていた。
(今思えば異常)

それから2年、就職してからも
暴力を含むパワハラ会社に当たってしまい、
また一層とウツを強くした。

でもなかなか病院には行けなかった。
こんなことでウツを疑っていいのかわからなかったし、
精神科・心療内科という場所も未知でこわかった。

そんなこんなでうじうじ心療内科の
予約ドタキャンを何度も繰り返して、
ようやく病院に行きウツ病患者となったのです。


元気だと不安

今、私の病名はウツ病から双極性障害に変わっています。
いわゆる躁鬱病ですね。
異常に元気な時期とウツな時期を繰り返す病気です。

そう、元気な時期があるのです。
私はその元気な時期が苦手になる瞬間があります。

もう病気は治りかけてるのではないか。
治ったらまた生きづらさを感じながらも
普通の人らしく頑張って生きなければいけなくなるのではと。

今は躁鬱でA型事業所でたまにお休みをもらい、
力を緩めて生きています。
がんばらず、無理せず、焦らず。
(焦りや頑張りはウツ病に大敵だと思っている)

でも元気になったらまた頑張らなきゃいけない。
それが私はこわいのです。

これは私の思い込みかもしれません。

でも私にとってのいわゆる普通は
そういう生き方なのだと思って生きてきました。


頑張らなければいけない

この記事を書いて、
ようやくウツだと安心する原因がわかりました。
noteありがとう。

きっと本当は普通の人も
そんなにずっと頑張ってるわけじゃないんですよね。

じゃないとこの世は地獄です。
頑張り地獄。

でもやっぱり社会を見たとき、
頑張ってる人ばかりに見える。

就職活動では意識高く、
「ずっと頑張ってる」
そして「これからも頑張っていきたい」といった
息の詰まるがちがちな志望動機を言わなきゃいけない。

社会に入れば、仕事以外に
頑張って取り組んでることについて聞かれたり、
スピーチしたりしなければいけない。

社会に入らずとも普通の部活でも、
体育会系で頑張って精進しつづけるのが
当たり前だったりする。

私はそんな世界で生きてきた。
子供の頃から「頑張り屋さんね」なんて褒められながら頑張らなければ頑張らなければ、と。

躁鬱が寛解して、普通の人に戻ってからも、
力を抜いて生きるなんて罪悪感で死んでしまう。

これは日本の社会が作った弊害なのかもしれない。
私だけの価値観ではないのかも。

そうなるとやっぱり世の中は地獄ですね。


私がウツといっしょにいると
生きやすくなる理由

ウツの免罪符をもって、
力抜いて生きてる今が一番生きやすい。

こんな社会の場合そう思うのは
必然だったのかもしれない。

これが私の、ウツだと生きやすく感じる理由です。
今がやっとまともに生きれてる感じがします。

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