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心のノート #2

2. 私の”心のノート”

宇宙兄弟の”心のノート”にならって、自分の過去、約35年の人生を振り返って、心に残った言葉、転機となった言葉を書いてみました。

あくまで記憶なので、事実と若干異なるところもあるかもしれませんが、覚えている範囲で。ただし、過去の記憶は、現在の気持ちで簡単に書き換えられる、という考え方もあるので、一概には言えないですが、書きます。


「手を挙げよう!」「自分の意見を伝えよう!」

小学校4年生のとき、担任のU先生。女の先生で、国語、社会、音楽、図工など複数担当していました。

この先生の授業では、不思議と、クラス全員が「発表したい!」と手を挙げました。私も毎回のように「はい!はい!」と手を挙げました。

以前は、そのようなことは全くなく、退屈そうに授業を受けていました。なので、成績も芳しくなかったです。

しかし、この先生の「手を挙げよう!」「自分の意見を伝えよう!」によって、自分の意見を伝える楽しさを学びました。発表すると、誰かしら、意見をからかう生徒がいると思いますが、その授業では、そのような生徒はいませんでした。

「発表は恥ずかしくない!」と思え、勉強にも身が入り、小学校5年生では、オール5に近い成績を取るまでになりました。

この先生との出会いがなければ、今の自分はないと言っても過言ではないです。

「みんなが少しだけガマンすれば、誰かが大きなガマンをしなくて済むよ」

中学校2年生のとき、担任のY先生。男の体格の良い先生で、理科を担当していました。

Y先生は、「ボクは化学を専攻していて、化粧品メーカーも目指していたよ。世の中の女性をもっとキレイにしたいと思ってね!」と言って、男女問わず、生徒の人気を集めていました。

ガマンは良いイメージがないですが、このときの「ガマン」は前向きに捉えられました。全員が全員、大満足なんてない。組織がある以上、何かしらガマンは必要。正しいガマンの姿を学びました。(ガマンのし過ぎは禁物ですが。)

本当に温厚で、包容力があり、受容的な先生だったので、3年生の受験時にも、先生のクラスに入りたいと思っていました。しかし、その希望は叶わず、荒れ放題、学級崩壊寸前のクラスで過ごすことになりました。

親から「Y先生のもとには、生徒会の生徒が集まるようになっているから、生徒会に入るといい」と言われていました。

中2の冬、生徒会長候補の知り合いから、「生徒会の書記やらない?」「〇〇(私)、字うまいし、真面目じゃん。だから向いていると思って」と声を掛けられるも、私は即答できず、「考えておくよ」と返しました。

親に言ってから判断しようと思っていたのと、「こんな自分が生徒会の書記になっていいのか?」と自信がなかったからです。

結果、書記になるチャンスを失いました。私の地元では、県内のトップ公立高校に入るには、試験成績、内申点だけでなく、部活での実績、そして、生徒会での活動も点数に入りました。

私は、試験成績、内申点はほぼクリアしていましたが、部活での実績が足りず、また、生徒会のチャンスも逃したので、だいぶ不利でした。結果はわかっていたかのように、不合格でした。

生徒会書記のチャンスを逃したとき、親から「これじゃあ、トップの〇〇高校はムリだね」と言われ、かなりショックを受けました。それでも、背伸びして受験した自分は、プライドが許さなかったのかもしれません。

不合格になり、泣きながら帰宅し、親にも泣かれました。受験前、家族総出でお祓いまでしてもらい、今思えば紙頼みにもほどがあり、情けない限りです。お祓いしてもらうくらいなら、その時間を勉強に当てる方が理にかなっています。

その後、卒業式に参加しました。太平洋側の冬の天気らしく、乾燥して北西の風が強く、寒く、晴れた日でした。

公立高校不合格の人は、滑り止めの私立高校に進学することになっています。私もその一人でした。

帰り際、Y先生に会いました。「〇〇高校に落ちました。」と伝えると、Y先生は、私を強く抱きしめてくれました。私はそこでまた泣きました。

「ここで人生、終わりじゃないから」「高校受験で人生が決まるわけではないよ」「次は大学があるし、その先もある」「君が頑張って勉強してきたこと、ちゃんと見ていたよ」

そう言って、励ましてくれました。結局、大学受験も第一志望に合格できず、一浪するハメになりましたが…

「お前、怒られないように、と思いながらやっているだろ!!それ、見え見えなんだよ!」

高校1年のときの、部活の先輩から言われたことです。心の中を見透かされたようで、驚きました。

他人の目を気にして練習していたら、全力を発揮できないし、見ている側も気分が良くないです。

ちゃんと、自分を表現すればいいと思えた言葉でした。

「自分が一番になれることをやればいいんだよ!」「もっと緩いことやってみたら?」

昼休みの昼食中、教室のベランダで、高校時代の友人から言われた言葉です。たしか校庭を見ながら2人で話をしていました。

彼は1年生の途中まで部活をやって、その後はせず、彼女を作って放課後は遊んでいました。

私はずーっと、硬派?な部活やクラブ活動ばかりやってきました。そして
真面目にもほどがあるほど真面目。恥ずかしくて、女の子とはうまく話せないので、「この人タイプだな」と思っても、お近づきになる術もなかったです。

彼は私に、「肩肘張り過ぎ」「もっと楽しんだら」と言っていたのだと思います。

「現場第一主義」

高校の担任のH先生から言われた言葉です。クラスの全員によく言っていました。

その先生は、テニス部の顧問でもあり、真っ黒に日焼けしていました。有名な私立理系大学の物理学科を卒業し、数学と物理を担当していました。

ちなみに、当時の高校数学の範囲を超えて、テイラー展開やマクローリン展開まで教えてくれました。文系の生徒にも、数学Cの行列、一次変換、確率分布の話までしており、文系の生徒は「カンベンしてくれ」という感じでした。

物理では、素粒子物理の話まで広がり、ブラッグ反射、放射線の種類と特徴、阻止能と飛程、半導体(PNP、NPNの違い)の話までしてくれました。

教師になる前は、メーカー勤務していたとのことですが、ライン作業が嫌になり、「こんなことを永遠に続けていたら、頭が腐ってしまう」と思い、教師の道を選んだとのことです。

先生が、現場第一主義を通して伝えたかったことは以下の通りです。

  • 「練習でいくら成果を出しても、本番で力を発揮できなければ意味がない」

  • 「練習も本番と思い、1つ1つの問題が試験だと思って取り組む」

  • 試験だけでない。部活でも、社会人になってからも同じだ

とても厳しい先生でした。今でいう、体罰も平気で行っていましたが、ユーモアもあり、生徒や親から人気な先生でもありました。

私は、就職してから「三現主義」という言葉を教わりました。メーカー勤務者であれば、一度は聞いたことのある言葉と思います。

三現主義とは、「現場、現物、現実の3つを押さえることで、現状を深く知れ、問題の発見、解決に役立つ」というものです。

先生の言葉は、「現場第一主義」なので、間違っていないですが、特に「現実」も知っていただきたかったと思います。生徒にもいろいろと事情を抱えている場合があります。

#3に続きます。


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