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続・ホントに翻訳ソフトの精度の問題か

記事を書いてから、「あれも言えばよかった」「これも言えばよかった」とか言う事ありますか?私は毎回そう思って、毎回その記事を公開後も何度も手直しするのですが、今回、補足したい事が結構なボリュームになったので、手直しを断念して、記事をこちらに分けて補足します。

(と言いつつ、昨日の記事を読まなくても、昨日の記事内容は引用しつつ、この記事だけで完結しています。)

主には自分の文章を後々他言語に翻訳したいというお考えがある方達の参考になるといいな、という気持ちから書いていますが、同業者の方に参考になる部分もあるかもしれません。

これは昨日の記事の続きです。

で、(昨日申し上げた)翻訳ソフトを使用している私の現状;

ただし、翻訳したい文章を翻訳ソフトに訳させて、それをそのまま採用せずに多少なりとも手直しする確率は約99%。ほぼ、全文手を入れます。

この部分。
99%手直しするんだ~?、え~じゃあ、翻訳ソフトダメじゃん」
と思ってしまった方がいらっしゃるかと思いますが、手直しが必要となる項目は大体限られています。

・固有名詞的なもの(個人名、団体名、など本来「翻訳」しようがないもの)
・主語が不明瞭なもの
・現在形、過去形などの時系列があやふやなもの
・各品詞の配置が複雑なもの

今どきの翻訳ソフトは、かなりの精度で、文章力のなさも結構カバーしてくれます(と私は感じています)ので、手直しと言っても、かなりイイ線までは行くのです。

最悪そのまま使っても、まあ意味は通じるかな、くらい。

でも、そのままだと、やっぱり「直訳っぽさ」というか「子供が書いたみたいな拙さ」が残るので、少し大人の文章に手直しするのです。

「惜しい!」「あと一声!」的なところまでは、本当に到達しているので全然駄目ではないのです。
文章によっては、逆に私の拙い文章が、大人な文章となって生まれ変わって来る事もあります。

ただ、日本語は、とにかく述語(動詞)を最後に配置する形が基本的かと思います(倒置法や体言止めという手法も勿論あります)が、英語や中国語は違います。英語と中国語はどちらも

主語(S)動詞(V)目的語(O)
と言う順番に並びます。

日本語:私は昼食を食べる。
英語: I eat lunch
中国語:我 吃 午飯

でも、往々にしてその文章の中にシンプルな動詞(動作)の対象(O)のみという事はあまりなく、二重目的語【誰に(O1)、何を(O2)】的に目的語(Object)が1つではなかったり、且、日時や副詞、引用文などが、文中に入って来て、構造が複雑な文章になるほど、翻訳ソフトが誤解する確率が高くなっていきます。

昨日ご紹介したGokuさんの記事の中の、最後の一文;

・日本語から英語などへの翻訳する場合、日本の文脈をそのままでは忠実に再現するのに十分ではないことが起こる。これを避けるためには、先に外国語文脈に沿う形で表現を考えておく必要がある。

上記Gokuさんの記事の最後の一文

さっき言ったように、英語と中国語の文法上の基本構成は同類なので、中国語でも同じ事が言えます。

だから、私が自分で書く文章も、事前にこれは翻訳すると言う事がわかっている場合、私は「翻訳した後にどういう文章になるか」と言う事を考えながら文章を書きます(一番は自分の翻訳の手間を省く為ですが)

原稿を先にざっと読んで、AI翻訳にかける前に、ソフトが読み取りにくそうな言い回しをシンプルな言い回しに変えてからAI翻訳にかける事もあります。

文法的に複雑な構造は、「あ〜、ダラダラっといろんなことを並べた長すぎる一文の事ね」と皆さんも想像がつきやすいかと思いますが、中には文法上ということに限らず、「人の口を借りつつ、実は自分の言いたい事を言ってる」というパターンはAIじゃなくても翻訳が難しいと思います。

  • 表面上引用の形をとりつつも、引用より自分の言いたい事の方が多い。

・・・それってどういう文章?と思いますか?

引用文に自分の思いを散りばめる、という具体例をあげます。

結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目にあうのだ。

フランスの小説家バルザックの言葉

という言葉を引用されるとして、

フランスの小説家バルザックはこう言いました。
結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。
つまり、自分が勝手に思い描く最悪の状況ということですね。皆さん、何かをする時に、大人にもなると、起こりうる色んな状況を想定して準備をしがちです。だけども、たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目にあうのだと言われています。だから、一歩踏み出すのに、あまり頭でっかちに、アレコレ考えず、まずは一歩を踏み出すことが大事だと私は声を大にして言いたいです。

ご安心ください、これは私が作成した架空の原稿です。

「偉人の誰誰はこう言いました」
とわざわざ括っておきながら、実際は上の太字だけが偉人の言葉で、後は自分の言いたい事を勝手に盛り込んでいるパターン。

すごく・・・すごく!多いです。



スピーチ原稿を翻訳に回すくらいだから、社長とか、色んな機関の~長という立場の人たちが多いわけですが、相手の心に残るようにと、色んな偉人の言葉や、どこかで聞いた事があるような「いい言葉」の引用する場面も多く見られます。

しかし、誰かの言葉を引用するなら、シンプルに引用してくれればいいのに「引用」は実は重点ではないから、こういう巧妙な使い方になります。

そ、それ詐欺じゃないの?😅

こうなると、「引用文」が巧妙に自分の言いたい事の中に盛り込まれているので、「偉人の誰誰はこう言いました」とわざわざ言ってるのに、最後は「私は言いたいです。」って、偉人の言葉の引用と、「私」の言わんとしている事、どうやって区切んねん!?って話です。

AI翻訳にかけると、当然の如く、文章全体が偉人の言葉として認識され、最の一文:「だから、一歩踏み出すのに、あまり頭でっかちに、アレコレ考えず、まずは一歩を踏み出すことが大事だと私は声を大にして言いたいです。」だけが「私」の言葉になります。

The French novelist Balzac put it this way. After all, the worst misfortune never happens. In other words, it's the worst situation you can imagine for yourself. As adults, we tend to prepare for various possible situations when we do something. However, it is said that in most cases, it is the anticipation of misfortune that leads to misery. So I would like to say out loud that it is important to take the first step without thinking too much.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

AI翻訳したもの

当ったり前ですよね。こういう書き方をしてあれば。

でも、コレを見ればわかるように、文法的にも意味的にも、手直しの必要もないほどイイ感じに翻訳文としては成り立っています。

だから結論としては、表題にしている

「ホントに翻訳ソフトの精度の問題か?」


勿論「AI翻訳は完璧です」とは言えませんが、原文側の曖昧表現を明確化するだけで、句読点「」を多用して区切りを明確にするだけで、翻訳文の精度は爆上がりします。

つまり、それって

翻訳ソフトの問題以前の問題

である場合も、結構多いのではないでしょうか。
AI翻訳の精度を云々言う前に、私達は自分の文章力の精度を高める努力をしていかなくてはいけないかもしれません(;^_^A


おかげさまで。




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