吸血師Dr.千水の憂鬱㉒医者とは父母の心なり
前回の話
第22話 医者とは父母の心なり
「わああ~センセぇっ!」
千水が自分の足に噛みつこうとしている光景に、宮森はとっさに足を引っ込めようと藻掻いた。
が、椅子の高さをグーンと上げる時に、足にはしっかりとベルトが巻かれていて、実際には足はビクンっと神経の痙攣ほどの動きを見せただけで、千水に対する抑止力には全くならなかった。
「あてててて・・・」
それどころか、もう動かせないほど限界が来ていた足を無理やり動かそうとした為に、その反動が自分の足の怪我に響いて宮森は痛みのあまり言葉を失った。
千水は、ちらりと宮森の顔を一瞥して僅かに眉をひそめたが、何も言わずもう一度仕切り直して足に噛みついた。
「・・・・・・・・。」
噛みつかれても、いつもの検診同様に痛みも痒みも何の感覚もなかった。
いや、決して噛みつかれるのが怖かったわけではない。確かにその異様な光景にギョッとしたのは事実だが、あんな蒸れ蒸れの異臭を発していた足だったから、10分お湯につけた程度でホントにキレイになったのか、宮森はそれが気になった。
しん、と静まり返った治療室で、リクライニングさせた椅子からはみ出した足に男がかぶりついている光景は、きっと誰か第三者が客観的に見たら、かなりシュールな光景であっただろうが、幸い、と言うか当然と言うか、そこには当事者の二人以外には誰もいなかった。
どのくらい時間が経ったのか。
申し訳なさそうに恐縮する宮森には、その間の時間が果てしなく長く感じられた。時計を見るとどうやら2、3分過ぎただけのようだったが、千水はその間にも、踵(かかと)や足の指先附近など、あちこち数か所にかぶりついていた。足先に千水の呼気を感じた宮森は、何か秘部に触れられたかのような恥ずかしい、まるで下の世話でもされたかのような気持ちになった。
しかし、その僅か数分の間にそれまでの足の痛みが随分と和らいだような気がした。
「驚かせたようですまない。腫れがひどかったから、治療しようにも触れるだけでも刺激になってしまう。それで先に皮膚の下にたまった血液や体液を少し抜かせてもらった。元々中身がぎっしり詰まっている体内には逃げ場がない。だからほんの小指の先ほどの血が溜まってもその圧迫感と痛みはハンパない。鍼でも同じことができるが、私の歯の方が低刺激だからそうさせてもらった。今からレントゲンを撮るが怪我は少し骨にも及んでいるだろう。」
ようやく口を離したかと思うと、千水は予告するようにそう言い放ち、リクライニングチェアからはみ出した足の下に注意深く、コンパクトなレントゲンの機材を配置すると何枚か撮った。
不思議な事に、さっきまで少し足に振動を感じるだけでも耐え難い痛みが走っていたのに、千水が皮膚の下に溜まっていたものを抜いてくれた後は、レントゲン撮影に足の角度を変えるのにも耐えることが出来た。
そして千水の見立て通り、宮森の左足は小指とくるぶしの部分二か所にヒビが入っていた。宮森は道理で痛いはずだと思った。
千水が、鍼道具一式が載ったワゴンを引き寄せたのを見て、ここに鍼はいくらなんでも痛いだろうなあ、という思いが一瞬頭をよぎった。普通の医者なら痛い所をあれこれいじらず、ギブスで固定して終わりだろうに・・・という恨みがましい気持ちになる。
千水はそんな宮森の気持ちを知ってか知らずか、針を片っ端から綿の山にブサブサと突き刺し、一本一本光にかざして注意深く確認しながら、宮森の怪我で腫れあがっている部分から少し外れたところに鍼を施し始めた。その針の不良品確認は、今でこそ見慣れた光景だったが、千水の赴任当初は皆東洋医学という治療法にはあまり馴染みがなく、どちらかと言えば「劣った格下の医術」という偏見があった。
特に宮森は昔、家の近所の整骨院で鍼も灸もされたことがあったが、太くて大きな針で、治る云々以前に刺される時にものすごく痛かった。と言うよりも「あんな太いモンで刺される」、そう思っただけで刺される前から苦痛を極めた為、鍼灸というものに全くいいイメージを持っていなかった。
もし痛かったら、素直に飛び上がって「こんな怪我しとるとこに針刺すちゃ頭おかしいがないがけ!?」と文句の一つも言ってやろう、そう心の準備をして虎視眈々と待っているのに、そうでもないのだった。
いや、これは たまたま だ。次の針はきっと痛いところにジャストミートするだろう、と思うのにいつまで経っても、その「ジャストミート」は起こらなかった。
この仕事をしていれば、捻挫や打ち身は避けがたい。いつもだったら、あれだけ腫れあがっていたら手が触れるか触れないかでも痛いはずなのだ。何でこの先生は、今までの先生よりもっと痛い事をしているのにそれほどでもないのか・・・。
宮森は今までの概念と眼前の現実との矛盾で少し混乱していた。
千水が使っているのも、昔ほどではないが、今どきの髪の毛より細いという特殊な針ではなく、普通の縫い針の倍はある長い針だった。それが膝から下に10数本は刺さっていたが、皮膚を突き破る痛みも、注射針のそれとも、昔自分が経験して来た鍼とも違い、「痛い」と思うまでに至らない痛みで、ましてや今このヒドイ打ち身の程度から自分の経験則で予測できる痛みとは程遠かった。
今度はそれに電気を流そうと千水は針に端子を繋ぎ始めた。
それを見て宮森は再び慌てる。こんなところに電気ショックなんて、それこそ傷に塩を擦り込むようなもんや、そんなダラな(バカな)治療あってたまるけ!と心の中で毒づいた。
ところが、千水の処置はとても手早く、反論の間もなく微弱な電流が流れ始めると、パンパンに腫れあがって強張りを感じていたところが少しずつ解れていくような気がした。
それが終わると今度は、ひどく匂いが強い土のようなものが分厚く塗られたガーゼを左足側面に当てて包帯でグルグル巻かれた。
「センセ、何けこの匂い?」
宮森が顔をしかめて見せると、
「薬草だ。これがこの部分の毒素を吸いだしてくれる。
ひどく匂うと思ったが、そう言われてみれば、確かに何かの草のような植物の匂いだった。
手際よく巻かれた包帯も、普通のスカスカのガーゼの包帯よりも、もっとゲートルに近い、しっかりとした素材のものだったが、曲線で太さも違う足に巻くのに、よくこれだけ皺なく隙間なくピッタリと、しかもキツ過ぎず、緩過ぎず巻けるものだと感心するほど美しく巻かれていた。ギブスなしでも、その匂う薬の分厚さと、硬めの包帯で十分安定していた。
「小指はヒビが入っているから余分な圧が掛からないように少しだけガードしておこう」
千水はそう言って、気休めほどの5センチ四方くらいの薄くてしなるプラスチックの板をひどく匂う薬と包帯の間にぐぐっと差し込んだ。
「ギブスせんでもいいがけ(しなくてもいいんですか)?」
「包帯をしっかり目に巻いたから骨がズレる事はないだろう。ギブスの目的は、骨がずれない様にする為だ。そもそも折れてないならギブスはなくても問題はない。固定してしまうと、損傷してない筋や腱まで一緒に固まってしまうから、その為のリハビリが必要になってくる。ある程度痛みを感じられる状態で、それを庇い過ぎないように生活できるのがいいんだがな。自分の身体が自分は怪我をしている、という信号を常に受け取っている状態でいる方が自然だ。痛みがある間は痛みを感じる、それが本来の姿だろう?痛い所を痛いと感じないようにしてしまっては、脳が勘違いを起こして感覚が鈍らされてしまう。」
そんな話は聞いたことがなかった。痛い所を痛くなくしてくれるのが医者だと思っていた。いや、それはそのハズなのだ。
しかし痛いところが痛くなくなる、それが、本当に治癒されて痛くなくなるわけではなく、何らかの力で、ただ痛みを感じにくく誤魔化してしまうだけの処置だとしたら、それは単なる応急処置であって治療ではない。千水に改めてそう言われてみれば確かにそれが本来の姿・・・かどうかまではわからないが、現実そのものだと思う説得力があった。
治療が終わって見たら、その足の楽さ加減と治療の手際のよさに宮森は少し興奮気味だった。本当に淡い感動にも似た気持ちが湧き上がっていた。
もちろん足が楽だからといって、痛くないわけではない。小指とくるぶし、よりによって二か所もヒビが入っているのだ。相当痛い。しかし電気鍼もすごかったが、何より千水が腫れの部分の内出血やらを抜いてくれた、それだけで感動を覚えるほどに足は楽になったのだ。
「センセ、ありがと!足、ら~く(楽)になったわ!」
何だか自分の怪我が軽く済んだような気がして宮森はさっさとベッドから下りようとした。
「まだ上半身の確認が終わっていない。痛むところがあれば教えてくれ。」
千水はそれを押しとどめると、上半身と言いながら膝上からもも、腰にかけて体の側面を中心に満遍なく指で圧をかけていく。
他のところは何ともないと思っていた宮森は、千水の指圧で脇腹部分と手首附近でも「いてててて・・!」とたまらず声を上げ、見るとヒドイ打ち身のアザになっていた。千水はそこにも内出血を見て取って、同じように自分の歯を使って中で圧迫している血塊を取り除いた。
その二か所はたったそれだけの処置だったが、そこもそれでかなり楽になった。
「センセも細かい人やね。指で押さんだら痛いが気づきもせんだわ(指で押さなかったら、痛いのに気づく事もなかった)。」
「私の歯は、ただ血管に挿入して血液の流れを調整するだけではない。身体に負担を与えることなく、こうした障害物を取り除く事もできる。その能力を与えられていながら使わなければ罰が当たる。『医者とは父母の心なり』これが我が一族の宗旨だ。本当に患者の為になるのなら、患者が痛がる事も責めを受ける事も厭わず、尚且つ患者の恢復の為に最善を尽くす。父の厳しさ、母の優しさを兼ね備えた医者であれ、という意味だがな。」
さらっと言われて、宮森はそんなに深くも捉えず「へ~そんなものか」と思っただけだったが、千水に対しては「すごく丁寧で腕のいい医者だ」という印象がそこで深く刻まれたのだった。
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