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【番外編?】韓非子を読み始めたら ~世の中に悶絶する感じ~

ちょっとしたきっかけがあって、「韓非子」が手元に来ました。せっかくだからと日に一巻くらいのペースで読み始め、第五巻まで読み終わったところです(第二十巻まであります)。なかなか面白くて、たぶん終わりまで読んでしまうと思います。

 何が面白いかというと、まだ紀元前の中国、春秋戦国時代の諸子百家のひとつ、法家の韓非さんが、「主君も臣下も民草も、好き勝手やってんじゃねー!法の下に考え行動すれば国は繫栄するんじゃ!」というような主張(私の想像ですが)を展開して、世の中の納得いかないことをバッサバッサと斬りまくっているところですね。

 例えば、君主に対する戒めとして、「亡徴」(国が亡ぶであろう徴候の意味)という項があるのですが、そこには次のような言があります。

 

「他国の援助を恃んで近隣の国を軽く見、強大な国の救いを心頼りにして、身に迫る敵国を侮る君は、亡ぶであろう。」

 

「臆病で操守弱く、先を見ることは早いが、煮え切らず、断行すべきだと知りながら、思い切れない。かような君は、亡ぶであろう。」

 

「好んでさかしらに法を曲げ、時には私情を公事に交え、法律はよく変わり、政令がたびたび下るような国は、亡ぶであろう。」

 

「貴族は互いに妬みあい、大臣は勢いが盛ん。これらが、外は他国の威を借り、内は民から搾り取り、それでもって怨む仇(貴族同士、大臣と忠義の士)を攻めている。しかも君主はこれを罰しようとしない。かような国は、亡ぶであろう。」

 

「国家の庫は空で、大臣の庫は満ち、地著きの家は貧しくて、渡り者が富み、耕し且つ戦う士は困窮して、商工業に従事する民が利益を得る。かような国は亡ぶであろう。」

 

「新しい臣は昇進するが、古くからいるものは退く。愚か者が実権を握って、賢い良い臣は隠れ伏す。手柄のないものが出世して、苦労した人は身分が低い。このようであれば、下の者が怨む。下の者の怨むような国は、亡ぶであろう。」

 

「亡徴とは、必ず亡ぶというのでない。亡ぶ惧れがあるということである。(中略)大国の君で、法術を身につけ、これを実践し、亡徴のある君にとっての強風大雨となり得るような人があれば、天下をわがものとすること、むつかしくないであろう。」

(以上、韓非子全現代語訳 講談社学術文庫より引用)

みなさんはどのような印象を持たれたでしょうか。きっと今世の中で起こっている色々なことが重なって見えた方は多いのではないでしょうか…。何か、韓非さん、悶え苦しんでいる感じが…。

私自身は、法学部にいた学生時代に読んでおけばよかったな、と悔やんでおります。(笑) その当時の受け取り方もまた今とは違ったものだったでしょう。そんな現在の私にとっては、韓非子に書かれていることが、経営者が人をどう扱うか、育成するかのヒントになることが多く書かれていると受け取っています。特に、君主と臣下の関係について、法を行動規範とすることに重きを置きつつ、人は自分を利するために君主に隠れて何でもするぞ、という人間観から論を展開しており、極めて現実主義的な主張です。

私は日頃から、人と人との関係性において、どちらかといえば理想主義的とも言えるような姿勢を持っていますので、たまにはこのような現実を渡り歩いてきた先人の智慧に触れることは意味があると思います。これもバランス、大切なのだろうと思います。韓非さんからは「ちゃんと人間の実相を見ろよ!」と言われている気がします。そう。人間の行動は「合理的」なんですよねえ…。

韓非子、とても興味深く読んでいますので、またご紹介できる部分があれば書いてみたいと思います。

今回は、韓非子を読み始めたら、についてお話しました。私は会社勤めとの複業でライフキャリアデザインカウンセラーとして個人や世帯の職業生活設計や資産設計のお手伝いを志しております。保持資格としては国家資格キャリアコンサルタントとAFP(日本FP協会会員)をコアスキルとして、これまでの会社生活や人生経験で学んできたことを活かして会社内や地域社会に向けた価値創造につなげてまいります。ご関心を持っていただいた方、ご相談事がある方は、どうぞお声がけください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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